SS(三語即興文)

2009.09.14

『ぬいぐるみのコン太とロバの耳』

 怨念が籠もっているから焼くのだと言われる。
 狐(きつね)、狗(いぬ)、狸(たぬき)のぬいぐるみは縁起でもないと、コン太のしっぽをひっつかんで焼却場に持っていってしまう。
 お父さん、でもそれは私の幼稚園入園のお祝いに、あなた自身と亡くなったお母さんとが買ってくれたぬいぐるみです。一万円もすると聞いて、当時の私には夢みたいな値段だったけれど、とても嬉しかったあなたたちの愛情の証です。正座した当時の私の背と同じくらいの、大きな大きなキツネのコン太です。

 ――愛情は、怨念ですか?

 私はその言葉をのみこむ。

 山間の養老ホームには、今時ほとんど見られない焼却炉がある。
 昨年の冬、見学に訪れた折りにホーム内の施設はみな案内されたから知っている。焼却炉では職員が平日の午前中に可燃ゴミを燃やすことになっている。発ガン性物質などを心配する時代に……と気色ばんだ顔になりそうだったが、「ゴミの回収業者を呼ぶとそれだけ費用がかかるのです」と機先を制して言われてしまった。なるほど、まさにご時世だわ、と納得した。

 焼却場にはときおり老人によって勝手に物が置かれるらしい。父が持っていってしまったコン太は戻ってきた。職員の方が車に乗り込もうとしていた私に手渡ししてくれたのだ。あの案内のときの女性だった。白髪交じりの髪をかなり短く刈った頭に濃紺の職員キャップをかぶったその人は、還暦は過ぎている年齢だろうと思われた。私よりむしろ父に近いお年に見える。相変わらずの無表情と、無愛想。
 でも手間を惜しまずコン太を持ってきてくれた。しかも父の目につかない場所で。……思ったよりも情の深い人なのかもしれない。
「ありがとうございます。コン太はまた助かりました」
 そうお礼を言ったけれど、きっと正しく伝わらなかっただろう。彼女の耳には父がこういうことを何度もしているという風に聞こえたに違いない。
 コン太の命が助かったのは二度目で、前のときは父のせいではない。
 私は後部座席にコン太を座らせるとエンジンを入れる。あの職員の女性の姿はもう見えなくなっていた。勤勉な方なのだろうと思う。
 座らせると目立つ。コン太の手足はちょっとぐらぐらしている。よく見るとわかるがぐらつく手足の付け根に下手な縫い後がある。私のつたない針仕事の痕跡だ。
「コン太、今度はお父さんにやられちゃったねー」
 舗装もされていない山道の振動で、後ろのコン太も揺れる。頭が軽くがくがくすると、まるでうなずいているようだ。くすっと私の唇が笑みを漏らす。
「きっとお前が身代わりになってくれているんだね。私が親不孝をしたから」
 そして声に出さないが、母や父になら、私もコン太も命を奪われてもいいのだ、と思う。
 運転する私の手首は、ずっと前の傷跡が白く残っている。自分でやったのだ。止められても止められても。自室で、浴室で。
 若い頃、私は死にずっと近いところにいた。自分や両親をどうにかしたくてたまらなかった。救急車にも病院にもおかげですっかり馴れた。
 母や父の心労たるやいかほどだっただろう。
 私が苦労をかけたせいで、母や父の心のどこかに歯車の狂いを生じさせたのに違いない。年を取り、身体も心もあまり丈夫でなくなってから、急に母と父の心の破れが表に吹き出してきた。
 母は五年前に亡くなる直前、コン太の手足を力任せに引きちぎってしまった。
 帰宅した父が見つけたそうだ。うわごとをつぶやいていたと聞いたが、なんと言っていたかは父からは教えてもらえなかった。まともな会話もできなくなった母はすぐに入院した。そして一週間も経たずに六日目の朝亡くなった。夜中にトイレに入って洋式便座に腰掛けたまま息絶えたらしい。死因は急性心不全。解剖を望まなかったから、ほんとうの死の理由はわからない。
 私は看護士以外では最後に母に会った人間になった。そのとき、そのうわごとを聞いたのだ。だから母の心の破れ目を私は知っている。
「お前なんて生きていたってしょうがない。しょうがない。生きていたってしょうがない」
 コン太がいない病室で、小さくつぶやきながらシーツを両手で思い切りひっつかんでしわくちゃにしていた。
 私にはそのときわかってしまったのだ。
 その呪詛は、ずっと母がため込んでいたもの。荒れた私に対して浴びせかけそうになりながらも飲み込んできた、無数のつぶやき。そう、生きていたってしょうがないと言われているのはあのころの私なのだ。

「ありがとう、お母さん、お父さん。あのときの私を生かしておいてくれて。今、こうして私を生きさせておいてくれて」

 私は年甲斐もなくコン太を抱きしめたい気持ちになった。

――アキ、お前が気に入っていた絵本、あの絵本と同じぬいぐるみだよ。
という父の声。
――あの絵本じゃなくて『こんとあき』だもんね。でもボクはこんじゃないよ。キツネのコン太くん。こんにちは、アキちゃん。
という母の声。
 同じ名前だからということで、林明子さんの絵本を私はとても気に入っていた。それで母と父はぬいぐるみを探してきてプレゼントしてくれたのだ。
 でもその言葉や彼らの笑顔は今となってはほんとうの記憶かどうか、わからない。私はあのときの父よりも母よりも倍ちかくも年を取ってしまった。大半の記憶は勘違いだったり、あとで勝手に付け加えられたりしたものになっている。
「君はきっと正確に覚えているんだろうね。だって君は年を取ったりしないもの。そうだよね、コン太。お母さんとお父さんは、笑って君をプレゼントしてくれたかな。私に幸せになってほしいって思ってくれていたかな。生きていたってしょうがないとか、怨念だとか、言わなかったかな……」
 シートの背にも届かない小さなコン太は、バックミラーの中で何度もうなずいてくれた。
 あの日のあの笑顔のまま、何度も、何度もうなずいていた。

-了-

 
 
(『作家でごはん!』鍛錬場・三語即興文投稿作品:「ぬいぐるみ」「怨念」「焼却場」課題は「愛くるしいぬいぐるみを出すこと」)

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2007.04.18

『知花さんとハルオと』(五枚)

 新聞紙を八つ切りにして、小さく小さく折ったカブトを頭に乗せてもらった。
 朝の十時。
 まだ眠くてぼーっとしているボクの名前はハルオ。ハムスターの雄、1歳。
「端午の節句ですからね。男の子は立派に育つように、鎧兜を飾るものなんです」
 なるほど。だから知花さんは一晩かかって、ボクが運動している横で押入から大きな段ボール箱を引っ張り出していたんだね。ボクと二人暮らしの知花さんはなんでも用事を自分でしなくちゃいけないから大変だ。ボクが手伝えたらいいんだけど……。
「ほら、ハルオ。きっとよく似合うわよ」
 ちょこんと新聞紙のカブトを乗せてもらった。
 一生懸命に作ってくれたけど、それでもボクには大きすぎる。目の前にずり落ちたカブトであたりは真っ暗。びっくりしてテーブルの上を走り回って知花さんを慌てさせてしまった。
「ハルオ、ハルオ、危ないッ!」
 知花さんがボクをすんでのところで助けてくれた。
 それからぎゅっと抱きしめてくれた。
 ハルオ、ハルオ……とずっと名前を呼び続けている。いつの間にか涙声に変わっていた。
――大丈夫ですよ、知花さん。ハムスターはテーブルから落ちたってケガなんてめったにしやしないんだから。
 そう言いたくてチーチー鳴いて知花さんの手のひらをひっかいた。
 知花さんはますますぼくを大事そうに抱え、膝をついたまま背中を丸めた。
「ごめんね、ごめんねぇ……。お母さんが悪かった。お母さんが悪かった」
――知花さん、大丈夫だよ。
――ボクは落ちたりしなかったよ。知花さんの助けが間に合ったから、大丈夫だったよ。
 そっとボクの家になっている大きなカゴの中に戻されたのは、だいぶ経ってからのことだった。知花さんはおわびと言ってオレンジジュースをスポイトで飲ませてくれた。ボクのまぶたがキュっと閉じて、笑い顔になる。
 午後には柏餅を作ってくれた。それからまた押入から何かを引っ張り出した。だいぶ苦労して、庭に大きな鯉のぼりが上がった。町内でいちばん大きいんだって。風があまりない今日はだらっとしている。きっとタンゴの日には水を泳ぐみたいに元気になるんだろうな。なるといいな。
 そんな風にして一日が過ぎ、またボクは午後に眠って、夜には起きて運動をした。
 明くる日のこと。
 同窓会のお知らせが来た、と知花さんが言った。表情が暗い。
「まだね……まだ、ダメなのよ。今年はきっと出席できると思ったけど」
 そう言う知花さんの顔のしわが目立つような気がした。
「誰かにハルオのことを聞かれたら、なんて気にしてしまうの。大丈夫と思っても、まだ思い出すと辛いみたい。四十歳にもなってねえ……弱いのね、私」
――ボクのことなら、何を言われても平気ですから、どうか気にしないでください。知花さんは弱くなんてないですよ。
 そう伝えるにはどうしたらいいだろう。
 チーチーと鳴いてみたけど、知花さんは元気にならなかった。
 仕方なしに、力いっぱいカゴの中の車を回す。ぐるぐる、ぐるぐる。
 目が回るほど、回す。息がつづくだけ、回す。
 真っ白だった知花さんの口元が、少しずつ紅色になる。
 ボク、元気を分けられたかな?
 知花さんがハルオに向かって語りかける。
「もう五年も経つのね……。鯉のぼりも、鎧兜も、小さな自転車も、みんなハルオのもの。ずっとずっとお前のものよ。来年は中学の制服を買わなくちゃいけないはずね。せめてお友だちの制服姿を写真に撮らせていただいて、あの山に持ってゆきましょう。お前に見えるように」
 ほほえんでいるのに、どうして知花さんは悲しそうな顔に見えるんだろう。
 ボクはへたばりそうだったけど、どんどん車を回す。
 回して回して、伝えるんだ。

――知花さん、ハルオはあなたに会えて幸せだったよ。

 どうかいつか知花さんに伝わりますように。


-了-

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2007.04.10

『こいのぼりのココロ』(四枚)

 こいのぼりを見つけたのは、君が先だった。
 小さな、紙でできたおもちゃのこいのぼり。
 東風にパタパタとしっぽを振っている黒い真鯉と二匹の緋鯉を指さして、
「こいのぼり!」
 君の声が跳ねたね。

 一流企業の内定を誰よりも先に取ってみんなに舌を巻かせたこともある優秀な君だから、不思議じゃないかも。
 ゼミの男子みんなが君にひそかに憧れ、そして誰も君に想いを告げずにいた。
 まだ四月。あと一年だけ残された学生時代。
 ほんの一月前に、君はこんなことを言ったね。
「桃の節句はあまり好きじゃないの。ほら、おひな様も、桃の花も、おとなしいじゃない?」
 控えめに「おとなしい」と君は表現した。コンパの帰りだった。寒風の中、屋台のラーメン屋に立ち寄って。
 屋台の柱に、花をつけた小枝が飾られていたのを見留めて言ったのだったね。
 短冊にした厚紙を両端で画鋲どめして、その隙間に花は挿してあった。
 冷えの深い夜に彩りを添えたのは、店主の心遣いだったのだと思う。はげ上がった頭に年中はちまきを巻いている皺深い顔は、彼女の言葉に不機嫌のかけらも見せなかった。彼女には店主の表情は見えていなかっただろうけれど、ぼくは内心ヒヤヒヤした。
「うふふ、この香りは梅ね」
 え、そうなんだ? 桃じゃないの……か。
「梅はすごく好きなんだあ。甘い香りがするでしょう? 冬になる前にたくわえておいた命を、こうして蜜にして香るのね。じっと耐えたあとの、命の匂いなの」
 彼女に見えなかっただろうけど、寸胴鍋に張り付いて黙々と動いている店主の顔が、ほんの少しほころんでいる気がした。

 採用枠を大幅に拡大した企業へと、同級生たちは果敢に挑戦した。
 四月ともなると次々と内定の朗報がゼミにもたらされていた。
 ぼくは一人、焦っていた。
 公認会計士試験を受けるからだ。文学部のぼくにとっては畑違いもいいところ。去年すでに一度さんざんな結果になっている。専門学校に一年通ったくらいではとても歯が立たなかった。
 試験日は五月二十七日と六月三日。あと二ヶ月もない。
 就職活動はしていないから、これで落ちたら……浪人か。
 家族も声を揃えて就職活動しろと言う。だけど、保険をかけて勝負するのはどことなく嫌なんだ。
 そう、勝負をかけるならハンデを背負ったくらいでないといけない。ぼくにはハンデがないんだから、せめて、背水の陣で臨まなくては。ハンデを背負っている人に、申し訳ないじゃないか。
 ――君の前では絶対にそんなこと言えないけれどね。
 ひどい弱視でいつも大きなレンズの眼鏡をかけている君。でもとても優秀だってことは入学してすぐにみんなわかった。歩く文学史事典、国語辞典と言われた君が魅力的なのは、でも学力が優れているからではないんだ。まして、学内の廊下を歩くときでも壁を指先で触れる様子を哀れんだからでもない。
 なんというか、その。
 君といると……心が豊かになるよ。

 鯉の形をしたノボリはきっと風にそよいでいい音を君に届けてくれる。
 昨日ぼくが店主に渡したおもちゃのそれは、ちゃんと今日、前に彼女が座った席、いちばん柱に近い席のすぐそばに飾ってあった。
 でも、のれんをくぐる前にその元気な音に気づくなんて、思わなかった。
「こいのぼり、見たかったんだあ」
 眼鏡のレンズの向こうで長い睫毛がゆっくりと伏せて、笑む。
 鯉のカタチをしたぼくの気持ちが君の心に届いたような気がして。
 ぼくの心が強くなる。
 
 
-了-
 
 
(※三語即興文投稿作品【こいのぼり・ラーメン屋・国語辞典】【登場人物に名前を入れない】)
 

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2007.02.18

『あの日のマトリックス・エータ』(三枚)

 蟻の行列を眺めるのが好きだった。
 
 縁日の提灯が並んだ神社の境内でしゃがみこんでいる女の子は、私だけだった。具合が悪くなったのかと心配して大人たちが声をかけてくるかと思ったけれど、どの足たちも私が見えないみたいに、石畳をじゃりじゃり言わせて通り過ぎていく。
 赤と白のまだらの灯り。鰭の長い朱文金(シュブンキン)をあしらったお姉のお下がりの浴衣。
 もうだいぶ昔のこと。
 
「七歳の私がしゃがんでいるのが、ここなんだよ」
 夫と息子に言う。
「わかった。蟻が体重の何倍の質量を運ぶことができるか計算していたんだ」と、中学生の息子。
「どうかな。たぶんこの惑星上の陸地を真っ黒に埋め尽くすには蟻が何匹必要かを考えていたんじゃないか」と、夫。
 あはは、と私は笑って、
「あのね、七歳よ。私がいくら数学シンドロームだからって、三十年も前のそんな小さな頃からそんなことを計算したりはしていませんっ」
 咲き始めたばかりの二月の蒲公英を指で突いてみる。それから、私は言葉を継いだ。
 単純に、蟻たちがたくさんたくさん列を作って歩いているのが興味を引いたこと。
 それを飽きずに眺めて、追いかけて、足がしびれたこと。
 一緒に行ったはずの友だち二人はとっくにいなくなっていたこと。どうやら何度も呼びかけたけれど私は生返事で、「先に帰るね」と言い残したらしい(が私はまったく覚えがなかった)こと。
 家に帰ったら九時を過ぎていて、こっぴどく叱られたこと。蟻の行列を眺めていたと言ったらますます怒られた。
 そのうちに年を経て、数学が好きになり、再び行列という言葉と出会ったこと。ますます数学にのめりこみ、数学の教員になったこと。
 新任として一緒に勤めた英語の教員と気が合い、その年の終わりに結婚したこと。
 
「翌年に英太が生まれたのよ」
 英語で行列はマトリックス。その語源は子宮。η(エータ)は七番目のギリシャ文字。
 七歳の私の視線を探すかのように、英太と夫がうららかな早春の境内に蟻を求めて背をかがめてよちよち歩きをしている。
 
 ああ、きっとあの時の私を見ていた人たちも、こんな姿をほほえましく思ったんだろう。
 神社を囲むウバメガシの老樹から木漏れ日がこぼれて胸の上を温める。
 ほんのりと真っ白な沁みが、ゆれている。
 
 
 -了-
 
 
(※『三語即興文』投稿作品:「提灯、行列、シンドローム」課題は「三人以上出してください」)
 

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2006.11.28

『あんまんのことを 私は知らない』(三枚)

 仙台に出かけることになった。
 大学二年の従兄の車で川口インターチェンジから高速道路で五時間。その間は彼は私と二人きりの予定で、だから私はコンビニで買ったあんまんと一緒に昨日心を込めてしたためた恋文を彼の両手に手渡した。面食らった顔で読む彼の顔を見つめていたら、「何の冗談?」と微妙な笑顔が返ってきた。「万季ちゃんとはこういうのなしでさ。高校生だから知らないかもしれないけど手紙ってのは鉛筆書きしないのがジョーシキ……」
 最後まで言わせない。
 私は口を結んだままにゅっと手を伸ばしてそいつの左手からあんまんを、右手から私の生まれて初めてのラブレターを奪い取り、それをどうしようかまるで考えていなかったことに気づいたけど一瞬のとまどいを彼に悟られたくなくて、饅頭のへそから手紙をねじり込み、餡に埋まった指が焼けるように熱くて涙が出てきたけど気にしている暇もないし無理矢理もっともっとねじ込んでもう意味なんてわからないけど紙が下から出てきちゃったけど今さら止められなくて。
 そんな私のどうしようもない惨状を、先に我に返った彼が止めようとまだ手紙とあんまんを持った手を伸ばしかけた。こんな状況で気遣われたりしたらそれこそどうしていいかわからないもんだから、ポートボールのレギュラーの私は条件反射で上半身をひねってかわし、そして、気がついたら餡まみれの怪しい物体を愛しい人の顔に平手で叩きつけていた。「バカヤロー」って叫びながら。
 車を降りて泣いて駆けて、駅前の電話ボックスで気持ちを落ちつかせたあとで振り向かずに帰ったから、私は知らない。
 私が走り去ったあとの彼のことを。
 火傷しかけた顔を丁寧に拭いた後、どこかほっとした顔で、後部座席に隠してあった小さな小さな花束と手紙をゆっくりゆっくり両手で揉みつぶしたことを。それからまるで名残惜しいかのようにそっとコンビニのゴミ箱に入れ、それから店内であんまんをひとつ買って、でもそれをずっと食べられずに一日部屋で座って過ごしたことを。
 ずっとあとになるまで、私は知らない。
 私よりほんの少しだけ長くなる、次の恋を見つけるまでの彼の時間を。
 
-了-
 
 
(※三語即興文投稿作品:「あんまん」「高速道路」「手紙」、「元気な女子高生を出す」)
(※11/26おかしな表記を訂正。元の表現「私はポートボールのレギュラーの私は条件反射で上半身のひねりでかわし」、「車を降りて泣いて掛けて」、「あの人が私が走り去ったあとの彼のことを」)
(※森羅万象さん、安息仮面さん、ご指摘ありがとうございます。助かりました~(^^;)

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2006.11.07

『ウサギ小屋の転校生』(四枚)

 転校生が飼育委員になった。

 全校生徒は百名弱の小さな小学校。飼育委員は一人。ウサギとニワトリしかいない飼育小屋にエサをやり、掃除をするのが毎日の仕事だ。
 転校生が来ると、たいてい飼育委員になる。
 誰とも顔を合わせない仕事だから。
 ほら、あの子も顔をうつむけたままやってきた。今日もまだ、誰とも口を利いてませんっていう顔だよ。二本のおさげも、なんとなく元気がない。
 こうして毎日の昼休み、用務員さんからもらったダイコンの葉を包丁で刻んでボウルに入れ、飼育小屋に持ってくる。掃除用の竹ぼうきとボウルとを両手に持って。
 五年生の女子ともなると、体が大きい。力だって強いから、無造作に掴まれたらウサギの仔なんてあっという間に死んでしまう。僕の子どもをつぶしたりしないでくれよ、お願いだから。
 まだ秋もそれほど深まっていない十一月の上旬だっていうのに、転校生はくしゃみばかりしている。よく見ると洟もうっすら垂れている。女の子なのにおしゃれから遠い子だ。
「おらおら、慌てない。エサは逃げてがねえよ」
 この子はふるさとの訛りが抜けてない。僕たちウサギには関係ないけど。
 昼休みと放課後、転校生は飼育小屋にやってくる。
 転校してきた一週間前、早く帰りたい、帰りたいと何度もつぶやきながらダイコンの葉を床にばらまいた。僕たちはキーキーと抗議の声を上げたけど無視された。
 翌日は、余った材木で作られたエサ箱の中にふすまを入れた。今日、授業で当てられたけど答えられた、と言った。
 それから毎日、転校生はしゃべる言葉が増えてきて、じつはちょっとうるさいくらいだ。だってウサギの耳はどんな音も拾ってしまうんだからね。聞きたくないけど、聞いてやるんだ。○○ちゃんがいつも声をかけてくれる、教科書を見せてくれる、あたしも○○ちゃんが好きだな、男子にボールをぶつけられたからうっせーぞって怒ったらオトコオンナって言われだ、母ちゃんが忘れ物を届けに教室まで来でみんなに笑われたけど、ちょっと仲良くなったみだいな気がしで嬉しかった、こっちに来だら気候が変わってハナばっかり出て困る、恥ずかしい、でも学校がちょっと楽しくなった……昼休みの予鈴が鳴っても教室に帰らないよ! ここまで来ると迷惑だよ!
 ぶつぶつつぶやく声が、いつのまにかうわごとみたいになっていたのに、僕は気づくのが遅れた。
 がしゃん。
 飼育小屋の金網に転校生がしゃがんだまま倒れかかった音で、僕らはぴょん、と飛び上がった。あの子が顔を真っ赤にして息を荒くしていた。たいへんだ、病気だったんだ。
 僕らはウサギだから、こういうときにはどうにもならない。兎に角だれか人間を呼ばなくちゃと跳ねたりキーキーと金切り声を上げたりしたけど、無駄だった。ニワトリの止まり木に飛び乗って用務員室の窓ガラスの奥を覗いてみたけど、用務員さんは古いポータブルのブラウン管テレビでワイドショーを見ていた。仕事しろよ! じゃなくて、転校生がたいへんだよ!
 僕は慌てた。転校生はもう地面にすっかり横たわってしまった。奥さんと子どもたちを呼び集めて、顔をくすぐった。
 ふこふこふこふこ。
 ダイコンの葉を食べるリズム。いつもあの子がくれるエサを思い出して。
 ふこふこふこふこ、ふこ。
 そして。
「べっっくしょーーーい!」
 女の子とは思えないすごいくしゃみとともに、転校生は気が付いた。そして、立ち上がった。また倒れないかと小さな心臓をドクドク言わせながら見守っていると、ふらふらと校舎内に戻っていった。用務員室から大丈夫か、という声が聞こえた。
 まあ、だいたいは、よかったよ。
 僕の頭には長い洟がつきたての餅のように延びていた。奥さんと子どもには日が暮れるまで笑われた。

 アンゴラウサギの毛を刈る春まであと数ヶ月。
 もう知っているかな、あの子は。この学校の伝統を。
 飼育小屋で採れたモノは全校児童のために使われる。ニワトリの卵は、料理クラブと調理実習で使われて、みんなのおやつになる。アンゴラウサギの毛糸は、六年生の服飾実習で小物に変わる。そして、飼育委員がその労を称えられてプレゼントとして受け取るんだ。
 この学校では、転校生が来ると、たいてい飼育委員になる。
 毛糸のプレゼントをもらう頃、転校生はもうどこにもいなくなる。
 あの子が来年は熱を出さないですむように、ベストを編めるほどの毛があればいいけれど、それには僕たちの体は小さすぎる。せめて手袋になったらいいな。


 -了-


(※作家でごはん!三語即興文投稿作品:「ベスト」「ブラウン管」「転校」で「追加条件:ペットの目線から書かれた小説にする」)

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2006.11.01

『まだともうの間に』(四枚)

 ――まあだだよ。

 かくれんぼをしたまま、いなくなるのが夢だった。
 小さい頃にはよくかくれんぼをした。いつも私が隠れる。両親が鬼になる。
 見つけに来てくれた父と母の顔を見る瞬間があまりに居心地よくて、いなくなったことは一度もないのだけれど。
 でももし、ふといなくなれたら……。
 街にジングルベルが流れ始める頃、かくれんぼのことを思い出す。

 三十二歳になる今年までに、二度結婚した。二度とも病気で死に別れた。最初のときは娘が生まれて半年、二度目は小学校に上がった娘がようやく「パパ」と呼び始めた直後。ひどい運命だ。近所からいわれのない噂まで立った。それから娘は毎日泣いた。私も。
 周りが敵だらけになったように思われた時、独りは辛い。
 置いていかれるのは辛い。
 わがままかもしれないけれど、二人の夫は私たちを天国に連れて行ってくれなかった、と思う。胸に恨みのような小さなしこりが残っている。
 もう一生結婚しない。
 マンションの部屋のドアが勢いよく開いた。学校から帰ってきた娘だ。もう四年生になった。背丈はもう私にほとんど並ぶくらいなのに、まだ小さい子のよう。体育着の入った袋を放り投げるや、ランドセルごと抱きついてくる。
 娘の給食のみかんの匂いのする指。ぎゅっと握って「まずは手を洗って、ね?」。「はあい」。
 結婚しないと決めたのに、私は恋をしている。
 昨夜プロポーズされた。一歳下の人。音楽が好きな、まじめな町役場職員。
 バレンタインには職場のおばちゃんから板チョコが二、三枚。
 だから、これからは毎年、君がチョコをくれないかと言われた。オレはこれから毎年この日に君に花束を贈るよ。ね、一回目、受け取って? そう言って花束を渡された。
 彼は中学の後輩だ。ふと飲み屋で再会したのは二ヶ月前。
 気安さからいろんな話をした。
 自宅から駅までの坂道を下るときガニマタになるのが嫌だという話をした。すぐに破いてくる娘の体育着の膝につぎを当てるのが最近楽しくてしょうがないと意味のない秘密を告白した。過去のことも、自分の気持ちも、酔いに任せて何もかもしゃべってしまった。彼は私の何が気に入ったのだろう。どうして?
 彼もズボンにつぎを当ててほしいのかしら。いや、そうじゃなくて。
 私がずっと前に彼に恋をしていたことを、知っていたのかな。

 ずっと見つからない、かくれんぼ。私の夢。
 彼に花束を返したら、そうしよう。
 嬉しかった。あなたが好き。でも。
 
 ――まあだだよ。

 そう言っていなくなろう。

 娘におやつのクッキーと牛乳を用意しながら、私はニルギリ紅茶を淹れる。レモンもミルクもなしのストレート。
 ふいに娘の両目が視界に飛び込んできた。目の前でにやにやしている。
「いつ返事するの?」
「え?」
 わかってるよ、と娘が言う。
「いいよ、あたしは。あの人がお父さんになっても」
 絶句する私に、ん? と口の端を吊り上げる。
「この子は、どこでそんな言い方を覚えてきたの!」
「あはは、ゲーム。
 ファインディング・ファンタジアの十四章で雪さぼてんの女王が結婚するの。彼女、周りの目を気にしてぜんぜん煮え切らないんだよね。でも、ほんとは決めているんだよ。きっかけがないだけでさ。
 うまく縁談をまとめると、『はりじゅうまんぼんの広間』を通れるようになるんだよ。女王の体のトゲがみぃんな抜けちゃって。それが花束に変わって。ウェディング・ロードになるんだよ。できすぎだけどね。あはは」
「トゲね。そっか」

 私の気持ちを見つけてくれたのは、この子だった。
 かくれんぼの終わり。
「牛乳のヒゲー! サンタさんからのプレゼントは、お母さんの新しい旦那さんー」
 娘にあわせて、私もあははと笑う。
 カップに口づけして舌に香りを乗せる。
 喉につかえていた私のわだかまりは香りに溶けたまま、鼻腔を通り抜けて大気に散った。

 ――もういいよ。

 どこかで声がする。


-了-


(※三語即興文投稿作品:「ストレート」「花束」「かくれんぼ」「(どの季節でもいいので)季節感のある内容」)
(※ごてごてしているのと、投稿時には誤字の見逃しがあって、恥ずかしかった(^^;)

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2006.08.25

『遠い手紙の頃』

 消印を読めないほど古い手紙が届いた。下手な字の鉛筆書きで宛名をしたためてある。小学生らしい拙い字。
 タイムカプセルを開けろとの二十年前の自分からの命令だ。
 仕方ない。ぼくはスコップを持って昼下がりの公園にゆく。砂場にしゃがみこんで黙々と掘り始める。周りでは幼稚園くらいの子どもたちが十数人駆け回ってるけれど、あの日から二十年目の今日でなくてはいけない。
 子どもたちのはしゃぎ声。それから子どもたちが吹いて遊ぶシャボン玉がいくつも。ぼくの周りを回る。
 くるくる、くるくる。
 幼い頃に時間を戻された気がして、スコップを握る手に力がこもる。
 湿った土が混じり始める頃に出てきたのは、ブルーシートにくるまれた鉄アレイ。
 拙い手で、でもしっかりと巻き付けられた灰色のビニールテープをはがす。経年劣化でぽろぽろと崩れてゆく。ぼくの宝物の鉄アレイは、思った通り、錆びている。表面が赤茶と黒のまだらに変色して、でも、たしかにあのときの鉄アレイだった。また、会えた。
 両親の離婚のために離ればなれになった兄が、くれたものだ。もっといいものをやると言われたけれど、ぼくは兄ちゃんが毎日使っていたこれがどうしてもほしかった。
 母とも兄とも別れてまもなく二人きりで暮らしていた家族が亡くなり、以来、ぼくは一人で暮らしてきた。築四十年の平屋には、物がたまることもなく、いつもがらんと広かった。誰かがただいまを言う日を待っていたのかもしれない。けれど、父が亡くなっても、何年経っても、母も兄も姿を見せなかった。家の電話番号簿のいちばん上には、一度も使われない番号と住所とがが、ずっと残っていた。
 錆びた鉄アレイを握る。じゃりっと音がして錆がぽろぽろ落ちる。
 いつも兄が自慢の左腕を鍛えていたように、肘をゆっくりと曲げてみた。

 ――軽い。

 簡単に肩まで上がり、信じられなくて何度も繰り返す。
 二十年前の兄は、けっこう苦労していたのだけどな。彼は、野球選手になっただろうか。テレビでは経済ニュースしか見ないぼくだから、もしそうなっていたとしても知ることはない。
 昔の兄に会った気がした。
 そして昔のぼくにも。
 兄が大好きだった昔のぼくが、大人になった自分をどこかから見ている気がした。子どもの頃の兄が嫉妬しないだろうかと思って、心がむずむずした。
 薄曇りの太陽がくすぐったいものだから、ぼくは晴れ間が見えないうちに立ち去ることにする。
 子どもたちが針金のハンガーででっかいしゃぼん玉を作っている。
 そいつがふうわりとぼくの方に漂ってくる。
 顔を近づけて見たら、兄の顔が映るだろうか。
 目の前に来たしゃぼん玉は、あっというまにはじけて、誰の顔も映らなかった。

 鉄アレイを元通りに埋めた日の晩、ぼくは手紙を書いた。
「こんにちは、元気で暮らしていますか……」
 宛名は、まだ書いていない。
  
  
 -了-


(※三語即興文投稿作品、『消印』『しゃぼん玉』『鉄アレイ』)
 

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2006.08.18

『神の庭と星々と』(四枚)

 幼馴染みの舞太郎は二十六歳の時に事業で大成功して、二十九歳の今はカイパーベルト天体を探査するためのロケットを作っている。
 大富豪のくせに俺のボロアパートに週一回は顔を出す。貧乏長屋の隣り同士だった子ども時代と同じように。
「最低で新惑星を五つは見つけてやるから。名付けるときには慧也(としや)の名前もつけてやるからな」
 その発言こそは五つ星モノ。
「お前、ミンダルカムイってペンネームを持っていただろ」
 そんな昔のことをよく覚えているよ。たしかにそんな名前で駄文を書いたこともある。学生の頃の話だ。
「カムイは神、ミンダルは庭だったか。知ってるか、新しい星には世界各地の民族の神様の名前をつけるのがならいなんだぞ」
 このまま俺の過去の記憶を掘り返されるのも困るので、舞太郎に質問をすることにした。
 それにしてもなんだって急にロケットを?
「よくぞ聞いてくれました。今までの惑星の定義には欠陥があったんだよ。この八月十四日からの惑星定義委員会で、惑星の定義が改めてはっきりと決まったんだ。これからは新しい惑星がどんどん増える。未発見の惑星もあると学者たちが考えている。ろくに探査されていない海王星軌道の外、カイパーベルト天体の中に、新惑星はある。きっとある」
 いつになく舞太郎は饒舌で、酔いも早く進んだ。途中であんまり身振り手振りが大きいものだから、トレードマークの丸メガネが顔からずり落ちた。
 したたかに酔って、らりるれろの頻度が多くなった舌でまだ夢を語るのをやめなかった。
「やるるぉ。わくへい、みつけるろぉ」
 俺は思い出す。
 そういえばこいつは、子ども時代、小学校入学祝いに買ってもらった天体望遠鏡を宝物にしていた。
 俺が草野球に夢中になった帰り、晩飯の匂いの漂うボロ長屋に慌てて駆け込む時、またたき始めた夕方の星をガタガタの木の枠の窓からあの望遠鏡で眺めている舞太郎を何度も見かけた。まるで根の生えた岩のように動かず、時には新月、ときには宵の明星をじっと見つめていた。
 ケンカの弱い舞太郎の味方を俺がいつのまにか買って出るようになったのは、もしかしたらそんなことが理由のひとつだったのかもしれないな。
 舞太郎の高いびきとともに、夜は更けた。

 あれからもう一年が経つ。舞太郎の事業はあっけなく破綻し、経営権、物的および知的財産権、そのほかもろもろの権利はすべて海外の大資本の管理下となった。舞太郎はほとんど裸同然に放り出された。
 今日もそろそろノックする音が聞こえてくる頃だ。コンコン。そうら、来た。
 舞太郎は俺のボロアパートの隣室に住み着いた。
 いつかの幼い日々のように、俺たちの合図はほんの薄い壁一枚を隔てた、壁越しのノックだ。
 違っているのは符丁。たとえば「遊ぼうか?」の二回ノックは「飲まないか?」に変わった。
 二十年前も、一年前も、そして今も変わらないのは、舞太郎の夢。
 今日も舞太郎は遙かにある神の庭の夢を語りに来る。
 あいつの夢を知っているのは、俺のほかにたった一人。
 何もないあいつの部屋の窓辺にひっそりと置かれた古い天体望遠鏡。


-了-


(※三語即興文投稿作品:『五つ星』『欠陥』『らりるれろ』)

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2006.08.13

:『金剛八つ』

 空薬莢を逆さに立てた。
 元は畑だった場所に足を運んで、焼夷弾で焼けた土を詰めた。
 種を一粒、そっと置いた。
 林檎の種。
 ぼくは動物園がとても好きだったけれど、大好きなライオンもゴリラもゾウも、今はもうみないなくなってしまった。動物がぼくよりも大好きだった妹も、いなくなってしまった。
 戦争のせいだった。
 妹の好物で、動物たちの好物でもあった林檎が芽生えたら、焼けてしまって黒い炭の山になってしまったぼくの家の庭に植えよう。八月十五日が来るたびに、ぼくはその木を見て思い出そう。大人になっても、老人になっても、きっと思い出そう。
 ぼくたちは悪いお手本の真似をしすぎた。ぼくたちは慎みを忘れていた。だから、ぼくたちは、たくさんの過ちを海の外で犯し、そして数え切れないほどの大切なものを、失った。そのことは夢でも幻でもなかったんだって。それから、ぼくの妹は、たしかにいたんだって。

 林檎はきっと育つだろう。実をつけるだろう。長い月日がかかるだろうけど。必ず。
 ぼくは掌で水を一杯すくう。
 指の先から雫を垂らす。
 
 ひとつ、ふたつ、みっつ――

 妹の年を数えながら。
 八粒の金剛石が、過ちに縁取られた小さな大地にこぼれて跳ねる。


-了-


(※三語即興文投稿作品【ゴリラ、水を一杯、空薬莢(からやっきょう)】)
(※いろいろと甘いところが多いのですけれど……でも言わぬが花、と思って言い訳しないでおきます(^^;)
 

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2006.07.07

『紛い』(二枚)

 携帯電話を解約して、古道具屋で黒電話を買ってきたのは、一昨日のこと。
「大浴場だと、是非ピンク電話がいいですね」そんな軽口を叩いて、さもさも好事家という体で買ってきた。
 畳敷きの四畳半にちゃぶ台を置いて、そこに中古のポータブル・プラネタリウムを飾ってみる。幼い息子と娘が「なにこれ、動かしてよパパ」と歓声を挙げるところを想像する。
 こんな行為は感傷に過ぎないのだ。私にはわかっている。
 だが、感傷に浸らずにはいられないことが、もしかしたら私が人間であることの証かもしれぬ。
 これは妻の形見、と思って置いた部屋の片隅の三面鏡を開く。
 錆び付いて右側しか開かないが、修理をせずにそのままにしてある。
 そのほうが、どことなく人間らしい気がして。
 機械も、心だけは人間に近づける気がして。
 鏡に映る人型ロボットが、モーター音を立てながら眼球をぐりぐり動かす。わっぱのような顎がギィっと開いて鍵盤じみた歯が顔を覗かせる。
 ユーモラスな、間の抜けた顔のほうが、主人たちをリラックスさせるという理由で、このような表情に作られた。その張り付いた笑顔の仮面が、私を悲しくさせる。鋼の胸に痛みが走る。
 人間に、なりたい。
 小さくつぶやいてみた。
 向こうの世界からは、人間紛いの醜悪な顔が飽きもせず同じ表情で笑いかえしていた。
 
 
-了-
 
 
(※三語即興文『人型』『黒電話』『プラネタリウム』。課題『切ないお話にすること』)

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『岩盤浴場の怪』(一枚)

 黒電話が鳴ると彼は岩陰に隠れる。月明かりの晩は、廊下のその場所からは彼の姿が見えてしまうのだ。
 じっと息を殺して、天然のプラネタリウムを見上げる。
 露天岩盤浴場に住み着いてどれくらいの光陰が彼の頭上を過ぎ去っただろう。四百年……彼に名前を与え、彼を恐れ、彼を敬った者たちはとうに土の下へ。
 そんなとき彼はそっと人型になって昔を偲ぶ。
 黒い体躯から白い影が伸びる。伸びて啼く。
 星の海を見上げて、遠く啼く。
 
 ぴろろ
 ぴりろろ
 ぴぃろろろ……

-了-
 
 
(※三語即興文『人型』『黒電話』『プラネタリウム』。課題『切ないお話にすること』)

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2006.06.06

『アンジールと無花果』(五枚)

 アンジールが運河竣工の祝いの席で踊ることになった。
 若者たちが集う酒場はごったがえしていた。祭典を明日に控え、みな前祝いの気分である。
「やったじゃない、アンジール。踊りの様子はちゃんと粘土板に記録しておくからね」
 ティーンはそう言うと、男のように刈り上げた頭を傾けて、右目をつぶった。笑うと十六歳らしい幼さが顔に出る。彼女も若い職工であるが、新しい碑を作る仕事に一役担っている。
「ダレイオス一世陛下の御前で踊るんだろ? しくじったら縛り首だぞ」
 浅黒い大きな手でアンジールの背中を叩いたのは同い年のフィーゴだった。
『しくじらなかった時こそ、縛り首さ……』
 アンジールは内心の思いを隠し、
「フィーゴの灯台が完成したときにだって、踊ってやるさ。心配すんな」
 と返した。
 できれば本当に、踊ってやりたいと思った。
 アンジールはこの時間がずっと続けばいいのに、と思う。仲間たち、それからたった一人の家族である父のヴァイハと、しんどいけれど道作りの仕事と敷設するため石の切り出しをこなす毎日、ときおり酒場でバカ騒ぎを繰り返す日常――もう何年も繰り返してきたこの生活が終わらなかったら、どんなにいいだろう。
 しかし、太陽はまた昇る。そして時代の終わりを告げる。
 まったくの偶然だが、アンジールは明日、十九歳になる。

 毒蛇使いの二人を手刀で叩き伏せる段になると、群衆から喝采がわいた。
 雲一つない乾ききった空気の海の下、アンジールは二時間も踊り続けている。腕や首筋からは汗が噴いたかと思うと塩の粒に変わる。筋肉が震えて訴えているが、終わりはまだまだ先だ。
 ムスタクバル叙事詩。
 二千五百年におよぶ未来の出来事をすべて記したとされる大叙事詩を、大学者マクタバの要約を元に演舞の形に直し、当代一の吟遊詩人マナールが歌を、そして王城下一の踊り手アンジールが主人公となって踊る。
 アレクサンドリア大図書館を変装で闊歩し、ファロスの大灯台を追っ手から逃れるために駆け上がる。マケドニア、ローマ、ササン朝、ウマイヤ朝、アッバース朝、セルジューク、マルムーク、チムール帝国、オスマン=トルコ――分断され、さまよう民、砂漠に立つ巨大な掘削機械、怪獣レヴィアタンを思わせる鉄の船が多数行き交い、やがて空飛ぶ機械、炸裂する槍が見えてくる。アンジールはつねに戦い、つねに駆け抜けた。
 踊りが終わるとき、ムスタクバル叙事詩はすべての民の記憶となる。
 ムスタクバル叙事詩は現実になる。
 「その時」が来た。
『ええい、汗が拭けない。眼鏡が邪魔なんだ』
 アンジールは何度も目をしばたいた。どんなに激しい踊りでも、日差しでも、疲れることはないが、今は両目にしきりに汗が入ってくる。視界がにじむ。
 居並んだ近衛兵は十二人。その六人目に脚払いをかける。演舞に見とれていたわけではないだろうが、アンジールの素早い動きは目に入っていなかっただろう。鎧が無粋な音を立てて崩れ落ちた。暗殺は成功する。
「大王、覚悟!」
 アンジールは短く叫び、そして見た。
 いつも一緒に飲んで騒いだ仲間、ティーンとフィーゴが両手を広げて立ちはだかっている。そしてその前に飛び出してきたのは……父親のヴァイハ。
「知られて……いたのか……」
 今のアンジールの目に映るのは、瞬間瞬間を切り取った、ひとつづきの静止画の世界。すべてが途切れながらつながって、幕を次々に上げてゆくように、舞台が次々に変わるように、時間は緩慢に進んでゆく。
 ヴァイハが短刀を取り出す。アンジールより三倍も太い毛むくじゃらの腕が暗殺者である息子の三日月刀を払おうとする。アンジールは手首を返す。ヴァイハを斬れば、まだ大王を殺せるとわかっていた。父親のがら空きの首筋を一瞬で薙ぎ、右足か左足でその体を引き倒しながら跳躍する。ティーンとフィーゴは大王もろとも毒の刃で突き殺す。これで終わるとわかっていた。しかし、アンジールは自らの心に負けた。
 毒の刃は、自分自身の腹を刺し貫いていた。
「アンジール!」
 父と友の声が、地面に頭蓋を叩きつける寸前に、耳に届いた……と思った。
 アンジールの意識は一瞬で天上に吸い上げられ、二度と生まれた大地には戻らなかった。

「もう一度生きよ、アンジール。今この出来事がすべて夢に思われるほどの遠きへ。お前の罪は封じられた。ムスタクバル叙事詩の中に、もう一度生きるのだ」
 耳に取り付けた立体小型スピーカーから聞こえるにしては、優しい声だ――
 白くまぶしい光の闇の世界に体を浮かべたまま、アンジールはぼんやりと考えていた。

 気がつくと、電源をコードごと引き抜いていた。
 接続されていた外部端末がオフラインの表示を点滅させている。ネットワークに接続されていた時間は……四時間十七分。たったの四時間で、十九年のアンジールの一生が過ぎ去った。
 右手がかすかに、何かの感触を伝えていた。
 そこには一枚の無花果の葉。
 あの時代に王城下に生い茂っていた、みずみずしい実をつける木の名残が残されていた。
 しかし、錯覚に過ぎなかったのだろう、映像はすぐに大気に溶けて消えていった。
 知恵の実の味を思い出そうとして、それも、もう彼は思い出せないでいた。
 
 
-了-


   
(※三語即興文:「無花果」「ダレイオス一世」「眼鏡」/「楽しく」)

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2006.05.31

『暗海青光』(二枚)

 今は遠くにいるあの人のアロハシャツをテーブルクロス代わりにしてみた。テラスからは夜の海が見える。パイナップルとマンゴーの盛り合わせに手を伸ばす。島では果物が安いから、昼間も夜も、私たちのお供は炭酸水とこれらのトロピカルな色、色、色。
 潮が満ちる頃、海が淡く発光しはじめる。夜光虫が群れて、青い月に対抗するかのように、海原を天の原と見紛わせる意図を持っているかのように、水の肌の下を彩る。

 暗黒の海に青い光。
 私はこれが嫌い。
 一ヶ月後に婚礼を迎えるはずだった私の夫は、漁師の稼ぎがなくなり、ニッポンへ出稼ぎに行ってしまった。エビの缶詰を作る工場ができてから海の富栄養化が進んだせいさ、と言い残したけど、私にはむずかしいことはよくわからない。ただ、夜光虫が出ると魚が獲れない。私の結婚も幻になってしまう。ただそれだけが現実だった。
 昨日、私の大事な人から手紙が届いた。半年後の衣替えの時期までは新しい服もいらないから、お金は宿代と食事代以外はかからないよ、と書かれていた。半年経ってもあの人は帰ってこない。私は手紙をすぐに箱にしまいこんだ。
 夜光虫の海を見ようと、観光客は引きも切らない。南海の幻想的な景色だと、訪れる人はみな大喜びだと言う。
 私は、木の香りのひっそり匂う小さな家の小さなテラスで、涙を流す。今夜も。

 -了-
 
 
(※三語即興文投稿作品「衣替え」「アロハシャツ」「夜光虫」、「食事風景を入れる」)

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2006.05.25

『慶英の灰色』(五枚)

  ――どこか遠い国のお話。

 慶英(けいえい)が軍用トラックの残骸にガラクタを積み上げて作った廃油まみれのクズ山が、私たちの要塞だった。
 「千ぃ、千ぃ」と可愛がられて、私も有頂天で要塞作りを手伝ったものだった。慶英はたった二つ上の十五歳に過ぎず、いくら私が千以(ちい)という名前の通りに小さかったとしても、私は自分の恋心をもっと早く自覚してもよかったはずだった。
 今はもう何を言っても遅いのだけど。
 占領軍の宿営地が移転した跡にはたくさんの廃物が転がっていた。大人たちはそれを里山のわきの草っ原に寄せ集めて、そのまま見えないふりを決め込んだんだ。だから私たちは要塞を築き、大人たちをここに引きずり出す。こっぴどく叱られた日の夜、男女交際にやかましい親がこっそりと日記を盗み読みしていたのがわかった時、私たちは慶英の要塞に立てこもった。
 いつも大人たちは最初から降伏の姿勢で私たちの要塞にやってきた。まるで白旗を掲げたように、神妙な態度で。ここに立て篭もるのだけは勘弁してくれと言いたいのが、眉の尻の垂れた生気ない顔つきからよくわかった。占領軍に蹂躙されるのが嫌さに味方の機密を一から十までしゃべり、スパイ紛いの行為までしたことが、自責の念を呼んでいたのだろうか。自分たちの身の安全を守るためなら何だってしたのを悔いていたのだろうか。私たちの村の大人たちに、自尊心なんてものがまだ残っていたなんて、到底思われないのだけれど。
 あの出来事があってから、要塞は、誰も近寄らない場所になった。慶英がいなくなったあの日から。きっとそれは私たちがみな十五歳を過ぎて大人になったせい。慶英がどこへ行ったのかわからないけれど、大人になった私たちは誰も探そうとはしなかった。大人になったから、要塞が見えないふりを決め込んだ。
 その日、国粋忠皇の幟(のぼり)を掲げた、風体ただならぬ時代錯誤の連中が要塞を取り囲んだ。
 錆び付いた銃剣はそれでも、弾を撃てただろうし、それが十数挺も並んだのは、要塞内の私たち六人の身をすくませるのに十分だった。がちがちと音がするのは何だろうと冷めた私の意識が不思議がったけれど、それは自分の歯の根が合わずに絶えずぶつかり合う音なのだった。「敵性物資に拠り居る不届き者を、処断いたす」口の端にヒゲが跳ね上がった、軍服の痩せた小男が叫ぶ。映画でならケラケラと笑っただろう私だけど、今は胃の中から酸っぱい液がせり上がった。
 釈明に出ることになった。
 あみだくじで、一人を選んで。
 何も念じることができなかった。自分が当たらなかったらほかの誰かが当たる。そう思うとむしろ自分に当たってほしいとさえ思いそうになり、慌ててそれをうち消した。
「千以に当たった……」
 いつも大声で威張っている孫平が、蟻の忍び笑いよりも小さな声で言った。閻魔の宣告だった。私は自分の頭のてっぺんから腰のあたりまで、すうっと血が下がるのを感じた。全身が一瞬で氷に閉じこめられたみたいに冷たくなった。
 そのとき、あみだのわら半紙を浅黒い手がひっつかんだ。私の名前にたどり着いた運命の赤い線ごと、乱暴に。
 孫平が驚いて尻餅をつくと同時に、あみだをつかんだまま慶英が表に飛び出していった。慶英のつぎはぎだらけの袂を私は慌ててつかもうとした。
「千ぃの目と髪の毛じゃ、夷敵の血が混じってるんが、ばれる。ただじゃ済まされん」
 慶英を引き留めようとした私の指は、私の目の高さで止まっていた。動け動け、念じたけど、私の体は少しも私の言うことを聞いてくれなかった。頭を坊主に刈った慶英が黒い影になって光の中に飛び出していくのを止めることは、できなかった。
 だから私の網膜は、焼き付けた。
 振り向いた慶英が残した、あの二つの灰色の瞳。私と同じ、敵の血が混じった証拠の、あの目の色を。
 銃を撃つ音がしたと思う。ほんのしばらく、何かの声と物音がしたけれど、すぐに静かになった。何時間も過ぎてから私たちがおそるおそる外を見ると誰もおらず、小さな血のあとが残っていた。誰も、慶英のことを口に出さなかった。それからずっと。
 慶英は村に戻ってくることもなく、音沙汰もなかった。
 私は大人になり、少し離れた町の人と見合いをして、結婚した。戦後の復興期と重なり、生活は苦しいながらも上向きに変化し、年月が飛ぶように去った。
 息子が大学進学の年になった。一度、入学手続きと下宿探しのために息子と二人で都に上った際に、街頭演説というのを初めて見た。私と同じ色素の薄い髪を短く刈り、私より十歳も若く見えるくらいの生き生きとした表情で、国際協調と戦災国への人道的支援の重要性を訴える立候補者が黒塗りの車の上でマイクを握っていた。
 私の故郷の訛りが少し残る声だった。
 ちょうど逆光で、ほとんど確認することはできなかったはずだけれど。
 私にはその人の瞳の色が、くっきりと浮かび上がって見えたのだった。
 それは、あのときと同じ、灰色の――
 
 
-了-
 
 
(※三語即興文「トラック」「要塞」「あみだくじ」)


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2006.04.30

『小さな家族と小さな人』(四枚)

 わたしの家には小さな人が住んでいる。誰も見たことはないけれど。
 家族は父親、母親、小学六年生のわたしこと立花三佳里(たちばなみかり)、四年生の睦璃(むつり)の四人。
 父親が帰宅したとたん、今日もわたしと睦璃の声が響く。
「お父さん、またアキバに寄ってきたでしょ!」
 せっかくの夕食時だったけど、ごはんつぶがテーブルに飛び散るのもかまわず、私と睦璃の大合唱。父親が手に提げている、服が一式入っているとおぼしきヒモつき直方体を指し示し、
「なにその紙袋、ピンクの髪のアニメキャラ、キモォ!」
「メイド喫茶はもう卒業するって言ったでしょ。あたしの小学校卒業と一緒に!」
 三十七歳の父親は、ひえええ、と言った。この人はほんとうにそういうしゃべり方をするのだ。
「んもーう、誰も頼まれてあんたたちの父親なんてやってないんですからね! わたしが会社が終わったあとどこでバイトしようと関係ないでしょ」
 父親は二本の人差し指をおでこにつん、とたててそう言った。それにミカリンは卒業まだだし、とトーンを落とし、さらに最後に「ぷんすか」と付け加えた。
 そうなんだ。
 わたしたちの父親は男なのに秋葉原のメイド喫茶で働いている。
「三佳里ちゃん、三佳里ちゃん、どう考えてもありえないよね。おっさんがメイドのコスプレしているオカマメイド喫茶」
「うん、ありゃあ、だめだ。あたしの卒業より先に店が潰れるね」
「父親ったらもともとオカマさんだったけど、あそこまでいっちまう人だったとはね」
「ふっきれてて、いっそすがすがしいけどねえ」
 なんて会話を、二段ベッドの上の段、わたしの布団に二人でもぐりこんで。
 何度、こんなやりとりをしただろう。最後は決まって、こう終わる。
「でも、どう考えてもキモいよねえーっ」
 私たち姉妹は、毎ばん寝る前に祈るのだ。
 お母さん、早く帰ってきて。
 母親の仕事は、起業家。今は新しい会社を軌道に乗せるために、会社設立してから一年間、家に帰ってきていない。会社の名前は、『海底鉱山シーマイン』。今は日本海上にいることしかわからない。母親の役職は総司令(ホントは社長なんだけど、そう呼ばせている)。「日本のガス料金を革命するよ」と勢いよく言っていたのは一週間前の電話。
 うちの両親は夢追い人なんだ。
 悪い人じゃない。悪い人じゃあ、ないんだけどねえ。
 わかってくれる? この苦労。

 ある夜のこと。
 中学受験するわたしが勉強のために部屋にこもっていると、妹がトレーに何かを乗せて運んできた。ラーメンどんぶり。
「はい、父親から差し入れの味噌ラーメン。野菜たっぷりの。伝言ね、『べ、別にあんたのために作ったんじゃないですからね、自分のを作ったら余ったから分けてあげるだけなんだから。カン違いしないでよ!』」
「はいはい、ありがとうございます、ってね」
 勉強を終えて、どんぶりを片づけようとキッチンに行ったのは、午前一時。父親の部屋からうす明かりがもれていた。
 さいほう箱と、未完成のメイド服と、いねむりしている父親がすき間から見えた。父親のあごには不精ヒゲがだいぶ伸びていた。灰皿代わりの空き缶に、まだ火もつけていないタバコが一本。
 やっぱり、この人は男の人なんだ。母親役(しかも変なキャラ入ってる)までこなすのは無理があるよね。
 わたしはそっとドアを閉める。
「お父さん、ありがとう」
 なんて、口に出しては絶対に言わないけれど。
 キッチンに散らばっている食器でも洗いますか。
 今日も小さな人がちょっといいコト、やりますよ!
 深夜だから、今日は一号だけの出動です。

 わたしの家には小さな人が住んでいる。誰も見たことはないけれど。
 
 
-了-
 
 
(※作家でごはん! 鍛錬場・三語即興文投稿作品【空き缶】【ラーメン】【紙袋】)

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2006.02.07

『置き時計の裏に、いまでも』(二枚)

 玄関の置き時計の後ろに手紙を書いておくのが我が家の習慣だった。
 小学生だった私には手が届きにくくて、赤いランドセルを踏み台がわりにして手紙を取ったのを覚えている。真面目な小学生の私が使っていたランドセルは、中身に教科書とノートの全科目分が入っていて、もうしぶんない働きをした。
 開いたメモには家族の手書きで「ちょっと買い物に出てきます 母」だとか「部活で遅くなります 兄」だとか。
 ずっと続いている。
 ほかの家では台所の冷蔵庫に貼ったメモだとかホワイトボードだとか、キッチンテーブルに置いたメモ用紙に書いておくものらしいけど。我が家の場合は、これが流儀。もともとは、そそっかしい母が履き物をつっかけてから伝言を思い出して玄関先で走り書きしたのが始まりだったと記憶している。なんでも始まりというのはそんなもんよね。
 兄と私が小学生だった頃には小さなメモ用紙だったのが、今では小さめのノートになった。
 二、三年前から家族が三人とも携帯電話を持つようになって、伝言としてのメモは必要なくなっても、そのノートは終わりそうになるたびに母か、兄か、私が買ってきて、続いていた。
 家族からの手紙だから。

 今日、社会人二年目の兄は、飲んで帰ってきた。大学時代からの恋人とついに結婚話が持ち上がりかけているのを私は知っている。そのせいか、彼はおちゃらけてこんな風に書いた。
「天国には美人がいますか? そちらで再婚してはどうですか?」
 私が大学進学を報告したのは一週間前。今日は、天気を報告した。
「今日は、みぞれが降りました」
 父が亡くなって、五回目の命日。
 母はなんて手紙を書くのだろう。


-了-


(※「作家でごはん!」三語即興文投稿作品:置き時計、みぞれ、美人)

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2005.08.26

『ヒグラシの日』(四枚)

 夏の終わり、アスファルトの裂け目に小さな塊を見つけた。木の実かと思ったがさにあらず、セミの幼虫だった。地表に出ようとしたものの、隙間が狭すぎたらしい。茶色い体にはすでに命は失われてなく、小さく伸ばした鎌状の前肢が、まさに消えようとする魂の最後の試みを示していた。
 スカートの裾に気をつけながら、私は指先をその裂け目に伸ばした。
――もしもこの舗装道路にわずか数ミリメートルの慈悲があったなら。
 と、そう思ったから。
 白っぽい表面と違って、裂け目の中は濡れたように黒い。凸部に指の腹をかけ、力を込めてみた。一見脆そうに見えたのだ。しかし、指が白くなるまでがんばっても、動かない。セミの幼虫がつかめなかった未来への道は、私のあがきなど知らぬかのように、閉じたままだった。
 風がやみ、残暑に焼けたタールの臭いが埃と混じって鼻の奥に侵入した。
 母校の中学からの帰り道だった。八月下旬の日暮れにはまだ間がある蒸し暑い時刻、緑の葉がわさわさと揺れる木陰を見つけるや木の幹に腰で寄りかかるような格好で立ち止まった。ほっとすると、頭が白くしびれたようになって、口からは長い吐息が漏れた。冷たいコーヒーを喉に流し込みたくなる。このあたりに自動販売機があったかしらと記憶の紐をのろくさとたどり始めた頃、ふと地面にそれを見つけたのだった。
 私は母校でボランティアをしていた。夏季休業の間、補習授業を実施することになり、教育学部の三年生の私に声がかかったのだ。
 十日の奉仕活動のうち七日が過ぎ、私は何とも言えない徒労感に囚われていた。
 ――中学生って、こんなだったかしら?
 私より若い、ぴちぴちの子どもたちを想像していた私は、期待を裏切られた気がした。
 勉強は押しつけられるもの、人生は押しつけられた課題を手を抜いてやり過ごせばそれですむもの、そんな姿勢が嫌でも感じられてしまうのだ。いくら教えても、覚えようとはしない。早く時間が過ぎればいい、冷房の当たる自室に戻りたいと思っているのが表情からまるわかり。
――だらしない。
 私は、自分が抱いた気持ちが嫌悪だと知って驚いた。教えることが、子どもが好きだと信じて疑わなかったのに。自分がもしかしたら教員に向いていないかもしれないと気づき、一度にさまざまな感情が波になって襲いかかってきた。驚愕、落胆、不安、自己嫌悪……。
 昨今の教員志望者にとって、現状は厳しい。教員採用倍率はじつに八倍である。母校のボランティアに参加したのも、これが自分に何か有利に働くかもしれないという気持ちがなかったと言えば嘘になる。しかし、おそらく何の足しにもならないだろう。私には教員になることしか頭になかった。できるだけ採用試験に落ちることは考えないようにしていた。でも、こんな私は教員志望者としてふさわしいと言えるだろうか? どんな生徒をだって喜んで導いてゆけるのが教員に求められる資質ではないのだろうか?
 そんなことが頭の中でぐるぐる巡って、今日はほとんど自分が何をしたかも覚えていない。ただ体の奥が重くて重くて、この肉体を置き去りにしてどこかに帰りたくなる気持ちなのだった。
 周りの木々からは蜩(ヒグラシ)の声がカナカナといくつも聞こえる。動くものは何もない。
 もういちど、アスファルトの裂け目を見る。そこに埋もれた茶色い小さな死骸に目を凝らす。
 それは美しかった。自分の未来を知らず、兄弟たちとともに鳴く夏をだけ思って生きたその子は、ほかのどの兄弟たちよりも美しく生涯を終えていた。
――生きたんだ。この子は生きたんだ、この子の一生を。完全に生きたんだ。
 気づくと、空気になま暖かい湿気が交じり始めていた。まだ時間があると思っていたけれど、ひと雨くるのかもしれない。西の空を見ると、黒い雲がその外套の裾をこちらに向けて広げつつあった。
 私は夕立に降られる前に家に戻るべく、足に力を込めて立ち上がり、赤いパンプスのヒールでいつもより高い音でアルファルトを鳴らしながら歩き始めた。
 不吉な重苦しい黒雲にはわずかに裂け目があって、そこから細い日差しがほんのわずかに漏れている。
 小さな光の筋を、私の目はしばらく忘れなかった。

-了-


※三語即興文投稿作品:「夕立」「蜩(ヒグラシ)」「アスファルト」課題「一人称で書く」

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2005.08.08

『零の命』

 二十年勤めた証券会社をリストラされて、夫が失踪した。
 八方手を尽くしても行方はわからなかった。
 私と九歳の息子の零司だけが、日常の中に、取り残された。
 貯金はまだ一年以上暮らせるだけあった。夫は自分の身以外は何一つ、持ち出さなかったのだ。私の中の冷静な私が、もう夫には生きて会えることはないのだと告げていた。それを信じていないふりをし続けてみたけれど、どこか心の奥に洞穴がぽっかり空いていて、私の気持ちを全部吸い込んでしまうようだった。
 心が、ただ黒く、空虚だった。
 何をしても感情というものが湧かない。私は何になってしまったのだろう。あえてたとえれば、洞の空いた枯れ木にでもなったようだった。
 なんとか生活資金だけでも稼ごうと近所のスーパーにパートタイマーにも出た。食品売り場の調理場だった。でも少しも続かなかった。私の半分くらいしか年齢のない茶髪の主任に怒られたから、と自分に言い訳をしてみたけれど、ほんとうはそんなことはちっとも苦になっていなかった。ミスをどれだけ繰り返しても、そのたびに怒られても何も感じない自分がいて、それだけが恐ろしく思われたのだ。
 何もしない日が一ヶ月続いた。
 ある日、ふと思い立って、私は九州にやってきた。息子の零司を連れて。関東の我が家から千キロ、新幹線で六時間の旅だった。近いのか、それとも遠いのか、あまり家から離れたこともなく旅行など何年も行っていない私には、その旅を評価することはできなかった。
 宿は長崎に取った。雲仙地獄という名前が気に入って、そこの旅館に決めたのだ。
 雲仙岳の白茶けた地肌を見上げる。四月なのに少し暑い。午後三時の空は曇っている。空気は湿り気を含み、汗を私の肌に封じ込めてしまおうとしているかのよう。不快指数はどれくらいだろう、と考えてみる。
 この山は猛々しい。つい十年前、長い沈黙を破って噴火し、火砕流が多数の被害をもたらした。ちょうどその頃、私は息子が宿ったのを知ったのだった。
 見上げた山は、薄暗い空に映えて白く、窪地が黒く沈んで髑髏の眼窩のようにも見えた。
 ぶるっと震えて両腕を抱える。手のひらの下の肌は汗ばんでいた。
 息子が畑の脇にしゃがみこんでキャベツの葉を見つめていた。
「ほら」
 指で示すので、私も腰をかがめてみる。
 葉の緑の上には小さな黄色い粒。生み付けられたモンシロチョウの卵だった。
 命はどこでも、いつでも生き続けている。この子も、モンシロチョウの卵も、かつてどんな幸せがあり、そして不幸があったのかを知らない。知らないで生きる。知らないからこそ、生きるのだろう。
「お父さん、帰ってこないかもしれないよ」
 私はそのとき初めて、子どもに父親の失踪を告げたのだけれど。
「うん。そんな気がしてた」
 零司はいつもの声で答えた。モンシロチョウの卵をただ見つめたまま。
 生きることはいつも予め知りえない不幸と隣り合わせだけど、それ自体をためらうことはない。生は何をも恐れない。生きるものは……強い。
 予約してあった旅館に、その日は泊まった。
 翌朝を迎えることになるかどうか、ほんとうは私自身もわからなかったけれど。
 朝は私たち二人の上にもやってきて、まぶしく照らした。
 零司と私は、午前中に散歩をした。ここに来るまで知らなかったのだが、雲仙は古くから国立公園に指定されている観光地で、名所も多かった。
 そのひとつに真知子岩というのがあり、有名なラジオドラマの舞台になったとかで、碑に言葉が刻まれていた。その言葉に私は引きつけられ、縛られたように動けなくなった。
 私がじっと目もそらせずにいると、横にやってきた零司が読み上げた。

「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う悲しさよ」

 悲しさそれ自体を私たちは生きるのだろう。いつか悲しかったことの記憶さえも失って忘却を知る日まで。
「ほら、行くよ。おいで」
 零司の差し出した手を握る。体がふっと軽くなった。
 息子の手に引かれて、私はもと来た道をたどっていった。


-了-


※三語即興文投稿作品:「雲」「卵」「葉」、課題「子供を登場させる」

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2005.05.08

『はりきりぶりお姉ちゃん』(二枚)

 お姉ちゃんがカルタの特訓を始めたのは中学の校内カルタ大会優勝を目指してのことなのです。カルタが得意なお姉ちゃんにとっては年に一度のビッグチャンス、最高成績は未だ準優勝……とくればはりきるのはわかるけど、迷惑です、はっきり言って。
「どうして僕が付き合わなくちゃいけないんだよ。小学生も近頃は忙しいんだから……」
「なぁに?」
 やさしい微笑みにぞっとします。
「あの、だから、今日はもう二時間もカルタの特訓をしたでしょ、だからそろそろ……」
「最近あたし耳が遠いのよね。代わりに口の滑りがよくなっちゃって困ってしまうわ。去年、小学四年にもなって布団に大漁旗を作っちゃった子の話、明日あたり聖美ちゃんにしゃべってしまいそう」
「おっ、お姉さま!」
「うふ、なに?」
「夜は長いです。カルタの特訓、続けましょう!」
「姉思いの弟を持って、お姉ちゃんうれしいわ。じゃあ、カルタ大会優勝を祈願して、もういっちょ! さあ、札を読んで、読んで!」
 はああー、と僕は心の中でため息をつきます。だって、カルタ大会は昨日終わったばかり。お姉ちゃんが優勝を目指しているのは、『次の』大会のことなのですから。

-了-


※三語即興文投稿作品:「微笑み」「大漁」「カルタ」&地の文を敬体(です・ます)
※早く、短く、わかりやすくで書いてみました。わかりやすくておもしろいというのは難しいなあと思います……(涙)

※すぐ前にレタトリンさんの作品が投稿されており、年月を重ね、破局を予感していた女性の悲哀と、予期せず訪れた待ち望んでいた歓喜が書かれていました。ううーん、個人的には難しくはないと感じるのですけれど、あれかなあ、「銀色の小さな」「おばあちゃんの形見」をはっきり書かないと読者に伝わらないこともあるのかなあ。私は書かないほうが好みですけれど(^^;


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2005.05.04

『いつかの日のアリス』(五枚)

 子どもの頃の夢を見た。つまり当然、ぼくは喘息持ちのひょろ細い天然パーマの抜けきらない眼鏡の少年で、アリスは褐色の髪を短めに刈った男勝りの少女だった。
 野球チームのピンクのユニフォームも彼女がごり押しして決めたもの。他の男子には不評だったけど、アリスには最高に似合っていた。
 アリスは9回裏の逆転ヒットを狙っていた。打席に入るとき、バットをぶんぶん振り回す。ぼくも膝の上のスコアシートから目を離して彼女を見つめていた。選手たちも全員、彼女に注目していた。
「おい、なんだあのバットの持ち方は」
 キャプテンが怒声を挙げた。ベンチもざわついた。
 無理もない。バッターボックスに入ったアリスはバットを頭の上に振りかざしたんだから。
――チャンバラ打法だ! まさか、こんなときに……。
 ぼくは絶句した。アリスとよくふざけて遊んだチャンバラ打法の構えだった。
 あれは日本の映画で見たチャンバラを真似したもの。二人で野球の練習をした時、アリスがあみ出した打法だ。ぼくがふざけて新聞紙を丸めて作ったボールを雪合戦のように大量に投げつけてやったら「必殺、チャンバラ打法」と言いながら打ち返してきた。
 あのときは全部打ち返してきたけど。最後の一発がぼくの顔面に当たって眼鏡が落ちたけど。そりゃあ、見事だったけど、でも。
 今は、野球の試合なんだよ、アリス。
 当のアリスはぼくの心配なんか知るはずもない。ぼくたちの方に向かってウィンクすると、相手のピッチャーに対してニヤリと笑みを浮かべた。そしてその瞬間に投げられる、第一球。
「ヒット バイ ピッチ!」
 誰かが叫んだ。悪球だ。アリスの顔面に目がけてボールが飛ぶ。
 そのあと聞こえたのは、硬い金属音。チャンバラ打法はデッドボールを打ち返してしまった。まさか、ほんとに?
 残念ながら打球は三塁方向に大きくそれた。ファールになった。がっくり膝を落とすベンチ。
 けど、そのあとがすごかった。普通の構えに直したアリスは、続く第二球を見事にホームランに討ち取ったのだった。あいつ、すげえ、とベンチは大沸きで、勝利の歓喜にアリスの胴上げが始まった。
――ああ、子どもの声だ。
 ぼくはその景色を遠くから眺めているかのように、目を細めて見ていた。
「当てようと思ってたわけじゃないけどね。挑発してチャンスを作ってやろうと思ったわけ。アハハハ、作戦成功!」
 アリスの声だけが再生テープのようにわざとらしく耳元に届く。
 私は目蓋を閉じる。
――煙草がほしいな。
 味方チームの喜びの冷めない声、相手チームの静かさ、しばらくの間、私は空気とひとつになった。五月の日差しが手の甲を炙り、汗の匂いを立ち上らせた。
 日々の忙しさも、金の心配もない、それなのに何かに真剣になれる時代が、ここにある。
「どうだった?」
 目の前で子どもの声がした。バットを肩にかけたアリスが、立っていた。ピンクのユニフォームがやっぱり最高に似合っている。
「こっちの道は、狂った道よ」
 バットの先をくるりと回して、胴上げされているアリスとスコアボードを投げ捨ててそこに駆け寄る子どもの私を指す。
「そして、あなたの戻っていこうとしている道も、狂った道ね」
 私の背後を指す。見なくてもわかる。そこには四角い光の扉が待っている。排気ガスとタイムレコーダーと同僚の怒声が待つ世界が。
 迷わないよ、アリス。私は口を横にひっぱるようにして笑った。そして静かに踵を下げる。そのまま後ろ向きに光の中に歩いていく。
 アリスの顔はもう光に遮られてよく見えなかった。悲しんではいないといいけど。私はチェシャ猫のように笑いを残して消えられただろうか。子どもの頃の彼女の前から。

 手術後の経過は順調だった。妻にときおり冗談を言うと、「むずかしい脳手術をしたあとの人とはとても思えない」と言って笑った。「狂った世界に戻ってきたからね、ちょっとおかしいくらいがちょうどいいのさ」と私は悪びれもせず言った。
 長い眠りから目覚めたとき、朝焼けに染まった彼女の白いシャツがとてもきれいなピンクに染まっていたことを、私はきっと忘れない。


-了-


※三語即興文投稿作品:【チャンス】【チャンバラ】【チェシャ猫】「大人の時間を感じさせてください」
※えーと、タイトルは森鴎外先生の『ヰタ・セクスアリス』のもじり、ということにさせてください~。
 (森羅万象さん、もじってみました、ごめんなさい(^^;)

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2005.05.03

『姿見二枚』(五枚)

 二枚の姿見を、私は隣り合わせに並べておいたはずだった。けれどいつのまにかくの字になっていたらしい。私のと、亡くなった私の母のと、お互いがお互いを映し込んでいた。もうこの家には私以外の人は住んでいないから、きっと掃除の時にでも自分で動かしたのだろう。
 何の気なしに鏡の中を覗いてみたらゴジック体の『JR東日本』が見えたので気づいたんだ。小窓から見える駅の看板。どうもおかしいと思ったら、文字がちゃんと読める。鏡に映ったら普通は文字が左右反転するはずだから。
 それにしても『JR東日本』は気づきにくいなあ、と思う。ほとんど左右対称に近い。でも、『IT東日本帝国』とか『富士山景ハ美ニ見エ』とか(なんじゃそりゃ)じゃなくてよかった。ぎりぎり、助かった。
 鏡の中の世界は左右が反転しているなんて言われるけれど、あれは嘘だったんだなと思った。私の目にはこうして左右が正しい『JR東日本』が見えている。
 鏡の中の鏡はいつも正しい。
 もしも鏡の中に人が住んでいたら、そしてその鏡が二重に映し込んだ鏡の中だったとしたら、きっとそこは鏡の中だなんてその人は気づかないに違いない。
 一人暮らしには馴れたけど、鏡の中の私に会ってみたいな、なんてちらっと思わないでもなかった。
 頭をひとつ振る。
 鏡の中だと思うと、左右が逆になっていないだけに、私の暮らす家も窓の外もむしろ幻想的に思われた。これはいい見物だと思った。
 ふと気になって片目をつぶって下から空を見上げてみたら、本物とまったく違わない太陽が黄色く私の瞳を焼いた。私は小さい悲鳴の形に口を開く。私は自分の愚行を悔いたけど、でも網膜の痛みがうれしかった。まるで痛みがあるから私は生きていると思えるようだったから。
 刹那、鏡の外の私が姿見に手をかけた。
 とたんに私の世界はそこで閉じてしまった。
 ぱたん。
 
-了-


※三語即興文:「看板」「隣り合わせ」「見物」追加ルール:主人公は一人暮らし
※なんだか文章がこなれていません(^^;

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2005.03.30

『釣られて、俺』(五枚)

 透のやつは、中学生になった途端に、俺が与えてやった釣り竿を放り出した。
 最近はどんな遊びをしているんだい、と聞いたら「気持ち悪いから、猫なで声を出さないでよ」。いつからこんな生意気を言うようになったんだ。
 父親に買ってもらったパソコンに夢中になっているらしい、とは聞いている。「そうだ、一緒にネットトレーディングやってみたい?」と、俺を誘ってきた。ネットトレーディングというのは、パソコンで株式の売買をすることらしい。
 中学生が株だって? 世も末だ。そんなもんに手を出したら身ぐるみはがされるのがオチだ。父親もよく許しているものだ、けしからん。
 それに今さらパソコンも株も、とんとわからん。
 体が定規通りに行動するようにできてしまっている。カネは自分の体で汗水垂らして稼ぐもの。そんな考え方が骨の髄まで染みついている。
 真面目だけが取り柄の、賭け事をしたこともない俺が株だって? 狂気の沙汰だ。
「一緒にやらないなら、名義を貸してくれない? いい優待があるんだよ。半年にいっぺん五千円の食事券が株を持っているだけでもらえる。いいでしょう?」
 食事券というのには心が揺らいだ。だが、損をすることだってあるはずだ。
「あは、怖いのは信用取引さ。下手を打つと追加保証金が必要になるからね。先祖代々の田畑を売り払って借金を返済、なんていう泣けるパターンは信用に手を出した時だけなんだよ」
 透の目が、俺の目と出会った。なんだ、この目の輝きは。
 久しく思い出さなかったが、初めて透を釣りに連れて行ってやったとき、あれは夏の夜の鯰(ナマズ)釣りだったか、あの時の目だった。好奇心。
「お前、透」
 俺は思いっきり目玉をひん向いて小僧を睥睨(へいげい)してやった。鯰の目玉並にギョロっと動かした。声も蝦蟇(ガマ)のダミ声を出してやったさ。
「今お前、俺を馬鹿にしただろう。首をそんなに振ってもわかっとる。ちょっとは、思っただろう」
 透はびっくり仰天といった表情で固まっていた。
 そこで俺はニヤリとやった。
「いいか、お前よりちょっとばかりてっぺんの毛が薄いからって、俺を舐めるなよ。いいじゃねえか、ネットトレーニング、上等だ。俺にやらせてみろ。お前に必ず勝ってやる。男と男の勝負と行こうじゃねえか」
 透は唇の端をぴくぴくさせていた。笑いを堪えているように見えるが、緊張が高まった証拠だ。
「やいやい、どうなんだ? 誘ったのはお前だぜ」
 促すと、ひとつかぶりを振って、にっこりと笑った。中学生なんてのは、まだ子どもだな。泥まみれになってついてきた鯰釣りの時と、何も変わっちゃいない。変わっているはずがないんだ。
「わかったよ。釣りを教えてくれたお礼に、ちゃんと教えるよ。ただし、厳しいぜ?」
「バカヤロウ、こっちは小学校しか出てねえんだ、丁寧に教えろい」
「なんだよ、自分は最初の釣りのときにこっちを置いてどんどん先に行っちゃったくせに!」
「昔のことは忘れた」
「ずるい!」
 まあ、あと十年もして、この子に残してやれるカネがちょっとは増えると思えば、俺だって必死になれる。そうすりゃ、パソコンだろうが株だろうが勝機もあるってもんだ。そうだろう?

-了-


※三語即興文投稿作品:お題【「定規・狂気・勝機」追加ルール)主人公の年齢を明記せずにどの年代か分かるように】
※女性主人公が続いてしまったので、反省(?)を込めて、こういうのを書いてみました。

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2005.03.27

『ノロウィルスと私』(五枚)

「味噌あん柏餅が食べたいって? ダメダメ、日本中が秋だっていうのに、そんなもん売ってるわけないでしょ。月見団子ならたっぷりあげるけど。いらない? 気分じゃない?」
 電話の向こうに団子を届けられるわけがないけどね。
 この季節感覚のずれが、ちょっとおかしな気分。
 和志のいるタスマニア島は、今がちょうど春の盛りなのだそうだ。私が残された日本は、正反対の秋。告白された思い出のポプラの木も、黄葉が始まっている。去年のあのときと同じ色。でも今年は淋しさの黄色。
「俺が留学でこっちに来た五月にポプラが黄色くなっててさ。なんか、思い出した」
 下宿のそばの、いつものパン屋さんの店先にポプラの木があるそうだけれど。そのお店がまるで『魔女の宅急便』の映画に出てきたパン屋さんみたいだと言っていた。私はこっそり、店主のおソノさんを思い浮かべて、和志が一目惚れする確率を計算する。……ゼロパーセント。でも私の数学は赤点ギリなので、この数字に希望以上の意味はない。
 今も机の上に数学2の教科書が置いてある。野呂昌美、という油性ペンで書かれた私の名前が不作法だ。
「食べ物と言えばさあ、日本は狂牛病と口蹄疫のせいで牛肉の輸入規制してるんだよな」
 おや、日本にいるときには新聞も読まなかった和志が、こんな話題を振るなんて。
「そうね。でもアメリカがライス国務長官を直々に送り込んできたから、もう輸入規制も長く持たないでしょ」
 健全なるインターナショナルな話題をひとしきり交わす。
 タスマニアは今、小型球形ウィルスで大騒ぎになっているそうだ。カキとか海産物がやられているらしい。
 やけに聞き慣れない名前だと思ったら、日本では正式名称がノロウィルスと変わったらしい。和志のやつ、私の苗字が野呂だからって気を遣ったな、と思った。
 ウィルスについては、高校の生物で勉強したばかり。
 遺伝子と。それを包むタンパク質の殻でできたシンプルな物体。それがウィルスだ。
 生物と非生物の中間の存在だと言われている。その理由は、ほかの生物の細胞に自分の遺伝子をコピーさせることで増殖するが、自分では生殖する機能を持たないことと、完全に無生物として取り出したりもできること。……と、これは教科書と参考書の受け売りだ。
「昌美、聞こえてる? 回線切れてない?」
 いけない。自分の考えに入り込んでしまって、和志を心配させてしまった。
「ごめんごめん、聞こえてる」
「心配したよ」
 とつぜん、私はこんな質問をぶつけてみたくなった。
「ねえ、どうして私の声が聞こえないと心配になるの?」
 和志は私のヘンな質問に面食らったようだった。電話ではもちろん見えないけれど、目をぱちくりさせている顔が思い浮かぶ。
 しばらくして、
「昌美と話してないと、いつも不安だよ」
 声のトーンがいつもよりずっと低かった。
 私は突然、まぶたに熱を感じてびっくりした。あれ、あれ、どうしたんだろう。
 動揺をごまかそうとして、私はほとんど考えなしに言葉を継ぐ。
「ねえねえ、たまには苗字で私を呼んでみてよ」
「え?」
「一年前みたいにさあ。ねえ、呼んでみて。何度も」
「野呂」
「うん、いいね。もっと」
「野呂、野呂、野呂昌美……」
 私も、ウィルスみたいだな。
 和志の声を聞いている間だけ、生きている気がする。ほかの時間ぜんぶを無生物のように無感情に過ごして、そして今だけ精一杯生きている。すると、和志は私の宿主か?
「あはははは」
 おかしな思考のあげくのおかしな思いつきに、私は思わず声を出して笑ってしまった。
「なんだよ、昌美、お前、ヘン」
 和志がちょっと怒った声になる。
 お返しに私が名前を連呼したら、どう思うだろう? この人は、笑うだろうか。
「和志、和志、和志……和志」
 私は最後に「好きだよ」ってつけ加えた。
 小さく唇だけで言ったのだけれど。
 和志が受話器の向こうで顔を真っ赤にしたのがなぜだかわかった。

-了-


(三語「味噌あん柏餅、月、小型球形ウィルス」女の子の会話であること)
※長いかも? また未投稿になるかもしれません~(^^;

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2005.03.21

『バカトモ?』(八枚)

「上島徳子ォォォォ」
 また、あのうっとおしい声が背後から聞こえてくる。登校時くらい忘れていたいものだ、あいつのことは。
「今日は、ちょっと、寝坊した、けど、負けねーぞ、俺の方が、早く、登校、して、やる」
 伏山太吉が息を切らせかけながら横に並んでこんなことを言ってきた。無理して長いセリフを言うもんだから、最後の方はとぎれとぎれだ。思わず笑いそうになって、顔を背けてごまかす。
 こいつは何かにつけて私をライバルと呼び、勝負を挑んでくる。今みたいに。
 けど、残念ながら伏山は馬鹿だった。あんなに遠くから私に大声で話しかけたら、私は追いつかれる前に走り出すに決まっている。私がもし亀でも、そして伏山がアキレスでも抜き去ることはできないに決まっているのだ。
「いちいち突っかかってくんな、伏山!」
 まずでっかい声を投げつけておく。それから私は華麗な走りで校門をくぐり、振り向きもせずに教室に向かった。
「まだ、負けた、わけ、じゃない、ぞぉぉ」
 遠くから声だけが追ってきた。
 授業中。
 伏山の馬鹿は、私が手を挙げようとするのを待って先に手を挙げる。
 まあ、それはいい。ライバル視されれば張り合いも出る。勉強がはかどる。数ヶ月後に迫った入試で難関の私立泰斗高校に合格することに役に立つ。
 でもどうして?
 給食の時まで私と競争しようとするのは、どうしてなんだよォ。
 私は女子の中でも食べるのは遅い方なんだぞ。その私に大差をつけて勝利し、意気揚々としている伏山は何なんだ。
 掃除の時、私が掃除を任される範囲までさっさやっちゃうのは、どうしてなんだ。その挙げ句、一部の女子に「伏山はあんなこと言って、上島が好きなんじゃない?」と言われて引っ込みがつかなくなり、私たちの班の分担を全部やる羽目になったりして。でもそれは一週間も続かなかったけれど。笑えたけど。
 そんな無駄でしかない努力を払ってまで私に勝ちたいのか? 勝ってうれしいのか?
 私にはさっぱりわからなかった。言っておくけど、私は特別なことは何もない、つまらない人間だ。成績はたしかにいい方だけど、学年でダントツというわけじゃない。現に泰斗に合格できるかどうかは、母と担任の先生と三者面談を繰り返しているものの、
「あと一歩……」
 と言われ続けている。
 冬休みが近くなったある日、私は伏山に驚かされることになった。
「俺も泰斗を受けるからな、上島」
 馬鹿を言っちゃあ、いけないよ。私は思わず心の中でマイクを握りしめて叫んでいた。
 受かるわけがない。
 でも伏山は本気だったようで、記入済みの願書を私の目の前に突きつけて、言い放ったのだ。
「受験で、お前に勝つ。最終決着をつけてやるからな」
 馬鹿の考えていることは、わからない。私は伏山のことが心配になった。
 しばらくおいて。
 私は恐るべき未来を予想して鳥肌が立った。
 もし落ちたら……?
 私と伏山の勝負(勝手にあいつが言っているだけだけど)は『引き分け』になるんじゃないか!?
 あいつが受かるわけないからね(ひどい!)。私が落ちて引き分け、これが考えうる最悪のパターン。だったら何よ、今までのへんてこりんな勝負の結果は全部全部なかったことになって、最終的に私とあいつは『引き分け』ということで歴史に残る(?)ことになるわけ?
 私は必死に勉強しましたよ、したともさ。
 およそ二ヶ月後。泰斗の合格発表の朝。
 泰斗の合格者に、やっぱり伏山太吉の名はなかった。
 私は、受かっていた。
 夜、私に電話があった。
「もしもし、上島? 伏山だけど。お前なら絶対受かるって思ってたんだ。俺? 俺なんかだめに決まってるじゃん。そりゃあ勉強に手抜きはしなかったけどさ……おめでとう。もう会えないけど、がんばれよ。泰斗に行ったら、俺なんかよりずっと手強いライバルがいっぱいいるんだぜ」
 あっさりしてた。なんだよ、勝負じゃなかったの?
 もしかして、私を励ますために受験で最終決着なんて言ってくれたとか?
 まさか……ね。伏山は馬鹿だし、そんなことあるわけない。
 あるわけないと思ったけれど、でもどうしてもそうとしか思えない自分がいた。
「伏山、もしかして勝負だなんて言って……私を応援してくれたの?」
 おそるおそる、聞いてみた。
「うん、まあね」
 あっさり肯定されてしまった。どうしよう。
「なな、なんでよ?」
 動揺する私。そしてなぜか照れながら、でもつかえてたものが流れ出すようにしゃべりはじめる伏山。
「あれ、もしかして、やっぱり全然忘れちゃってた? ナハハハハ、そっかあ、そうだよなあ。あのさ、一年の時、お前すごい熱を出して学校に来たことあったじゃん。俺あのとき保健委員でさあ。給食の時に真っ青な顔をしていたお前を担任に言われて保健室に連れてったんだよ」
 すごい熱、それは覚えている。でも伏山が保健委員だった? そうだっけ。
「お前、熱でモーローとしてたからな、覚えてないんだろ。その時、俺お前にひどいこと言った。『なんで無理して学校なんか来るんだ、人に迷惑かけてまで来なくていいだろ、休めてラッキーじゃん』って。いや、俺の本心じゃなかったんだ。ただ、給食が食えなくて俺の腹がそう言わせたんだ。信じてくれ」
 べつにいいよ、言い訳しなくても。覚えてないし。
「でさあ、そのときお前言ったんだよ……泰斗のこと」
 ああ、思い出した。今までずっと忘れていたのに。受験に真剣になるなんてみっともないから、私は誰にも言いたくなかったんだ。あのとき、たしかに保健室で言った。熱のせいだったんだろう。その相手が伏山だったのか。
「言っただろ、『私は負けたくない。熱にも、あんたにも。私はきっと泰斗に行くんだから。学校を休んだりしない』って。俺、あのときのこと、ずっと気になっててさ。お前が本当に泰斗を受験するって聞いて、でもなんかこのごろ表情暗くてさ。あのときの負けん気を思い出してほしくて……。まあ、まあ、まあ、そんなことを思ったり思わなかったりしただけ。お前じっさいすげーよ、ちゃんと泰斗に受かるんだからさ。あ、それとさ、あのときひどいこと言ってごめん。それだけな。じゃあな、泰斗でがんばれよ!」
 最後は一気に早口でまくしたて、私に何も言う暇を与えずに、伏山は電話を切ってしまった。
 部屋にも窓の外にも音が消えていた。
 私は、自分が友情を知らなかったことを知った。
 こぶしを膝にぐっと押し当てた。胸の中で痛いほど強く動いている心臓の拍動を数える。何百数えたか忘れる頃、やっとそれはゆっくりになり、感じ取るのもやっとのくらいに小さくなった。私は立ち上がり、連絡名簿を開く。
 ゆっくり、番号をプッシュする。


-了-


(※三語即興文未投稿作品:お題「友情、努力、勝利」追加ルール「少年漫画的なものを目指して」)
このところ、コメディ・タッチというか、くだけた作品を書いてみたかったのです。
そんなこともあって、このお題で書いてみようかなあ、と軽い気持ちで書きました。
案の定長くなりました(笑)。
ここにひっそりと置いておきます(^^;

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2005.01.27

『初雪に往ぬ』

 ボクの飼っている小型犬の名前は“ハツユキ”といった。初雪の日に拾ってきたから。
 大食の彼の体色はほとんど真っ白だけど、じつは老犬ゆえに退色しているだけなのだった。遠目にはまさしく雪のような白に見えるものの、近づいてみれば修正液を適当にハケで塗りつけたみたいなまだらが目立ってみっともないといったらない。こいつはけっこうボケも来ていて、健康のために毎朝ごはんに混ぜて食べている松の実をドッグフードと間違えてモシャモシャ食うわ(気づかないのか?)、寝ぼけて散歩に誘ったボクの足に牙を突き立てるわ……。普段はセールスマンにさえ吠えない駄犬なのに、こんなときばかり威勢よくガブリと噛んで、おまけに歯だけは豚骨をガリガリやるほど丈夫なもんで、足がずいぶん腫れた。かわいさもこうなるとかえって憎らしいもんだ。
 あの日は散歩を急遽とりやめて、妻に消毒液から包帯から取ってこさせて大騒ぎをしたっけ。元通り捨て犬にしてやる、と冗談半分で怒って見せたボクを「何言ってるの、老人が老犬を見捨てるなんて、仲間意識が足りないってものよ」とやんわりたしなめてみせた妻があのときは、いた。
 今日みたいな寒い日は、くるぶしのあたりにその痛みが甦る。じんわりとした痛み。でも、これが妻に先立たれたボクの、生きている証、数少ない証なのだ。
 一ヶ月前の初雪の日、ボクの犬も妻の元に往った。


   つまゆきし そらの初雪 いぬよいぬ


-了-


(三語即興文:『初雪、小型犬、修正液』『牙 ボタン 松の実』追加ルール『痛覚(痛み)が作品中に出てくること』『独身男性を登場させる』)

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2005.01.21

『いばりんぼ』(三枚)

 紙コップの中に“いばりんぼ”が入っていた。いつもの塾に通う道すがら、公園の自販機で買ったミルクティー。私が手に取るともうひとつのコップがぽんと飛び出してきて、中にいたのだ、そいつが。
 梅の実を一回り大きくしたくらいの大きさで、ベッコウのようにつやつやした深みのある表皮は無数にひび割れしている。ほとんど黒目しかない大きな目玉をふたつ、くりくりさせ、ときどき跳ねる。私はあられせんべいを思い出して思わず腹が減った。
「やいやい、今は何時だ。こう寒くては夜が待ち遠しくてかなわん」
 “いばりんぼ”は威張り腐っている。そのくせ、どこか淋しげだ。
「どうして寒いのに夜のほうがいいのさ。それにどうしてそんなに威張っているのさ、“いばりんぼ”は」
 元黒飴みたいな目玉をぷるりとふるわせた。返事をしてもらえてうれしかった……のか? じゃあ私と“いばりんぼ”はおんなじだ。
「お前は誤解をしている、誤解を。やいやい、寒いのが悪いなんて言っていないぞ」
「そうだっけ。どうでもいいけど」
「やいやい、投げやりな態度、よくないぞ。予はこう言ったのだ、『こう寒くては夜が待ち遠しくてかなわん』と」
「かなわん、と言ってるじゃないのよ」
「そうだ、まったくかなわん。予のふるさとは小熊座の妙見なる天空の光、極寒の星よ。こう寒くては恋しくてかなわん。やいやい、何時だ、問うているのが聞こえんか。星は見えるか見えないか」
 紙コップの中でカラコロと転げまわる。
「もうじき五時。星なら見えてくる頃だよ」
「なんだって。ああ、待ち遠しい。待ち遠しい」
 待ち遠しすぎたのか、“いばりんぼ”ははじけてしまった。殻がふっとんで、中からたんぽぽを思わせる綿毛が出てきた。私はチャンスとばかりに息を吹きかけて本体を探ったけれど、毛深すぎて地肌は見えなかった。残念だ。
 駅前の六階建ての建物が私の目的地だ。
 塾の玄関をくぐる頃、猛烈な北風が吹いて、“いばりんぼ”の姿は見えなくなった。ふさふさの毛があだになったらしい。私は授業の合間に友達全員にこのおかしな出来事をメールで知らせた。友達といってもたったの五人だったけれど。
 “いばりんぼ”のことはしばらく見なかったけれど、一度空き地のいたどりの白い房の上であられせんべいのような赤い塊が跳ねているのを見かけたから、元気にしているのだろう。小学生の男の子、女の子達が何人もあいつを取り囲んで一緒に跳ね笑っていた。
 私もこのごろ友達が増えたよ……と、心の中で呼びかけた。

-了-


(三語即興文:お題「いたどり・小熊座・紙コップ」「ほほえましい話」)

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2005.01.10

『雨の動物園』

 雨はまだ降っている。今日は一日だけ、「毎日目を通し、情報を集めるように」と上司に命じられているTVにも新聞にもラジオにもさよならして、動物園に来ている。カイシャでいう毎日とはつまり月曜日から金曜日のことなのである、と、ぼくは勝手な解釈をしている。そうして、月末の日曜日にはスケッチブック片手に自転車で近所の市営の動物園に来ることにしているのだ。
 サラリーマンになって一年と九ヶ月ばかりが経ったけれど、ぼくは未だにカイシャのシクミというものに慣れない。仕事が嫌いということはないけれど、気がつくと一週間が知らぬ間に過ぎ去っていることが多くなった。仕事をして、部屋に帰って、食事をして寝て起きて、そのサイクルの中には記憶にとどまることなんてほとんどなくて、つまりはぼくは一週間前のぼくと何も違わない。一週間生きた分、老いて、この先の人生が少なくなり、その結果、いくばくかの通帳の残高が変わるだけのこと。考えもせず、記憶にも残らない時間が増えたことは下半身のほうからちりちりと焦げるような錯覚をぼくに起こさせた。漠然としすぎているけれど、今のぼくがどこにもいないような、不安だった。
 だから、ぼくはサイフが寂しくなってくる頃の日曜日には動物園に来る。そしてスケッチブックを広げて動物の絵を描く。小学生の頃は漫画家になりたかった。中学にはいるとすぐに漫画に飽きて、油彩にのめり込んだ。自由に描けることがうれしかったのかもしれない。大学は美大を希望したが、就職難の現実を両親に説かれてあっさり変更し、絵は趣味とも言えないくらいに遠ざかった。無難に卒業して無難な就職をした今でもどこか心の安らぎを絵に求めるところがぼくには残っている。ただ、それに気がついたのがこうして仕事に疲れたからこそなのは皮肉なことだった。
 自転車のスタンドを立てるやいなやパラパラ降ってきた雨を憎らしく思いながら、レストランに入って止むのを待っている。ここは壁面が大きなガラスになっていて、ぼくの座っている窓際の席からはクジャクのいる禽舎とその向こうのサル山のコンクリ製の絶壁が見える。雨はあまり激しくないが視界を煙のように灰色一色にする程度には降っている。だからクジャクの目の覚めるような紺と碧のまばゆさもうかがえないし、ガラスの表面でふるふる揺れる水滴の屈折光のおかげでサル山はまるでモザイク画のようだ。こういう日もあるさ、とぼくは独り言をつぶやいてスケッチブックを広げた。ガラス越しのスケッチというのはテレビを見て描くようなものでどこかすっきりしない気がしたけれど、こういうときにしか描けない絵だってあるだろうさ。たとえば灰色一色の絵が一枚、スケッチブックの中に紛れているのなんか、どうだ?
 突然いなびかりがさっと走り、パシャーンという自動車が水を跳ねたような音がした。ドロドロという竜のうがいみたいな音が聞こえて、やっとその頃に、冬にだって雷雲が発生することがあることに思い至った。網膜にこびりついたのは、ふいをつかれてびっくりした、ガラスの向こうのぼくの顔。
 そういえば、ヒトという名前の動物もいたっけな。ぼくは小学生が初めてダーウィンを知ったようなことに今さら感心して、お気に入りのステッドラーを灰色の紙に滑らせた。 おもしろい絵になるかどうかは、わからない。いや、たぶんあとになるほど恥ずかしい一枚になる気がする。それでもいい。
 雨の動物園で、ぼくはぼくを記憶してゆく。


※三語即興文「TV、新聞、ラジオ」、追加ルールは「ⅰ)雨はまだ降っている」で書き始める

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2004.12.11

『鯉濃 恋し』(三枚)

 うろこ雲を見上げていると、ふと鯉濃(こいこく)が食べたくなった。
 なんの変哲もない、いつもの仕事帰りのアスファルトとコンクリートの舗道に、郷愁を感じる景色も匂いもあるはずはなかったのだけれど。
 私の育ったところではありふれた料理で、鯉の切り身を入れた味噌汁のことを鯉濃という。中学の頃まで元気だった祖父が近所のため池に行っては鯉を釣ってきて、その日の晩は決まって鯉濃が出た。
 私は鯉の野暮ったい肉の味も歯触りも好きではなかった。おまけに母の調理法が悪かったのか、もともとそういう料理なのか、鯉の骨も多くて食べにくかった。だから、下校して祖父が釣りに行ったとわかると、「ボウズ、ボウズ……」と念じたほどだった。そのくせ、帰ってきた祖父の表情が暗かったりすると、申し訳ない気持ちで喉の奥が詰まる思いがしたりもするのだった。わがままなくせにナイーブな……つまりは、やはり子どもだったのだ、私は。
 それももう三十年ほども前に過ぎた時間の、風化した思い出。
 もう人生の半分以上は、都会に出て一人暮らしをしてきた。食事もいつも簡単にすませてばかりいて、手間などかけるのはせいぜい友人を招いたときくらいのもの。それだって、料理本と相談しての教科書通りのレシピ、おもしろみも何もない。幼い頃に食べた郷土の料理なんて、自分では作ったこともないのだった。
 鯉濃の味が今頃懐かしくなるなんて、おかしなものだ。
 いつも足止めされる駅のそばの踏切が、疲れて帰る人々の群れの中で今日もカンカンとひとり空騒ぎをしている。
 一日のうちの、この時間だけ、電車の写真を撮るのが趣味だった人のことを思い出す。その人から昔もらった恋文の、宛名書きを切り取って財布に入れ、お守り代わりにしている。
 彼とは結婚しなかった。たしかに愛はあったのだけれど、結晶せず、そのまま冷えて固まった。けれど。結晶しなかった思いは、岩石の中のガラス質のように透明で、綺麗なままなのだと思う。私の幸せは不安定なガラスの透明さのように、今もあって、そのまま死ぬのだ。だから、私は私の気持ちを愛する。
 今日の踏切はいつもより長く感じられた。
 私は踵に力を込めて、くるりと体を反転させる。後ろ頭を見ているだけではオブジェのように視界から消えていた人の群れが、私に表情を見せる。私は百メートルほど手前で通り過ぎたスーパーに向かって歩き出す。「すみません」と謝りながら。鯉の切り身が売っていたのを見かけたことがある。今日売っているかはわからないけれど。埴輪のように無表情だった人たちに表情が戻って、少し微笑んで道を空けてくれたり、しかめっ面で肩だけひねってよけたパフォーマンスを見せたりした。中には「人が通るよ」と後ろに声をかけてくれる親切な人もいた。
 人混みを抜けてほっとしたとき、さっきの声、彼に似ていたと思った。
 カメラを持って全国の鉄道を巡り、私に一度だけ手紙をくれた人。どこでどうしているのかも知らない彼に。
 振り返ってみたけれど、人の波はいつものオブジェに戻っていて、おまけに誰が彼とも判別できそうにない時刻に差し掛かり、声の主もどこに行ったか、もう今となってはうかがい知れないのだった。遮断機が上がり、オブジェの群れは緩慢に遠ざかっていく。
 思い出した。
 手紙に同封されていた鉄道写真に、そういえば見事なうろこ雲が写っていたのだった。
 もうなくしてしまった写真と時間に私の気持ちが少しの間だけ、吸い込まれた。

-了-


(三語即興文:「鯉」「恋」「結晶」で追加ルールは「夕方の話で」)

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2004.12.10

『スターフィッシュ』(二枚)

 風があまりに強かったんで、ぼくたちは高校生にもなって、自転車の背を押されるままに冬の荒磯に向かった。午後のペダルは学生ズボンの裾を巻き込みそうになりながらも、軽い。幼なじみのナギと一緒なのはとても久しぶりのことだった。一時間だけ過ごしたら、夕凪の間にぼくらの町に帰るとしよう。
「見て見て、ヒトデ」
「なんだよヒトデくらい。珍しくもないだろ」
「珍しくないよ。でも、こいつら冬眠しないんだねえ。寒くないのかなあ」
「この時期は海中のほうが温度も安定していて過ごしやすいくらいじゃないかな。それにヒトデは十一月頃に産卵するんだ」
「へえ。そんな寒い時期に生まれるのか。じゃあヒトデはみんな風の子だね」
「俺は五月生まれだから、ここは寒くてかなわないよ」
 じっさい、そろそろやむはずの風はまだまだ強くて、さっきから耳が痛い。
「あはははは。仙太郎は火の子だ。コタツで丸くなってミカンを食べるのがお似合いだ」
「ナギこそ、ナントカは風邪を引かないって言うからな。うらやましいぜ」
 ぼくが返す憎まれ口なんか、彼女のあだ名の通り、ヤナギに風。
「馬鹿は良いよ、難しいこと考えないから肩も凝らないしね。仙太郎みたいに体中の血行が悪くなると風邪だってすぐ引いちゃうんだよ。もっと馬鹿になれ、仙太郎。ほら、手裏剣シュシュシュ」
 何か投げつけてきた。ヒトデの死骸だ。五本の腕(足か?)が容赦なくぼくの腕と言わず胸と言わず突いてくる。
「いていて、いてっ。馬鹿、これ固くて痛いぞ」
「へえ、効果ありか。スターフィッシュというくらいだから、魚みたいにぬるぬるしているかと思ったらざらざらだし」
「スターフィッシュ? 馬鹿だと思ったら、しゃれた単語を知っているじゃないか」
「星、好きだからね」
 ぼくたちはそんな会話をして磯を引き上げた。予定を超過したけど、久しぶりに一緒に過ごすナギは前と変わらなくて、ぼくは安心を得る。
 自転車にまたがろうとしていた時、燃え尽きる前の蝋燭のような弱々しい赤い空に浮かぶガラス玉のきらきらが何粒も見えた。言葉もなく眺めていると、ナギがこんなことを言ってきた。
「今日が死んでも星は巡っているよね」
「え、何?」
「今日が終わっても、それは私たちの中で区切りだけなのよ。星は巡っていて、また次の今日がやってくるのを数えているんだよ。――だから私が眠っても、馬鹿のままでも、私の気持ちはずっと続くんだよ、きっと」
「詩人だな、ナギは……」
 ぼくが意味を取りかねて言った言葉が終わらないうちに、ぼくの頬をナギの毛糸の手袋が包んだ。そのまま目隠しされて、
「キミが私の星なんだよ」
――ささやき声が耳の奥に残った。

-了-


(三語即興文投稿作品:『星、風、死』追加ルール:『若い主人公』)

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2004.12.05

『ニノハナ』(四枚)

妻の出産のつきそいで初めて足を踏み入れた産院の待合室で、見慣れない植物があり、『ニノハナ』という名前のプレートが立ててあった。手作り感がある木のプレートで、院長か誰かの手によるのだろうか。素っ気ないカタカナにもどこか味わいが感じられる。
 よく見ると木目に紛れそうな小さい文字でこんなことが書かれていた。
「これはヒルギという植物で、熱帯のマングローブを形成する樹木のひとつです。『ニノハナ』はちょっとしゃれてつけられたこの子の名前です」
 妻が促進剤を使って出産する三時までは、まだ数分の時間がある。つきそいはいらないと言われて少々気落ちしてもいたし、気の紛らわしようもないので散歩でも、と思ったが、狭い院内のこと、三歩で足を止めてソファに戻ったのだった。夫の参加も今時は珍しくないはずだが、妻は恥ずかしいらしい。
 こんなときでも鞄に入っている電子辞書の百科事典で『ニノハナ』を検索してみたが、該当する植物はやはりなかった。さて、どんないきさつで……と思ったとき、根が絡み合いながら盛り上がって瘤状になったところにおもちゃが置かれているのに気がついた。食玩だろうか、クマバチをかたどったかわいらしいもので、なるほど、受粉の手伝いをするハチというのは、産科にはふさわしいかもしれないと思った。と同時に、ふいに『ニノハナ』の謎が解けた気がした。
「クマバチの乗った絡み合った根……根の数は三本……三乗根とハチ……ああ」
 そうなのだった。たしかに、八の三乗根は、二だ。それでこの木にニノハナという名前をつけたのか。十年も前になるだろうか、卒業した高校の数学で苦しめられた累乗根だの三次関数だのの試験を思い出す。高校時代の私には数学は飛び抜けて難しい試練だったが、その先にある解放と、一里塚を越えた新たな自分への自信というのは何ものにも代えがたかった。
 産科を訪れる父親候補たちの何人かが、いてもたってもいられない気持ちを、このちょっとしたパズルでしばし醒ましたのだろうか。あるいは、頭をひねった挙げ句、受付にこっそりと訊きにいったりもしたかもしれない。産後のたあいもない夫婦の会話に、ちょっとしたウィットを加えてくれたり、もしかしたら、生まれてきた子どもが大きくなったときに話すことだってあったりしてもおかしくないのじゃないか。
 試みに手元にある百科事典にこの植物について当たってみると、ヒルギ科の植物は珍しい『胎生種子』を持つと書かれていた。これは種子が親についたままの状態で生育するもので、育った種子が水底に届くとそのまま根付くのだという。いわば子の面倒見のいい植物というわけである。
 産院の待合室にさり気なくこういうものを置く気持ちがうれしくて、私の心の底が熱くなった。
 まさにそのとき、威勢の良い産声が建物全体に響き渡った。私は飛び上がり、あたふたと産室に向かった。
 そんな私をニノハナが見送っていた。

-了-

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2004.12.04

『ニノハナ』(仮)

 妻の出産のつきそいで赴いた参院の待合室で、見慣れない植物があり、『ニノハナ』という名前のプレートが立ててあった。手作り感がある木のプレートで、院長か誰かのお手製だろうか。素っ気ないカタカナにもどこか味わいが感じられる。
 よく見ると小さい文字で下にこんなことが書かれていた。
「ヒルギという植物で、マングローブを形成する樹木です。ニノハナはちょっとしゃれてつけられたこの子の名前です」
 妻が促進剤を使って出産する三時までは、まだ数分の時間がある。つきそいはいらないと言われて少々気落ちしてもいたし、気の紛らわしようもないので散歩でも、と思ったが、狭い院内のこと、三歩で足を止めてソファに戻ったのだった。出産時に夫も参加するのも今時は珍しくないはずだが、妻は恥ずかしいらしい。
 いつも持ち歩いている電子辞書の百科事典で「ニノハナ」を検索してみたが、該当する植物はやはりなかった。さて、どんないきさつで……と思ったとき、根が絡み合いながら盛り上がって瘤状になったところにおもちゃが置かれているのに気がついた。食玩だろうか、クマバチをかたどったかわいらしいもので、なるほど、受粉の手伝いをするハチというのは、産科にはふさわしいかもしれない。と同時に、ふいに私には「ニノハナ」の謎が解けた。
「クマバチの乗った絡み合った根……根の本数は三本……ハチの三乗根……ああ」
 たしかに、八の三乗根は、二だ。それでこの木にニノハナという名前をつけたのか。十年も前になるだろうか、卒業した高校の数学でやった累乗根だの三次関数だのの試験を思い出す。あれは苦しかったが、その先にある解放と、一里塚を越えた新たな自分への自信というのは何ものにも代えがたかった。
 産科を訪れる父親候補たちの何人かが、いてもたってもいられない気持ちを、このちょっとしたパズルでしばし醒ましたのだろう。あるいは、頭をひねった挙げ句、受付に訊きにいったりもしたかもしれない。産後のたあいもない夫婦の会話に、ちょっとしたウィットを加えてくれたり、もしかしたら、生まれてきた子どもが大きくなったときに話すことだってあったりもするだろうか。私もそんな父親の仲間入りというわけだった。
 試みに、手元にある百科事典ではヒルギ科の植物は珍しい『胎生種子』を行うと書かれていた。これは種子が親についたままの状態で生育するもので、育った種子が水底に届くとそのまま根付くのだという。いわば子の面倒見のいい植物というわけである。
 産科の待合室にさり気なくこういうものを置く気持ちがうれしくて、私の心の底が熱くなった。
 まさにそのとき、威勢の良い産声が建物全体に響き渡った。私は飛び上がり、あたふたと産室に向かうのだった。

-了-


※「三時」「散歩」「参加」 
 追加ルールは、数学の問題を作中で解いてください。 
※今回お遊びで三次 三歩 産科を入れました(^^;

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2004.11.22

『無重力の浴室で百年を眠る』(一枚)

 ぼくの故郷のあのバラも、地球で唯一の友達だった黒猫もない無重力空間で、ぼくはたっぷりの湯を張った浴槽に身を浸す夢を見ている。
 ――ここは、星の牢獄、通称『浴室』。生体イオン水溶液の棺桶であり、偽りの母胎の中でぼくは百年を眠る。故郷を夢見て、猫だけを友として暮らした罪で。

-了-

※三語即興文未投稿(お題は『バラ 黒猫 浴室』『無重力空間でのお話しにしてください』)

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『潜水艇ヘプタポーダ(改稿)』(三枚)

※少々長かったので、シェイプアップして、少し展開を加えてみました。この状態で、「作家でごはん! 鍛錬場」の三語即興文に投稿しました。

 コマーシャルが終わると、巨大イカに向かって突き進む潜水艦の画像が現れた。砂嵐混じりの白黒テレビでも、昭和の頃のぼくには本物以上の迫力に見えた。
 世界でただ一艇の対巨大生物格闘潜水艦。その鋭くなった先端に近い部分から、鋼鉄の腕がにょきにょき生えてくる。節足動物の脚のようなそれらは、巨大イカの体を掴んだ。暴れるイカに潜水艦はぐらぐらと大揺れするが、さらに何本もの腕を追加して、ついに頭上高くに持ち上げてしまった。
「これさあ、ピアノ線で吊っているんだぜ」
 頭の上で、兄の声がした。ちゃぶ台の前に正座したぼくの背中ぴったりに立ち、上から覗くようにぼくのほうを見ていた。
「上下逆さまにして撮影すると、吊した線が影に入って見えにくくなるからな」
 中学生の兄は、白黒のテレビ画面を指さして得意げに解説をした。学校の成績もいい兄は、大人たちから理屈っぽい子、夢のない子と言われることが多かった。
 でもほんとうはそうではないとぼくは知っていた。兄は説明をし終わると決まってぼくにこんなことを言ったものだった。
「だからさ。今テレビで見ているのはニセモノの潜水艦だったり宇宙船だったりするんだけどさ、いつか造ってやるんだ、本物の潜水艦を。宇宙船を。お前を乗せてどこまでも行けるヤツをさ」
 大人たちはいつも兄の言葉をめんどうがって途中でさえぎり、勉強ばかりしているから夢のないことばかり言うのだ、なんて叱ったものだったけれど。何のために兄が勉強していたのか、兄が十八歳で亡くなっても、ついに考えることはなかったらしい。
 ――居眠りをしていたのだろうか。何十年も昔のことを思い出すなんて。
 目の前の有機ELディスプレイには、ファインセラミックと特殊シリコンの外装を持つ新型潜水艇の設計図が映し出されている。名前はヘプタポーダといい、二十四本のカーボンナノチューブ合金の伸縮式無段階マニピュレータを装備している。搭乗できる人間は四名の研究員である。だが、ヘプタポーダが乗せるのはそれだけではない。私たちスタッフ全員と、私の兄の気持ちも一緒に乗せている。私はそう信じている。進水式は、一ヶ月後。私は最終の総合チェックを行っているところだった。
「もう十二時間以上もかかりきりですよ。長い間かかって、お疲れでしょう」
 声がかけられるまで、人がいることに気づかなかった。若い女性スタッフが、隣の席からコーヒーの入った自然分解性プラスチックの使い捨てカップを差し出してくれていた。
「長い間、かかったよ」
 私は彼女に言うともなく、つぶやいた。
「こいつからピアノ線を取り去るのに、何十年もかかってしまった……」
 彼女は形の良いあごを傾け、理解不能のジョークを言われたときの表情を示した。

-了-

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『潜水艦ヘプタポーダ』

 コマーシャルが終わると、巨大イカに向かって突き進む潜水艦の画像が現れた。砂嵐混じりの白黒テレビだったけれど、ぼくの目には装甲版に点字タイルのように並んだリベットのぼつぼつのひとつひとつまでが確かに見えていた。
 世界でただ一艇の対巨大生物格闘潜水艦。その鋭くなった先端に近い部分から、鋼鉄の腕がにょきにょき生えてくる。節足動物の脚のようなそれらは、巨大イカの体を掴んだ。暴れるイカに潜水艦はぐらぐらと大揺れするが、さらに何本もの腕を追加して、ついに頭上高くに持ち上げてしまった。女性オペレータがうわずった声で「海底火山の噴火まであと一分!」と叫ぶと、艦長は目深にかぶった帽子のつばの向きを人差し指でくいっと直して「イカを火口に放り込んで全速離脱」と命じた。
 人類の科学と勇気の結実たる潜水艦は、果たして生きて太陽の下に戻ってくることができるのであろうか。以下来週を待て。と、ナレーションが入り、画面は止め絵になって。見ているぼくも凝固した。
「これさあ、ピアノ線で吊っているんだぜ」
 頭の上で、兄の声がした。ちゃぶ台の前に正座したぼくの背中ぴったりに立ち、上から覗くようにぼくのほうを見ていた。
「上下逆さまにして撮影すると、吊した線が影に入って見えにくくなるからな」
 中学生の兄は、白黒のテレビ画面を指さして得意げに解説をした。学校の成績もいい兄は、大人たちから理屈っぽい子、夢のない子と言われることが多かった。
 でもぼくは知っていた。兄は説明をし終わると決まってぼくにこんなことを言ったものだった。
「だからさ。今テレビで見ているのはニセモノの潜水艦だったり宇宙船だったりするんだけどさ、いつか造ってやるんだ、本物の潜水艦を。宇宙船を。お前を乗せてどこまでも行けるヤツをさ」
 大人たちはいつも兄の言葉をめんどうがって途中でさえぎり、勉強ばかりしているからだ、なんて叱ったものだったけれど。何のために兄が勉強していたのか、兄が十八歳で亡くなっても、ついに考えることはなかったらしい。
 ――居眠りをしていたのだろうか。何十年も昔のことを思い出すなんて。
 目の前の有機ELディスプレイには、ファインセラミックと特殊シリコンの外装を持つ新型潜水艇の設計図が映し出されている。名前はヘプタポーダといい、二十四本のカーボンナノチューブ合金の伸縮式無段階マニピュレータを装備している。マニピュレータの役割は人類の到達しうるもっとも深い場所、すなわち深海底において、効率的な作業を多数同時に行うことだ。搭乗できる人間は四名の研究員である。だが、ヘプタポーダが乗せる人間は四人だけではない。私の兄と、そして兄との約束のように海底世界にも大宇宙にももう行くことはできないほど老いた私と、それから夢を共有してくれた大勢のスタッフの、全員分の気持ちも一緒に乗せている。進水式は、一ヶ月後。私は最終の総合チェックを行っているところだった。
 あのテレビ番組のように、昆虫のような鋼鉄の腕は、ない。艦長も、操舵手も、レーダー監視役もない。もちろん、未知の海の生物と戦うことも、おそらくありえないだろう。だが、あのときの夢の潜水艦さえもかなわなかった数倍恐ろしい海底火山の活動中心部に限りなく接近することができる。
「もう十二時間以上もかかりきりですよ。長い間かかって、お疲れでしょう」
 声がかけられるまで、人がいることに気づかなかった。助手として大学時代からずっと私をサポートしてくれた女性スタッフが、隣の席からコーヒーの入った自然分解性プラスチックの使い捨てカップを差し出してくれていた。
「長い間、かかったよ」
 私は彼女に言うともなく、つぶやいた。
「こいつからピアノ線を取り去るのに、何十年もかかってしまった……」

-了-


(三語即興文:『テレビ 潜水艦 ピアノ』 ルール『時代を設定して』

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2004.11.14

『ケルピー』(改稿)

 ハイランドのフィヨルドに打ち寄せる波は、夏の晴れた日でも荒々しく、かつ冷たい。
 白い波間に三度、人の姿が見えたと思い、探していたら、大波がぼくの頭上から襲いかかってきてずぶぬれになってしまった。異国に来てこんなドジ、自己嫌悪に陥りそうだ。
「あははは。君、平気か。冷たいだろう」
 まるで笛の音のように空気を渡ってくる陽気な声がした。男性の、だけどだいぶ中性的な、あるいは妖精的な声だと思った。見ると、岩場に若い男が座ってこちらを見ていた。袖や裾がやけにびらびらとした黒い服を着ているけど、民族衣装だろうか。
「着替えは持っているかい? 僕の宿に案内しよう。本場のスコッチ・ウィスキーをおごるよ」
 同年代から気さくに話しかけられるのは、うれしい。けれど、いきなり酒のお誘いとは。たしかにぼくは生まれつきの赤ら顔で、西洋人から見れば酒豪に見えるのかもしれないけれど。ただ、決してぼくは酒が嫌いではない。ここはひとつごちそうになってみようか。
「見知らぬ方におごっていただくわけには……でも、ついでにうまいビールもいただけるなら、喜んで」
「ははははは。率直でけっこう。見たところ、君は、東洋人だね。日本かい?」
「よくわかりますね。そうです、生まれも育ちも日本で」
「なんとなくわかったよ。服装かな。なんとなくね」
 岩場を、足下を少しも見ずに、彼はぼくの目の前まで歩いてきた。微笑を浮かべた顔は人そのものだったけれど、でもやはりこれは妖精かもしれなかった。こちらには人をやたらと海中に引きずり込んで溺れさせるのがいると聞いたことがあるけれど……。
「水の中は、冷たいでしょう」
 ぼくはひとつ引っかけてやろうというつもりになって、聞いてみた。男は少しだけきょとんとした顔つきをしたけれど、「ああ」と答えてぼくの隣りに立った。
「僕は陸(おか)が大好きなんだがね。ひんやりした海に一日一度は戻らないと、落ち着かない。病気になっちまう」
「おうい」
 そこへ、宿屋を営んでいるプーカの亭主が両腕を振りながらやってきた。
「やあ、いいところへ来た。ぼくにもここで初めての友人が出来たよ」
 プーカに話しかけるぼくに、彼は面食らった様子だった。
「君も、妖精か」
「こちらは、日本からはるばるやって来られた天狗殿だ。失礼のないようにしてくれよ。天狗殿、こちらはケルピー。半馬半魚の妖精で、人を惑わして海に引きずり込む悪い癖がありましてね。ご無事でしたか」
 ぼくは一本歯の下駄をからんと鳴らして、空中に舞い上がった。
「もちろん、無事さ。ところで、ケルピー殿、先ほどのスコッチ・ウィスキーとビールの件、早々にごちそうになりたいのですが」
 あてがはずれたためか、いつのまにか上半身が馬、下半身は魚の姿に戻っていたケルピーは、ふんっと荒々しい鼻息をひとつ残して水面に没した。そのまま深い入り江の奥に体を翻してすっと潜っていき、そのまま姿を現さなかった。

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2004.10.27

『鏡面円盤とアマガエル』(二枚)

 アマガエルが張りついて離れなくなったそのCDに、私の顔が映り込んでいる。眉根を寄せた思案顔は我ながら不機嫌そうで、かえっておもしろくなり、ついで馬鹿馬鹿しくなった。
 まだ肌寒い三月の初め。公立高校受験を終えて発表を待つばかりの私。学校は卒業式が済んでしまい、中学生でもない、かといって次の身分が確定しているわけでもない、つまり何者でもない私。宙ぶらりんな時間に、アマガエルがやってきたのだ。
 窓ガラスを隔てた向こうは、うっすらと白い雪化粧をした家並み。春はまだ来ていなかった。
「今朝も雪だから、まだ冬だね。出てくるのはちょっと早かったかな」
 銀色の円盤にぴったりと腹をつけ、喉を上下させているアマガエルに、私は言う。
 そういえば、アマガエルもそうだけれど、このCDもどこからやってきたのか私は知らないのだった。ラベルもなければ何の文字も書かれていない。いつの間にか、窓際の私の机の上にあるのを見つけたのが数日前。勉強で使われることもなくなったその場所に置かれて数日である。今朝になって見てみたらアマガエルがくっついていた。おどかしても軽くこづいても離れない。夜のうちに雪の降った庭に追い出すこともできないから、どうしたものかと思っている。
 唐突に、CDをかけてみようという気になった。
 忘れている何かが入っているのかもしれないという気持ちがわいてきたのだ。
「そこをどいてくれたら、CDを聞けるのだけど。いいかな?」
 声に出して言ってみたら、アマガエルはけくくく、けくり、と鳴いて跳ねた。長い脚を理科で勉強したオームの記号の形にして。
 ラジカセにCDをセットすると、静かな曲が流れ始めた。
 アマガエルがもう一度跳ねて、今度は窓ガラスに張りついた。虫でも見つけたのかと思った。あれほど動かなかったのに。
 見ると、透明で小さなオタマジャクシの形をしたものがつるつるっと窓の外側を走っていった。あっという間にたくさんのオタマジャクシがガラスの表面に生まれ、次から次へと地面を目指してつるつる、つるつる尾を引いて流れていく。
 水滴だ。春の雨。
 春がこんなところに寄り道をしていたんだ。
 明日は私の合格発表の日。お気に入りの傘をさしていこう。胸を張っていこう。

-了-

(三語即興文:お題『CD、水滴、唐突』 追加ルールは『話の中に動物をだしてください』 )

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2004.06.16

『百日紅の写真にまつわるぼくの話』(六枚)

 あの日に世界を騒がせた謎の事件のきっかけが、平凡な一青年でしかないぼくだったと知ったら、君は驚くだろうか。
 正月気分が抜けきらない日曜日、ぼくは成人式の写真を撮ってもらうための予約をするために、町で一番古い写真館に足を運んだ。父母は「二十歳にもなったら自分のことは自分でするべきだ」と言って予約の電話もしてくれなかったので、自分で電話を入れた。
 午後一時にという約束よりだいぶ早いうちに、写真館に着いた。
 あの出会いを、なんと表現したらいいだろうか。ぼくは一目で好きになってしまったのだ。
 誰にって? いや人じゃない。一枚の写真にだ。それは明治十三年と書かれた古いモノクロームの写真で、大きさは一般的な雑誌より二回り大きいくらい、貴族か皇族か、高貴な人たちの一家が煉瓦造りの給水塔を背景にしているところだった。
 三列の手前に小さな子どもたちが男の子、女の子と五・六人、中央には老人達が同じくらい、老人達の両脇と一番奥にはぼくくらいの青年期から壮年期までの男女が十人くらいだろうか。みな高級そうな礼服に身を包み、笑顔は柔和だ。でもきっとこの中でもっとも幼い子どもさえも、今はこの世にいないのだろう。
 給水塔の脇には見事な枝振りの樹が、枝を両腕のように上方に広げており、天蓋のように人々の頭上を覆っていた。色はわからないが、きっと深紅であろうとぼくには感じられる花がたくさん咲き誇り、人々の笑顔に彩りを添えているように思われた。モノクロームだからこそ、どんなにきれいだろう、華やかだろうと見る者想像をかき立てずにはおかない。美とは美そのものをくまなく見せることよりも、適度に隠した状態でこそ、ぼくたちの心に新鮮に再生されるものなのかもしれないね。
 けれども、ただ美しい写真というだけではない何かが、その写真にはあった。
 なんだろうとぼくが考えていると、写真が口を利いたのだ。
「やあ、こんにちは。どうやら波長の合う方に巡り会えたようだ」
 優れた芸術作品を称して、魂が宿ったようだ、なんて言うけれども、この写真は比喩ではなく命を持っているらしい。
「うむ、やはり驚かないようだ。ワタシを写真に「撮り込んだ」写真家と同じだな」
「撮り込む? あなたはどういう方なんです?」
「名乗るほどの者ではないが、霊気のようなものだと思ってほしい。空気中の電解質を媒介にした精神体だよ。この体が災いして、波長の合う人間には吸い寄せられてしまうことがまれにある。人間の体も電解質で、人間は電解質を媒介にした精神体だからな。ワタシと違うのは人間のほうが密度が圧倒的に高いということだ。おかげで無理矢理に憑かされてしまったり、融合させられたり、まあ、ろくなことがない」
 彼は見事な百日紅の花に見とれて漂っている間に、写真に撮り込まれてしまったそうだ。なんとも、間の抜けた話で、おかしいやつだ。
「幽霊、みたいなものなんでしょうか」
「そう思ってくれてもいい。どうだね、ひとつ、写真に撮り込まれたワタシを、人助けだと思って外に出してはくれまいか」
 ぼくは義侠心に駆られて、というのは理由の半分で、この霊体がどんなヤツで、協力するとどうなるんだろうという好奇心があったことを否定はしないけれど、とにかく手伝ってやることにしたんだ。懐中電灯の光がいいというので、写真館の店主に借り、光を当ててやった。ぼくの体に憑くとお互いに危険だというので、彼が所望した食塩水ではなかったけれど、自販機の清涼飲料水のペットボトルに彼を憑かせてやった。電話なら電位的に外に出やすい経路だというので携帯電話を示したらそれは無線じゃないか、有線の電話をと不条理な叱られ方をしたので、写真館の黒電話を使わせてやることにした。店主はさぞ変な客が来たと思っただろうな。
 彼が黒電話の受話器に吸い込まれたのが、薄い霧のように見えた。彼が消えたあとが問題だった。
 世界中の電話が同時にリンリン鳴り出し、きっかり一分間止まなかった。その後数分して、全世界のネット端末に「解放おめでとう」の表示が出て、ウィルス騒ぎになった。数分でネットの仕組みを理解するとは、なかなかの知恵者なんだとぼくは感心するくらいしかできなかった。
 ぼくの成人式の写真は、滞りなく出来上がり、だからこそこうして一人前の御祓師として君のところに仕事に来たわけなんだけれどね。うーん、どうも君に憑いている霊は、手強いらしい。ちょっと専門家に聞いてみよう、ちょっと電話かけるから待っていて。
 ああ、百日紅かい。ちょっとこっちに出てきてくれないか、仕事だよ。なんだよ、ぶつぶつ言うなよ、そもそも君が外に出られたのはぼくが……なんだって、耳にタコだって、耳なんかないだろ。そうそう、うん、いい友人を持ってぼくはラッキィさ。
 ほら、出てきた。この白い霧が、あのときの、ね。

-了-

※三語即興文未投稿作品(お題は「百日紅(さるすべり)、懐中電灯、黒電話」追加ルールは「舞台は写真館」)
※長すぎました(涙)

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2004.06.01

『不幸の十二階段』(五枚)

 アンラッキー・ステアウェイ:
 お客様の目の前にあるこの階段は、さるアメリカの大富豪の屋敷にあった本物の階段です。呪いの階段として有名だったものを、当遊園地「恐怖の館」内にそっくり移築しました。
 この階段は「不幸の十二階段」として恐れられています。もともと十二階段として設計されたにもかかわらず、その屋敷の人間が何度上り下りしても、十三段あったのです。そして屋敷の人間全員に恐ろしい不幸が降りかかりました。
 慎重に段を数えながら、お上りください。
 なお呪いを避けたいなら、隣のスロープをお上がり下さい。
 さあ、「恐怖の館」の出口はこの上です、どうぞお進み下さい!

「うわ、何このアナウンス。最後に来て本物の呪いだって、趣味じゃないよね、こんなこと言われて気分悪いよね、ね、ヒロミ」
「タケシぃぃ。呪いなんかあるわけないでしょ。第一ここ遊園地なんだよ?」
「ここに本物って書いてある……」
「はあ? はあ? はあ? 今のは『三はあ』でしたので三千円!」
 ヒロミは耳のわきに片手を当てて腰をクッとひねるポーズを取りながら、意味不明のギャグ混じりに恋人を非難した。
「あなた途中でも腰が引けっぱなしだったじゃない。ドラキュラも狼男もフランケンも、私に退治させて。最後の百面相を見て本物のお化けと思って泣いたじゃないの。名前ばっかり勇ましそうで、ふう、情けなー」
「わかったよ、わかったよ、階段上るよ」
「そうよ、こんな階段はね、裏技を使えば何でもないんだから。そりゃっ」
 ロングスカートにブーツという、およそ活発から縁遠い出で立ちにもかかわらず、ヒロミは勇ましく助走をつけるや、階段の最初の段を飛ばして駆け上り始めた。
「こうやって、最初の一段を飛ばせばね、十三階段だって十二階段に、十二階段は十一階段にダウングレードって寸法よ、あっはっはっは」
 ヒロミは「恐怖の館」に入ってからボルテージMAX状態だ。
 そのあとをタケシが気の進まない様子でのろのろと上っていく。段数などはじめから数えるつもりもないヒロミと違い、彼のほうは律儀に「一、二、三」と足下を見つめて数えながら。
「七、八、九……」
「早くしなさいよ、向こうに出口が見えるわよぉ」
「十、十一、十二……うわああ、どうしよう、十三段目がある」
 タケシが内股をぴったり閉じた格好で頭を両手で抱えているのがヒロミの位置からも見えた。
「えー、マジマジ? けっこうおもしろいじゃない、この階段。じゃあ裏技ナンバー・ツー。そのまま降りて、一段飛ばしてから上がれば?」
 タケシはしばらく足下を見つめていたが、次にヒロミのほうを見て、そのまま動かなくなってしまった。顔が恐怖の色に染まり、膝が震え、今にも回れ右をして駆け出すか、そのまま腰を抜かすかという様相だ。
「何をビビってるの、さあさあ、遊園地を出たらディナーでしょう。私楽しみにしているんだからね」
「ヒロミ、違うんだ。この階段は、十四段で造られているんだ。一段飛ばしたら、十三段になってしまうんだよ! うわああああ」
 ヒロミの背後の空間を指さして一言叫ぶと、タケシの体はひっくり返って階段を転げ落ちていった。
 駆け寄ろうとしたヒロミ。その肩を、誰もいないはずの彼女の後ろから、誰かがつかむ。そして複数の息づかい。
 振り返ると、すぐ目の前の闇に四つの顔が並んでいた。遊園地用のマスクを捨て去った吸血鬼の、青い顔と血の結晶のような半透明に光る瞳。狼男の獣臭さを立ち上らせて並ぶ牙。フランケンシュタインの怪物のデスマスクの肉片をつぎはぎした一種の美が漂う顔。百面相のどこか無邪気な紅顔。
「やっと十三階段を上ってくれる人間に出会えたぞ。しばらくお前の家にやっかいになるからな」
 のんきな声で百面相が言い、ヒロミはその顔面を思い切り殴った。
「ようこそ居候!」
 叫ぶと、階段を三段飛ばしに駆け下りて行った。

-了-
 
 
(三語即興文投稿作品:「アンラッキー・血・闇」追加ルールは「出来るだけ明るい話」)

これ、最初に考えた吸血鬼視点のお話が長くなったので書き直したのですけれど、投稿してからこっちも五枚もの長さだと気づいて愕然としました(^^;
反省しています。


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2004.05.18

『黒猫のサンゴ』(三枚)

 我が家の飼い猫のサンゴがウナギをつかまえてきた。
 縁側でキューキューと変な声がすると思ったら、黒い体に金色の瞳でサンゴがこっちを見ていた。サンゴの白い牙で首根っこをおさえつけられているのは、大振りのウナギ。
 私の姿を認めるとサンゴはうれしそうに口の端をふくらませて、ナーと鳴いた。牙が食い込んだのか、ウナギはキューと鳴いて体をよじった。
 サンゴがつかまえてきたのはウナギだけではなかった。隣家のおばさんが生け垣の向こうで息を荒くしているのに私は気づいた。お年に似合っているという評判をあまり聞かない赤く染めた髪や、ぎらぎらした眼鏡とネックレス、肩を大胆に露出したいつものスタイル。この格好でスーパーに行く人なんだよなあ。
 さてはサンゴのヤツはウナギをこの人の買い物袋から盗んで来たのかな。
「琴子ちゃん、琴子ちゃん、ちょっと、ちょっと」
 おばさんは言葉を反復するのがくせだ。リフレイン効果を狙っている意図があるのかどうかはわからない。
 オレンジ色のタンクトップに水色の短パンという格好で、片手にうちわを持ったままの格好だったので、庭先に出て行くのがためらわれた。彼氏がいるでもない二十歳女の気持ちはビミョウである。でも同時にいい加減なので、次の瞬間私はとっととサンゴの首根っこをつかんでサンダルを足につっかけてぱこぱこと生け垣まで歩いていった。サンゴはナーと抗議したけれども、私がシャーッと威嚇するとおとなしくなった。
 あれれ、おばさんはずいぶん顔色が悪いな。お化粧に失敗したのかな。
「琴子ちゃん、琴子ちゃん、あぶないわよ、あぶないわよ」
 私が首根っこをつかんだサンゴが首根っこくわえているウナギ(ややこしい)を指さして、おばさんは動揺という名の像と化していた。片手に買い物かごを提げ、もう片方の手を突き出したまま硬直している様は、ちょっと近代的で現代的でシュールなゲイジュツだ。
「熱帯魚屋さんでサンゴちゃんを見かけたから、私気になって、気になって見ていたのよ。それ、デンキウナギ、デンキウナギなのよ!」
 熱帯魚屋さん、デンキウナギを猫の手の届くところに置かないでください!
 私はギャッと一声上げるとサンゴを放り投げた。ナーと鳴きながら空中でくるくるっと三回転してサンゴは着地し、体をくねらせているデンキウナギと家の中に消えた。
 私たちはその場で、『叫び』という作品の不出来な模造品になって硬直していた。

-了ー
 
 
 
(三語即興文未投稿作品:お題:「うちわ」「キュー」「ネック」で、追加ルール「季節感を取り入れて」)

お題を出したのがおづねですので、未投稿です(^^;
タイトルは『黒猫のタンゴ』(歌)に『黒猫の三角』(森博嗣)と「三語即興文」をミックス。

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2004.05.10

『秋の命』(三枚)

 私はこの星の秋がさびしくないように、光がかげる季節にも萌える木や草を用意しました。子犬の尾のようなふさふさの綿毛が河原いっぱいに揺れる頃、春に飛んだシロバナタンポポの種は芽吹きます。ホトケノザやオニビラコは、立ち枯れた茅(かや)の下に緑の指先をちょこんと出すのです。
 八幡神社は、街がすっかり近代化した今でも広い敷地があり、一部は駐車場や中学校のテニスコートになっているものの、メダカたちの学校になっている大きな池や、どんぐりをたくさん降らせる裏山のある、昔のたたずまいを残した古い社です。
 おや、境内に小さな子が二人、いるようです。軒下で、何かを真剣に話し合っています。
「ブチとクロ、鼻水たれてるよぉ。どうしよう」
 男の子が悲しそうな声で言いました。巻き毛が夕陽に照らされて金色のススキの穂のようです。
「セージちゃんは男の子なんだから、しっかりしなしゃい。おかあちゃまにいつも言われているでしょ」
 どうやら姉妹のようです。お姉さんはしゃがんで紅葉の色のスカートの上に二匹の子猫を乗せていました。
「でも、リンドおねえちゃん、どうしたらいいの?」
「わかんない。けど、冬になったらブチもクロも死んじゃうかもしんないわ。どうしよう」
 二人は、つい先だってここで子猫を見つけて世話をしていたのでした。母猫の姿は見あたりません。秋になり、栄養もあまり十分ではない子猫は、病気になってしまったようです。
 私は子どもと子猫のそばに降り立ちました。でも、透明な私は誰にも見えないようです。
 少し思案して、私は境内の狛犬に入り込むことにしました。その口を借りて、二人の子どもに伝えました。
「子どもたち、隣のテニスコートにいるお兄さんたちに子猫を見せてごらん」
 二人は不思議そうにあたりを見回していましたが、やがて駆けてゆきました。
 数日前、いつもにぎやかなテニス部の少年二人が、二学期のボランティア活動の内容が決められないとしゃべりあっていたのを聞いたのを思い出したのでした。毛玉のようにころころした二匹の子猫の里親探しは、きっと少年たちにもいい経験になるでしょう。
 秋にも、ほのかに息づく命がある。
 ころころとまろぶように駆けていく姉妹、あの子らを見送ったら、私はまた眠りにつくことにしましょう。

-了-


(三語即興投稿作品:「近代化」「萌え」「透明」追加ルール「かわいい物や人(動物などもアリ)を出来るだけ出す」)

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2004.05.05

『テルルンと水餃子』(五枚)


「この水餃子がね、絶品なの!」
 神岡鳴子さんに連れ回されるのはいつものこと、今日は評判の中華飯店にやってきた。ぼくのようなオートマトン(自動人形)には食べる機能がない。だからちょっとばかり暇と言えば暇だった。
 お給仕さんがトレーに載せた水餃子を運んできた。
「鳴子さん、鳴子さん、水餃子が来ましたよ」
「テルルンたら気が利くじゃない。はいはい、ありがとう。うわあお、できたての水餃子」
 テルルンというのはぼくのあだ名で、正式にはテルマルクルトと言うんだけど、発音しづらいというのでテルルンと呼ばれている次第。鳴子さんはとてもマイペースな人なので、ぼくはいつも成行き任せでこの人につきあわされている。
 鳴子さんは花の女子高生だというのに鼻腔を大きく開いて水餃子の器の上で大きく息を吸い込んだ。ふわふわと漂いながら天井に向かってほのかに立ち上っていた湯気が、腰をくの字に曲げた人みたいにくねっとなって鳴子さんの両鼻に吸い込まれていった。
「見て見てテルルン、こんなに透明なスープ、浮かんだ三つのむっちりしたそれでいて清楚な水餃子ちゃん! ちょんと乗った山椒の葉がなんとも言えない鮮やかさで食欲をそそるわね」
「えーと、たいへんごもっともなんですけれど、私にはそれを食べることはできませんので……」
 ずびし、と空を切って彼女の指先がぼくの眉間のぎりぎり0.5ミリの位置の空間を突いた。
「愚か者めッ!」
 小さくて赤い唇がぷりっと突き出して水餃子そっくりだった。けれど、たぶん今その比喩を口にしたらぼくは彼女の指先によってあっという間に破壊されるに違いなかった。撲針流空手師範代――このポニーテールのかわいらしいお嬢さんは、日本で何番目かにランクインされる強さを誇る人間なのだ。オートマトンを指先ひとつで破壊することなんて造作もない。たぶん。
「な、なんですか~」
「テルルンは電子頭脳の持ち主なんだから、私の言った水餃子の匂いと味と食感を全部記憶して、あとで再現するのよ。そうすれば高いお金を出さなくてもおいしい水餃子が食べられるかもしれないじゃない!」
 そういうことだったのか、と得心つかまつった……じゃなくて。
「ちょっと鳴子さん、その行為はなんというか、黒くないですか。カラスの濡れ羽よりも真っ黒なほどに犯罪すれすれって言うか」
 鳴子さんはぼくの話なんかもう聞いていなかった。
「ああ最初にかみしめた瞬間がもう、たまらないわねえ。皮と春雨のぷつっとした軽い歯ごたえのあと、野菜と肉がたっぷり詰まった具の汁気がふわっと口の中に広がって……。筍がコリッとしてまたこれがたまらない。あら、この苦みは何かしら。今まで経験したことのない……」
「おや、これはフキノトウですよ」
「まあ、フキノトウははじめていただいたわ。ああ、これが春の味なのねえ、ほろ苦さがかえって鮮烈で具のうまみを引き立てているわあ」
 結局、水餃子だけでは満足せずに、そのあと次々と春の限定メニューを注文した鳴子さんだった。ぼくは隣の席のデート中らしい若い男女が席を立つときに忍び笑いしていたのを見てしまって体が小さくなる気がした。
「あのね、テルルン」
 帰り道、鳴子さんはこんなことを言った。
「やっぱりあの料理は再現しなくていいわ。わざわざ出かけてあの場所でいただくと思うから余計においしいのよね。いつでも我が家でテルルンが作れると思ったらありがたみもないし、なんだかバチがあたりそうな気がするわ。ね、そうでしょ、テルルン」
 なんだかよくわからないことを言っている。と思ったけれど、ぼくはそういうとき「ご説ごもっともにござります」と言って丁重に頭を下げることにしておくのだった。
 こんなとき満足げにぼくの頭をなでる鳴子さんの掌は、空手のときとも、普段の気まぐれともまったく違うやさしさをたたえている気がする――

-了-


三語で四枚を超えたら投稿するのは控えようかなあ、と思っていたのですが、もう二週間近く新しい作品が投稿されていないので、えいっと思い切って投稿しました。許されるでしょうか(^^;
「ごはん!」鍛錬場が再開されてそちらに戻るときには、短いものを投稿したいと思っています。

(三語即興文投稿作品:「成行き」「鳴子」「カラス」追加ルール「登場人物三人以上」)

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2004.05.01

『さくら はるかに』(六枚)


「さくらの咲く頃には、帰っておいで」
 遙佳がそう言ってぼくの頭をぽんと叩いた。
 あの感触、一年経った今でもまだ残っている。
 遙佳はぼくとは幼なじみだけれど、人をいつも子ども扱いするヤツだった。
 けれども、あの手のやわらかさ、そのあとぼくの髪の毛をぱらぱらと玩(もてあそ)んだときの寂しそうな顔を、ぼくは忘れたことはない。

 韓国に一年間も留学することになったのは、ゲーム雑誌のコンテストに入選したことがきっかけだった。
 ぼくの趣味はゲームプログラムを作ることだ。複数のゲーム会社が協賛して今年から始めたゲームデザイナー養成企画というのがあり、ぼくがそのコンテストに選ばれたのは去年の四月。あれよあれよという間に、奨励金をもらって韓国のゲームスクールに留学することが決定した。
 韓国のゲームスクールでは、ぼくは特待生という扱いだ。でも油断はしていられなかった。たしかに技術はぼくのほうが上だったけれど、こいつらは日本の学生よりずっと真剣に勉強しているって気づいたから。
 はじめの一ヶ月で彼らのものすごい努力を見せつけられたぼくは、腹の下あたりがちりちりと焼けるような感じを覚えていた。焦りというヤツだ。
 あれからそろそろ一年経つ。
 遙佳がぼくを「さくらの咲く頃には」と言って送り出してくれたのは、八重桜の花びらが散って淡いピンクに染まった通学路だった。
 学年は同じだけれど遙佳は四月生まれで、ぼくは翌年の三月生まれだ。だから、彼女のほうがぼくより五センチも背が高くても、すべてのスポーツがずっとうまくても、ついでに握力も、喧嘩の実力までも彼女の勝ちだったとしても、当然なんだ。
 ……いや、それはもちろん言い訳だってわかってる。ぼくはひとつでも彼女に勝てるものがほしかった。そうだなあ、男のメンツってやつ?
 今、ゲームスクールに通う道すがらにも、桜が咲いている。日本のと変わらない、淡い色。
 ぼくは今でも韓国にいる。奨励金はとっくに終わってしまったから、両親に頼み込んでお金を出してもらった。
 今はただ純粋に勉強がおもしろい。
 韓国でぼくは夢の味を知ってしまった。生まれて初めての味わい。この国の奴らと、世界一おもしろいゲームを作りたいんだ。こいつらのやろうとしている新システム「ソウルネスト」にもうぼくは不可欠の存在になってしまった。これは今あるオンラインゲームをベースとしていながら、それらすべての上に君臨するゲームになる。
 遙佳の便りはいまどきメールではなくて、紙の手紙だ。月に一度、何気ない日常の事柄を書いてくる。ネットで日本の情報はリアルタイムで入ってくるけれど、遙佳の手紙だけがぼくに郷愁を感じさせる。電話はしない。何か心の決意が崩れそうな気がするから。
 日本に帰るつもりはなくなった。
 故郷は遠くにありて思うもの、という言葉がある。
 近くにいるとそのありがたみがわからないという意味だ。
 たぶん、人も同じなんだと思う。
 いつまでも年下みたいな扱いでも、ぼくにとっては遙佳は恋人以外のなにものでもない。彼女がどう思っているかは知らないけれど。

 ――四月。
 日本ほど多くないけれど韓国にも桜の並木がある。
 ぼくは下宿先からその桜並木を通ってゲームスクールに通っている。
 桜が花びらをさかんに散らしているのは、一年前の日本と同じ風景だった。
 その桜吹雪の向こうに、ぼくのほうをまっすぐに見て立つ人影があった。
「さくらが咲いても帰ってこなかったね」
 遙佳だった。
 この声を忘れようもない。ぼくの心にずっとあった声。
「でもね、君が夢をずっと追いかけていてうれしかった」
 うれしかったと言う彼女の顔は、ぼくにはなぜか幸せそうに見えなかった。何か強い決意を秘めて、こぼれそうになる何かをこらえているように感じられた。
 ぼくの胸は罪の意識に痛んだ。それでも、どうしてもうれしい気持ちを抑えることができなかった。四肢にまでわき上がる喜びの感情に手足が震えているかのように感じるほどだった。
 少しずつ歩みを進めて、向き合って立つと、今はぼくのほうが彼女よりもほんの少し背が高くなっていることに気づいた。
 彼女がぼくの名を呼んで、両手でぼくの頬を包んだ。
 ほてってやまない頬の熱が彼女をびっくりさせないだろうかと、ぼくはどきどきする。
「私も今日からこっちの学校に入学するの。語学だけれどね」
 肩までだった髪はずいぶん伸びて、桜吹雪と一緒に風にたなびいている。
 ぼくはこの一年間どんなに会いたかったか伝えたかったのに、言葉が出なかった。彼女の方もたぶん同じみたいだった。
 吐息がかかるほど近くに寄って、ぼくたちは見つめ合った。
 ぼくを包んでいた彼女の両手を今度はぼくが包み、胸の前でしっかりと握った。
 ゆっくり、これだけ言った。
「遙佳、ただいま」
 それから、小さく震えはじめた肩を、しっかりと抱きしめた。

-了-

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2004.04.19

『金魚』(四枚)

 
「なあなあ、なんで赤いのに金魚っていうん?」
 聞きたがり屋の聡子が、真新しいピンクの浴衣の胸の前でうちわをぱたぱたやりながら聞いてきた。肩にかかっていた黒い髪がふわっと浮いて、汗の玉を二・三浮かべた頬をなでていく。こいつの肌ってけっこう白いんだな、と俺はちょっと不謹慎なことを考えてしまう。
 って、うわ、お前、胸元がはだけかけてるじゃないかよ。中学生にもなってそんな無防備なことしたら駄目だろ。
「知らねーよ。それよりちゃんと前、直せ」
「ねーねー、金魚には黒いのもいるじゃない。金色なのはいないの、なんでかなあ」
 金魚すくいの夜店のおっちゃんがこっちを迷惑そうに見ているのが視界の端に止まった。しょうがないので俺は聡子の手を引っ張ってその場を抜け出した。
「祥太は勉強できるから何でも知ってるでしょ」
 夜店は神社の裏手の空き地に立ち並んでいたので、俺たちは人気の少ない境内に移動していた。境内には、納涼祭のぼんぼりも、夜店のような派手な紅白じゃなく、もとは真っ白だったらしい黄ばんだ紙の張ってあるのが四つ五つといったところ。ちょっと離れると人の顔もよくわからないくらいの頼りない灯りだ。
 そのうす暗さに俺の緊張はちょっと高まっていた。
「俺なんてまだまだ、何にも知らないよ」
「ふうーん。たくさん本を読んでるから、なんでも知ってるのかと思ってた」
 聡子は狛犬の台座によいしょと寄りかかって、またうちわをぱたぱたやり始めた。ときどき俺のほうにも風を送ってよこしたりして。
「お前さあ、胸がはだけるからやめろって」
「祥太は何でも知ってるって思ってたな。――私の気持ちとか」
 東の空に満月が昇りはじめていた。木立の上から差してきた月光が聡子の肌を青白く燃えさせた。俺はこのとき雰囲気に呑まれていたのかもしれない。つい言ってしまってから少し慌てた。
「知ってるよ」と。
 ぱたぱたと聡子が送り込んできている風がさっきから俺の浴衣の首筋にかかっている。そのせいで俺の胸元もはだけ気味になっている。聡子は自分自身の浴衣の乱れを直そうともしていない。もしかして、さっきからわざとやってないだろうか。
 聡子の視線が俺の胸のあたりに凝らされているのをどうしても意識してしまう。俺は無言で聡子に近づいた。聡子も何も言わず、そしてずっと俺の胸のあたりを見ている。
 少しずつ、はだけかけた胸から聡子の視線が這いのぼってきた。俺の鎖骨に月光のしずくが青くたまっていて、そこをしばらく見つめているのだった。 
「なんだ、よかった」
 やっと俺の目を見て、聡子はそう言った。
 俺たちの聖なる儀式は、月光の洗礼を浴びて――。

 * * *

 数日後。 
「おい聡子、金魚には金色のもいるらしいぜ」
「え、どうしてどうして、赤いのばっか売ってるのはどうして?」
「知らないけど、赤い方が綺麗なんだろ」
「赤いのに金魚って言うのはどうして?」
「金魚って名前のほうが綺麗なんだろ」
「えっ、でも金魚なのに赤いなんて……あー、なんかわかんなくなってきたー!」
 一緒に宿題をやりたいというので学校の図書室に寄ってみたけれど、今日もこんな話ばかりして勉強のほうは進まない。
 でもあの夜からこっち、聡子は急に表情や仕草が大人びてきたところもあって、俺は落ち着かない。クラスの男子がひそひそと聡子のほうを見て噂話しているのを見かけたことも何度かあるし。俺は自分がまだまだ子どもなんだろうな、と思う。
「俺はやっぱり何も知らないんだよなあ」
「え、何?」
「ううん、何でもねーよ。それより宿題もやれよなー」
 俺はそんな言葉を聡子に残して椅子から立ち上がり、図書室の窓から夕焼け空を見上げた。朱に染まった雲がふたつみっつ浮かんでいる。ちょうどそのうちのひとつがふさふさの尻尾をくっつけた金魚みたいに見えた。
 この頬の熱さは夕陽に照らされたせいだと、俺は自分に言い訳していた。

-了-


(三語即興文投稿作品:「黒」「赤」「金」 追加テーマは「ストーリー重視」で)

 ◇ ◇ ◇

珍しく、ブログにアップロードしてから三語即興の方に投稿しました。
というのは、後日談を加えると四枚になってしまうので、少し考えてみたかったのです。
はじめは後日談は書かないつもりでいたのですが、筆が進むにつれて書いてみたくなり、書きました。もともとの形はお祭りの夜のシーンだけですから、後日談があったほうがいいのか、ないほうがいいのか……。
結局は、後日談を除いたものを投稿させていただきました。
両方読んだ方がもしいらしたら、どちらのほうがよかったでしょうか?
(どっちも悪いよ、って言われないことを祈りたい~(^^;)

こういうシーンを書くのはとても恥ずかしいんだなあと、とても強い印象を持ちました。
でもなんとか書けるようになりたいです~(^^;>

 

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2004.04.18

 『風に導かれて 銀河に躍るガスパールを見にゆく』(七枚)

 
 二百十日を迎えるころになると、かりんの胸はざわざわするのでした。
「今年は、高田さん、来るんかなあ」と、おじいちゃんに聞くと、いつもように「来るか来ねえか、さあて、どっちだんべ」という答えが返ってくるだけで、はっきりとしたことは教えてもらえませんでした。高田さんというのはおじいさんの知り合いで、外国暮らしが長いのですが、毎年この時期には日本に帰ってくるのです。お母さんは見かけたことがありませんが、去年の秋、お父さんと息子の二人には会ったことがありました。かりんの家に二人が何日か泊まっていったのです。人口が一万人に満たない地方の小さな町で『注文の多い料理店・春レ家』をほそぼそ営むおじいちゃんと、外国と日本を忙しく往復する生活を送っているという高田さんとがどういういきさつで知り合ったのか、かりんは知りません。
 去年の小学三年生の今頃に、かりんは高田さんの息子とある体験をしました。それが夢だったのか、それとも現実だったのか、たしかめたかったのです。
 強い風が吹く日にやってきた高田さんとその息子とは、はじめの日はかりんは夕食の席で自己紹介をしたっきり口もきけませんでした。はずかしかったからです。でも次の日、たしかそれまで口もきかなかった高田さんの息子(長いので彼のことは「高田くん」と呼ぶことにしましょう)に、とつぜん誘われたのでした。
「今夜は新月だから、銀河鉄道の夜景を見にいかないかい」そんな風に言われてかりんは目をしろくろさせましたが、おじいさんが「連れて行ってもらえ」と口をはさんだので、あいまいにうなづきました。どこかで聞いたことがある銀河鉄道という言葉と、めったにない夜の外出になんとなく心配と期待が入り交じった感じがしました。
 夕食が終わった七時半ごろ、高田くんに手を引かれて、歩いて三十分くらいのところにある駅に行きました。駅までの道は舗装されていましたが、街頭はなく、懐中電灯の明かりに応える緑色のきらきらは、たぬきだの野犬だのの瞳の色なのでした。こちらをじっとうかがっているけものの気配が怖かったのでかりんは「高田くんは、こんな真っ暗な道が怖くないん?」と聞いてみましたが、「うん、そうだね」というどちらともつかない返事が返ってきただけで、それっきり黙って歩き続けるので、心細さはいっそう増すほどでした。かりんの手は不安で震えはじめてしまいました。その震えが高田くんに伝わったのか、高田くんは赤い髪をふわっとさせてかりんの顔をしばらく見つめたあと、話をしてくれました。
「新月の夜にはガスパール(悪魔)たちが喜んで飛び回るのだよ」。それから、高田くんは、悪魔が空でラッパを吹いたり歌を歌ったり、転がるようにじゃれあって遊んだりする様を話して聞かせてくれました。「ガスパールは人間に悪さをしないの?」と聞くと、「月の見ていないお祭りの夜に仕事をするような真面目なガスパールはいないさ」とけらけら笑いました。かりんは高田くんがこんな陽気なところがあるとは知らなかったので、今見ることができた意外な面がすっかり気に入ってしまいました。
 駅に着くと、二両の電車がありました。ひとつは東京へ向かう夜行、もうひとつは田舎の路線をのんびり走るおんぼろ車両です。こんな田舎の駅にぴかぴかの東京行きが止まっているなんて珍しいな、とかりんは思いましたが、まるで夢のようなお話を聞いたあとでしたので、不思議な気持ちなのにそれがとても自然なことにも思えるのでした。
「東京行きというのは、ちょうどいい。ガスパールは街の灯りで照らされた空のほうがよく見えるんだ」と言って高田くんは夜行列車のほうにかりんを連れて行きました。駅に着いたあとの高田くんは走るたびに髪ばかりか体もふわっふわっと浮き上がるようでした。「この列車は風に乗って走るからね。風の切符を買うのだよ」そう言われたので、かりんはポケットから小鳥の羽を一枚取り出しました。いつの間にこんなものを持っていたのか、自分でもわかりません。「なんだ、切符をもう持っていたのか。嘉助の孫はしっかり者だなあ」そう言うと、かりんの手をどんどん引っ張っていきました。「高田さんは切符を買わないの」とたずねると、「ぼくは定期券を持っているからね」と言って、黒革の定期入れを見せてくれました。かりんは定期券というとお父さんのものしか知りませんでしたが、高田くんのはちょっとおかしな物だと思いました。期限も路線の区間も書いてないかわりに、『雨にも負けず』という文字がかすれたインクで印刷されているだけなのです。夜の駅は無人でしたが、灯りはこうこうと白い世界をまあるく照らしだしています。改札をくぐるときには高田くんに「ちゃんと切符を見せて」と言われたので、蛾がぐるぐる飛び回っているだけでだあれもいない改札口にしっかりと羽を乗せたてのひらを差し出して通りました。
 ――かりんが覚えているのは、このあたりまででした。このあと列車が走り出し、かりんは高田くんと列車の窓から夜景と、そこに躍るたくさんのガスパールたちの姿をを見たはずなのですが、どうしても思い出せません。気がついたら自分の布団で朝を迎えていました。あのときのことが夢だったのか、ほんとうだったのか。おじいちゃんの車に乗って夜の駅にお父さんを迎えに行ったことはあれから何度もありますが、夜行列車は見たことがありません。
 「今年は、高田さん、来るんかなあ。銀河鉄道にまた乗りたいなあ」と、かりんがおじいちゃんに言うと、今度は答えが返ってきました。「おじいちゃんが銀河鉄道に先に乗るのだから、かりんはあとからゆっくりおいで」と。
 ずっと前のあのときのことを、二百十日の風が吹く頃になると思い出すのです。

-了-


今回はとても長くなってしまいました。投稿できず。
とても好きなモチーフだったので、投稿したかったなあ……。
最近こんなのばかりですね、あははは……(涙)。
自分の考えたものが作品になるとどのくらいの分量になるのか、まだつかむことができないようです。未熟だなあ~。いつかこれらの作品が何かの形で生かせるときが来るといいのですけれど。
今回はいつもにも増してお題をクリアしつつ短く収めるのはかなりたいへんな気がするのですが、ほかの方がどのように書かれるのか、興味津々です。

(未投稿 三語即興文作品:「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「雨にも負けず」 追加ルール「一行詩のようなタイトルをつけてください」 )

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2004.04.16

『サチュロスのプジーオ』(六枚)

 サチュロスのプジーオをファミレスに連れて行くのは骨が折れた。
 なにしろ上半身は男、下半身は山羊という半獣の姿だから。遊園地の見せ物小屋から逃げ出してきたプジーオを私たちはかくまうことにしたのだ。
「おばあちゃんの車椅子、借りるね!」
「車椅子? 何に使うの」
 すぐ返すから、と言って質問をはぐらかし、車椅子を引き出す。玄関の段を降りるときガシャガシャと音を立てた。その音で、庭の木の陰でこっそり待機していた忠志や由美が気づいてやってきた。
「紀美香、うまくいったか?」
「プジーオ、すぐに座って!」
 由美がプジーオを車椅子に押し込めるように座らせて、膝掛けをかけるのと、お母さんが玄関先に顔を出すのとが同時だった。
「あ、あら……紀美香、こちらはどちら様?」
 もじゃもじゃパーマの鬼瓦、と私がこっそり呼んでいる形相が、怪盗ルパンもびっくりの早変わりでよそいきの顔に変わった。
「その先で転んだんです。それで紀美香が車椅子を貸してくれるって言うから……」
 うまい! 忠志は学級委員のくせに嘘の名人だと私は思った。お母さんも忠志や由美が一緒だったことで警戒を解いたらしい。「病院に行かれなくていいんですか?」なんてプジーオに聞いている。プジーオはまごまごしてお母さんの顔もまともに見られないようだった。お母さんは私を手招きして、「送ってあげるのはいいけれど、絶対におうちに上がったりしないですぐに帰ってきなさい。忠志くんと由美ちゃんもよ。わかった? 約束できる?」と私に言った。もう六年生なのに心配性だなあと思ったけれど、ここは素直にうなづいておくしかない。
「すぐ帰るから。携帯も持ってるし、心配しないで」
 プジーオの顔はどう見ても日本人に見えないからなあ。お母さんが警戒するのも無理はない。道路に出てからも私たちを見送るお母さんの視線を背中に感じて、私の心はちょっと重くなった。心の中でおかあさんに百回謝った。
 日曜日の午前中のファミレス作戦は、こんなふうに私を少し大人にして、ひとまず成功した。
 サチュロスが何を食べるのかわからなかったのでファミレスに連れてきたのだけれど、無駄な心配をしたみたい。まあ食べるわ食べるわ。なんでも食べる。パスタにハンバーグにカツ丼にピザにごま豆腐、和洋の区別なんて関係なし。ついでに由美がふざけて頼んだチュロスもぺろっと食べて「この揚げパンなんていうの?」なんて言うから私たちは「サチュロスがチュロスを食べるなんて共食いだあ!」と大笑いした。
 私たちの貯金の大半を費やして、やっと大食いサチュロスのプジーオは満足したみたいだった。デザートのソフトクリームを私たちは四人でぺろぺろなめた。
 プジーオに会ったのは昨日の夕方、三人で通っている塾の帰り道の空き地だった。会ったときから新月の晩はいつだろうって言っていたけれど、じつは今日の日曜日がその日なのだった。

 プジーオをかくまっていた空き地の資材倉庫は、翌日もぬけのからになっていた。
 私たち三人は寂しく思ったけれど、三人ともなんとなくそんな予感があったみたいで、それぞれプジーオの幸せを祈ることにした。
 プジーオがいなくなって一ヶ月近く経ってのこと。私は妙な黒服の男に会った。
 学校から帰る途中、近所では見かけない黒塗りの車が空き地の前に止まっていた。そこから真っ黒なスーツの男が降りてきたので私は警戒して遠巻きに通り過ぎようとしたのだけれど、
「三藤紀美香さん?」
 と名指しで呼び止められてしまったのだ。
 男は一通の手紙を渡すと車に乗り込んで去っていってしまった。
 手紙にはプジーオからのメッセージ。
『紀美香さん、忠志くん、由美さん、いつぞやはたいへんお世話になりました。あのときは何も言わずにいなくなってごめんなさい。私たち半獣は、非合法に作られた実験段階の生物です。じつは新月の晩ごとに薬を与えられないとだんだんもとの姿に戻ってしまうのです。けれども人間になるか獣になるかは、決まっていません。私たちを作った人が言っていたことには、人間になるには、人間らしい気持ちを持っていることが絶対に必要だということでした。みんなに会えて、とてもうれしかった。きっとぼくは人間らしい気持ちをみんなから教えてもらったと思います。もう会うことはないかもしれませんが、みんなのことは忘れません。ありがとう。お元気で。さようなら』
 すぐに忠志と由美に見せてやろうと小走りに走り出す私。
 そういえば、さっきの黒服の男の人、やけに黒くて小さい靴を履いていなかっただろうか。歩き方はまったく普通だったからすぐに気づかなかったけれど、あれはまるでひづめみたいじゃなかっただろうか……。


- 了 -


 ◇ ◇ ◇

三語即興に投稿しようとして書き始めたのですが……。
追加ルールで「ハードな感じで」とあったのを忘れていました(笑)。最初に考えたのはハードな感じだったのに、かけなかったので変えたのですよね。その際にぽろっと忘れてしまったようです。記憶力ゼロのおづね・れおであります。

(「ごま豆腐」「チュロス」「デザート」(注:デザートはどんな意味でも可)追加テーマは「ハードな感じ」で)


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2004.04.15

『無』(四枚)

 私の世界に無が入り込んでいる。
 それまで当然わかっていたはずのことが、わからなくなってしまう状態になってしまうことが、このところよく起こるようになっていたのだ。
 夜の駅のプラットフォームに立っている私は、突然、ここがどこで自分が何をしているのかわからなくなってしまった。見知らぬ世界にぽんと放り出されたような違和感に襲われる。動悸が激しくなり、脂汗がにじみ出てくるが、私は自分に落ちつけと言い聞かせながらひとつひとつを思い出していく。
 ここはどこだ? 赤羽駅、いつもの通勤のプラットフォーム。大改装を終えて昭和のたたずまいをすっかり脱ぎ捨てた近代的で清潔な空間。
 私は誰だ? 篠ノ井喜一。四十五歳のサラリーマン。今日は暑いのでスーツを夏用に替えてきた。ネクタイも数ヶ月ぶりの紺と水色のツートン。これから会社に行く。
 会社? 京葉商事。業績不振のためライバル会社だったニットーアと今春合併した。私はリストラの荒波をなんとか乗り越えてこうして通勤している。
 こうしてひとつひとつの記憶の粒子をつまんで拾うように思い出し、電車に飲み込まれていく人波の中の一滴の存在となっていく。私はこうしてつつがない一日にかろうじてしがみついている。無と戦いながら。
 次に無が襲ってきたのは日曜日のことだった。
 片側三車線ある大きな通りの歩道、私の隣に若い男が歩いている。彼が誰だかわからない。知り合いだろうか。それとも偶然隣を歩いているだけだろうか。
 こんなときの対処法を私はもう身につけていた。ふとしゃがみこんで靴紐を直すふりをする。隣の男がそれに気づいて立ち止まり、声をかけてきた。やはり私の知り合いだったのだ。
「どうしたの、お父さん」
 この言葉で私は思い出した。私立高校に入ったばかりの次男の啓二だ。なんだばかばかしい、毎日顔を合わせているはずの息子のことなのに、これはたんに度忘れというヤツだ。高校入学を機にせがまれてペットショップに行くところだった。
「なんでもない。ところでミドリフグというのはそんなに欲しいのか」
「欲しいよ。あれだよ、きっとお父さんもアイフルのコマーシャルみたいに生つばごっくんしちゃうよ」
「おいおい、変な言い方するんじゃない」
 会話しながら、私は今までになかった感覚をかぎとっていた。記憶が急速に遠ざかっていくのだ。自分が少しずつ無に飲み込まれていくのを感じていた。
 通りを見覚えのない大きな塊が車輪に乗って走っていく。奇妙な服装の人間たちが大勢、歩道を行き交っている。地面を覆う黒い固体、これは何だったか。
 隣を歩く見知らぬ男が私に話しかけている。
「今日はさ、貯金箱からお金を持ってきたからね」
 お金は大事だ。今の私にはお金のことで頭がいっぱいなんだ。
「ぼくたちもお父さんにお金を使わせないように気をつけるからさ」
 そうだ、お金を節約しないと。私には大事な家族がいるんだ。
「お父さんの仕事、早く見つかるといいね……あれ、どうしたの、お父さん」
 無が私を飲み込んでいく。
 私は無と戦わなくては……ならない……のだ……。
 
 
-了-


(三語即興:【無】【貯金箱】【フグ】 追加ルール【屋外でのお話にしてください】)

書いたのですが、四枚という長さになってしまい、お蔵入りに(涙)。
「五行~十五行」というのが三語即興の制限なので……。
しかもこの長さでもいろいろと不足がある気がします。
きっとこの倍でもちゃんと書くことがむずかしいお話なのだと思います。

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『漆黒の羽根の天使』(二枚)


「じゃあ俺のターン、戦闘フェイズ」
 俺の言葉に、にきびだらけのノリユキの顔が「にまっ」と笑みを浮かべるのがわかった。
 人気カードゲームの「マスター・オブ・マジック・アンド・モンスター」、通称MMMでの戦いの最中だ。
 ノリユキは二枚のドラゴンのカードを場に出している。俺の場には天使のモンスターカードが三枚あるが、ノリユキの魔法効果のせいで、全部攻撃終了状態にされていた。俺のターンで攻撃してノリユキを倒せなかったら、ノリユキのターンにはドラゴンの攻撃でこちらは負けることがほぼ決まっていた。俺の残りライフは二点。ノリユキの方は六点だ。
 俺の切り札を使うときが来た。
「魔法効果『天軍のラッパ』で、風属性のモンスターはすべて戦闘前状態に。さらに攻撃力プラス修正四点」
 ノリユキの顔から笑いが消し飛んだのを俺はしっかりと見た。
「三体の『漆黒の羽根の天使』で攻撃。それぞれ攻撃力六点」
 二体の天使はドラゴンにブロックされて破壊された。でも一体の天使の剣がノリユキ本体を貫き、残りライフを0にした。
「あーあ、負けたよ。天使デッキ対ドラゴンデッキの勝負は二勝二敗か」
「へっへっへ、今日は俺がごちそうになる番だな」
 昼休みのカードバトル。勝った方は負けた方から学食の自販機で飲み物をひとつおごってもらえることになっていた。
 十分後、ソーダー水の涼しい喉越しを俺は味わっていた。
 戦いの余韻にひたってカード談義をする俺とノリユキの横を、クラスメートの水島さんが通っていった。じつは俺のお気に入りの『漆黒の羽根の天使』はどことなく水島さんに似ていたりする。
「高校生になってもカードゲーム? 君たち、かわいいなあ」
 くすくすと笑いながら漆黒の長髪を揺らして去っていった我が天使。その後ろ姿を呆然と見送るしかない俺の肩を、ノリユキがやさしく叩いた。


-了-
 
 
(三語即興文投稿作品:「風、ソーダー水、破壊」、追加ルール「天使グッズ(天使の像、絵、何でもいいです)を書き入れてください」)

カードゲームのモデルは「マジック;ザ ギャザリング」です。お互いの初期ライフは二十点。
投稿したあとに聞いてみたところ、やっぱりカードゲームをされない方にはわかりにくかったようです(^^;>

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2004.04.13

『天使の像』(四枚)

「ぼくはこの天使の像が気に入っているんだ」
 どうして博物館に来てずっと一カ所に座り込んでいるのかと聞いた私に、彼はこう答えた。
 新婚旅行でイタリアに来て、せっかくだからルネサンスの美術をこの目で見たいと彼を誘ったのは私だった。彼は美術に興味がないと思っていたから、少し意外に思った。
 彼の両目が恋人の私の方にちらっと動きもせず見つめているのは、何者かに破壊され、首から上がもぎとられた天使の像。等身大の女性をかたどったそれは、二メートルほどの円錐台の上に乗っている。むごたらしいことに、折れた自らの首を、両腕に抱えた花束の上に置いている。
 黒のパンツにグレーのシャツ、どちらかというと長身の彼が像からほんの少し離れた円椅子で片膝を抱えて背を丸めている。こちらも石像のように見える。
「はい、ソーダー水。ここの売店は気の利いたものはぜんぜんないのね」
 私が館内をほぼ一周してきてもまだ座り込んで視線を動かさない彼に飲み物を渡すと、そのときだけ彼の方は石像から生きた人間に戻った。
「ありがとう」
「ルネッサンス期をだいぶ下って作られた像よね。あまりおもしろい造形ではないし、第一こんな形にされて」
「人為的にね」
「そう、人為的に。悪趣味だわ」
「天使はどうして人の形をしているんだろう。天の使いは鳥でも獣でも植物でもいいはずだよね。無機物だっていい。そういう神話だっていくらでもある」
「人の形をしているほうが私たちのイメージに近いのかしら」
「ぼくもそう思う。人の形が表すものは、鳥にも獣にも植物にもないものなんじゃないかな」
「それは、なあに?」
 私は何百年も黙視続けている石像の言葉を聞くかのように、彼の言葉を聞いた。
「人は天から祝福されたいのじゃなく、人から祝福されたいってことかな」
 ちょっと私にはわからない話になってきた。
「この天使にこんな形を与えた人が表したものって何だろう」
「わかるの?」
 私が問い返すと、彼の視線はゆっくりとまた天使の像を仰いだ。
「わからない。だから会話を試みている。……あ、そうだ。ぼくのことはいいから、博物館を一通り見てきたら? 君の見たいものがけっこう展示されているんじゃなかった?」
「天野くん」
 職場では彼は私の部下だ。そのちょっとかしこまった口調で呼んだ。
「え、なんですか」
「もう見て来ちゃったわよ」
「もう? 何を?」
「博物館の展示物は全部見ちゃったの」
「あああ、それはもう、なんだ、ごめんなさい」
 慌てているところは、新米時代と変わらないなあと思う。けっこう長い間、私の中では彼はこんなおとぼけキャラクターだった。深い海のようにたたえた思考に初めて触れたのはいつだったのか……。そのときから私は彼のことを異性として意識してしまったんだった。
 急に私は彼をいとおしく思えてしまって、文句を言うつもりもどこかへ消えてしまった。
「あーあ、もう、ずっとこうやって旅行していられたらよかったのになあ。君とこうして世界中を回ってみたかった!」
 彼の前の前にしゃがんで、彼の頭を右手で胸に抱き寄せる。
 そうしながら、私は心に決めていた。子どもを産んで、育てて、年を取ったらまたここに立ち寄ろう。世界一周をする途中で必ず、この天使の像の前でこの話の続きをしよう。きっと私もあなたの言葉をわかるようになっているから。


-了-


 ◇ ◇ ◇

三語即興に書こうと思いましたが、短くしようと思ったらまとまりませんでした。もっと説明したり、会話を増やしたりしたいところなんですが……。また、以前書いたものと似てしまったのも反省点です。
投稿せずに、ここにひっそりと保管することにします(^^;
天使の像に表されたものを会話の流れの中で書いてみたかったのですが……。


(三語即興文 お題は「風」「ソーダー水」「破壊」 追加ルール:天使グッズ(天使の像、絵、何でもいいです)を書き入れてください)

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2004.04.10

『アリョーシャとマリーナ』(三枚)


 オホーツクの海はきっと日本までつながっていて、茜の空は妹のもとまで続いているのだろう。
 俺と愛犬は海辺に立ち、もう何時間も手の届かない国の方を見つめていた。
「兄さんの星だよ。だって兄さんの髪は、火の色をしているから」
 そう言って妹が俺にくれたのは夕暮れ時の火の惑星。
 もうじき落ちる太陽を追うように火星は今日も南西の空に輝きはじめている。
 妹の父親と、俺の母親は再婚同士で、五年前に結婚して五年間だけ夫婦だった。しょっちゅう停電する上にその電気代も払えない貧乏家から突然シャンデリアのさがったホールつきの邸宅に住まいが変わった。もとのオンボロに戻るまでの生活は快適で何不自由ない別の世界のようだった。資本主義の国から来た大金持ちの父親にはなじめなかったけれど、妹は愛した。楽な生活に戻りたいとは思わない。けれど、ただ妹がいないことが寂しい。
 たくましい樺太犬のイーゴリもよく彼女になつき、俺たちは一緒に暖炉の前にねそべって絵本を眺めたり、二人と一匹で石炭運びをしたりした。「アリョーシャとマリーナは本当の兄妹みたいだなあ」と言われたことは何度あったか数え切れない。
 俺の手に握られているのは、去年俺が十六になったとき妹がくれた日本の写真。俺と出会うほんの少し前に日本で撮った七歳のお祝いの写真だった。どうしてこんなものをくれるのかと聞いた俺に、妹はこう言った。
「きっとお父さんはお母さんと兄さんと別れて日本に帰るつもりなの。だから私のいちばんの写真を兄さんにあげる。万里南はずっと兄さんの妹だから……」
 俺はそのときどう言っていいかわからなくて、莫迦だなあ、心配しなくていい、俺たちは離ればなれになったりしない、なんて言ってしまった。妹は目に涙をためていたと思う。莫迦なのは俺だった。
 夕凪の海は遠い島影をおぼろに映していた。うろこ雲の隙間から俺の星が一つ目で地上を見て、光をこぼしていた。
「イーゴリ、もう行こうか。明日は早い」
 明日、貧困から抜け出したい一心の男たちを乗せた船が南の地に向けて出発する。ひっそりと、まだ太陽が昇るまで何時間もあるうちに。
 夜明け前の闇を渡る船に、俺も乗る。


-了-


海外物というルールで書いてみました。
『メープルの小道とサリンジャーの思い出』に続いて海外物二つ目です。
ちょっと近い感じの傾向……?
蛇足ながら解説をしますと、ロシアのサハリン州に住む十七歳の少年の話です。日本に密入国して出稼ぎする男たちに混じって船に乗る前日、ほかの男たちにはない彼だけの思い出と心に描く未来を見つめています。
少年アリョーシャの心情が出ているでしょうか(^^;

(『三語即興文』投稿作品)
(お題は「凪・惑星・うろこ雲」追加ルール「海外が舞台」)

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2004.04.09

『山彦海彦と兄弟熊』

 むかしむかしのこと、このあたりに山彦と海彦という若者が住んでおった。
 ある晩のこと、山彦の家の囲炉裏端で、山彦と海彦はこんな話をしていた。
「海彦よ、あの兄弟熊にもほとほと参ったのう」
「山彦よ、お前のところは何をやられた」
「我が家ではあの二頭の熊は畑をすっかり荒らしてしまった」
「我が家ではあの二頭の熊が鮭をみんな盗んでいった」
「このままでは、おとうもおかあも、冬の間食べるものがねえ」
「息子も娘もひもじい思いをすることになる」
 そんなわけで、二人は熊退治に向かうことになったんだと。
 山彦は自慢の弓矢を、海彦は得意の銛(もり)を持って沢ぞいのけもの道を上っていった。
「海彦よ、あちこちの枝にたくさんの木の実がなっておる」
「では我が銛でつついて落とそう」
 二人はあけび、山ぶどう、クルミなどの木の実をどっさり手に入れた。
「山彦よ、向こうに鳥が見えるぞ」
「では我が弓矢で撃ち落とそう」
 キジ、ヤマドリを何羽か撃ち落とし、それも二人は手に入れた。
「のう海彦よ」
「なんだ山彦よ」
「これだけあればしばらくは食うに困らぬなあ。兄弟熊退治をせずともよいのではないか」
「だがきっとまた熊たちは我々の食べ物を荒らしにくるに違いない」
「では退治しなくてはならないな」
「退治しなくてはならないぞ」
 そんなわけで二人はどんどん奥へ進んでいった。
 目的地に近づくにつれて、あちこちの木に新しい爪痕が目立ち始めた。
「もうじきだぞ、海彦よ」
「ああわかっている、山彦よ」
 二人は慎重に熊の足跡を見つけてたどっていった。そして熊の住処である洞穴を見つけた。中からは物音は何も聞こえなかった。
 松明の明かりで洞穴を照らしてみると、洞穴はさほど深くなさそうに見えた。兄弟熊はいないように見えたが、いちばん奥までは光が届かない。
「入ってみるか、海彦よ」
「入ってみよう、山彦よ」
 二人が足を踏み込むと、なんと、洞穴の奥には兄弟熊よりもずっと体の大きい雌熊が体を横たえていた。
「これは母熊じゃ」
「しかも大けがをしておる」
「ああ、この体では動けまい」
「さては、兄弟熊はこの母親に食べ物を運んでいたのか」
 二人は顔を見合わせた。そして黙ってうなづきあった。
 洞穴を出た二人の手にはそれぞれ、出発したときと同じ、弓矢と銛が残されているだけだった。
「熊には取れない木の実を見つけたしのう」
「熊には狩れない鳥がいるしのう」
 山彦と海彦は帰り道でも木の実と鳥をたくさん手に入れて、それぞれ我が家に帰った。
 母親を大事にする兄弟熊の話がのちの世にも伝わって、このあたりでは二頭の熊と母親を木彫りにして家ごとに必ずひとつ、備えるようになったんだと。

(『熊』『鮭』『木彫り』追加:『おとぎ話風に』)

ま、また出遅れてしまって投稿できず……。時間をかけすぎているのかなあ。

追記:でもあまり参加するのが遅くなるのも申しわけないと思って投稿してしまいました(^^;
   事故作品なので、にぎやかし程度のもととして読んでいただければと思うのですが。
追記2:ちょっと改稿しました(20040411)

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2004.04.08

投稿しそびれた三語即興です(^^;

先の三本は、三語即興で書いてみたものです。
長くなってしまうのを無理矢理に短くしたためか、どうも今ひとつ感が残っていました。
『モサと青い鳥』を書いて投稿しようと思ったら、すでにもっといい作品が投稿されていました(^^;

お題【爪切り】【公園】【サラダ】追加ルール【ファンタジーで】

新しくできたまだ三語即興に作品を投稿できていないので、今夜あたりには書きたいなあと思っています。

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『モサと青い鳥』(四枚)

 港公園の見えるこのマンションのベランダで羽根休めをするのが、オイラの日課だ。
 青い小鳥になって、ほんのちょっとした幸運と不運とをバランスよく人間たちに届けるのが運気の精の一人たるオイラの役割だ。けれど、担当地域はとても広くて、オイラ一人じゃ「誰にも平等に幸運を」なんていう風にはとてもとても。
「ばうばうばうん」
 うわあびっくりした。
 モサのやつがベランダに出ていたなんて気づかなかった。モサというのは、この部屋の住人である一人暮らしの男の飼い犬だ。チャウチャウ犬ともう少し大きい犬との雑種らしい。毛がモサっとしているから、モサ。たぶん。
 犬のくせに室内が大好きで、外に出て散歩をするのが嫌いな変わったヤツなのだ。食べ物も肉よりサラダが好きという、野性味が抜けてモサーっとしたヤツなんである。
「ばうん」
 こんな風に吠えてくるのは「こんにちは」の意味だ。でもおかしいな。今日は木曜日、モサの主人は会社だろ。うん、ベランダのガラス戸だって鍵が閉まっている。
「モサ公、お前さん、もしかして閉め出されたのか?」
 たぶん朝のうちにベランダに出てそのままゴロゴロしていたに違いない。でもって、いつも遅刻ぎりぎりに出ていく主人がうっかり扉に鍵をかけてしまったってところだろう。
「じゃあお前、今日は主人が帰ってくるまで餌も水もなしってことかい?」
「ばうーん」
 そりゃあちょっと気の毒だ。オイラはこの小鳥の姿じゃ何もしてやれないが、何かあるといけないから今日はこのままつきあってやるか。
 モサの毛皮の上で一時間ほどオイラはうとうとしていたらしい。
「おい、モサ、いるか~!」
 主人が昼休みを利用したらしく、帰ってきた。どうやらモサのやつ、運よく思い出してもらえたようだ。
 もっさりとした姿が部屋に無事入ったのを見届けて飛び立とうとしたオイラに、モサが何かをくわえてもってきた。自分が主人からもらった宝物のひとつらしい。
「ありがとよ」
 新品ぴかぴかの小さな爪切りをオイラはもらって、飛び立った。
 それ以来、鏡がわりになった爪切りは、いつも朝の羽根づくろいに大いに役に立っている。

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『幸子と公園の怪』(四枚)

 公園で幸子がまたぼくの野球ボールを隠してしまった。
「こら、幸子。どこにやったんだよ、兄ちゃんのボール」
「知らないもん」
 お父さんとお母さんが帰ってくる6時過ぎまで、五歳になったばかりの妹の幸子と遊んでやるのがぼくの役割だった。でも幸子よりも友達とキャッチボールをするほうが楽しいぼくは、幸子を一人で遊ばせておくことも多かった。そんなとき決まって幸子はぼくを困らせるようないたずらをする。ボールを隠すことはしょっちゅうだ。
 砂場かな、と直感した。幸子の視線をよく観察すると砂場のほうを見ようとしないからだ。案の定、真新しく掘り返した跡を足の先でつつくとボールが出てきた。
「だめじゃないか!」
とぼくは怒るけれど、本当は幸子は寂しいだけなんだとわかっていた。
「もう、するなよ」
 ぼくが言うと、幸子は小さくうなづき……そのとたん、ずるっと下の方に引きずり込まれてしまった。
「兄ちゃん!」
 幸子の足の先は二本の木の棒のようなものにくわえこまれて、砂の中に引きずり込まれていく。砂場はすり鉢のようにへこみを作り始めて、ぼくも姿勢を崩しそうになり、あわてて飛びのく。幸子はぼくのほうに手を差し出している。
 ぼくは左手で幸子の伸ばした左手をしっかりつかんだ。そのとき砂のすり鉢の奥で光を放っているたくさんの眼を見た。生き物……いや、化け物だ。
 化け物が顔を砂の上に出した。木の棒のように見えたのは大顎で、クワガタかアリジゴクのようだった。顔に続いて半分ほど出てきた胴体は半透明のガラス質で、中で気味の悪い茶色い体液がぐるぐる循環しているのが見て取れた。大顎の間に、金属質の二枚の歯が見えた。しきりにガチガチとかみ合わせている。あれで幸子を食いちぎる気なんだ。
「幸子、兄ちゃんにつかまってろよ、離すなよ!」
 ぼくは右手に掴んだボールを思い切り化け物の顔に向かって投げつけた。それは眼のひとつに命中し、化け物は幸子を放して砂の中にもぐっていった。
「兄ちゃん、ありがとう」
 泣いている幸子。気がつくとあたりは元の公園に戻っている。
「ごめんね、幸子ね、隠したの。兄ちゃんのボールも、お父さんお母さんの大事なものも……ごめんね」
 砂の上には、幸子が持ち出して隠した『家族の大事なもの』、お母さんお気に入りの外国製の爪切り、家族みんなが大好きな味のサラダドレッシングの瓶、お父さんの漆塗りの箸がバラバラに転がっていた。
 ぼくと幸子はそれらを大事に拾い集め、手をぎゅっと握りあって家に帰った。
「兄ちゃん、幸子の手を絶対に離さないからな」
 涙が止まらなくなってしまった幸子にぼくの言葉が届いただろうか――
 

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『爪切り女』(四枚)

 夕暮れ時の公園には「爪切り女」が出る、という噂が全国的に広まっていた。
 ミチオは噂をの原因となった張本人だったのだけれど、まさかテレビで特集されるまでになるとは思わなかった。
 きっかけは朝食のサラダに小さな動物の爪のかけらが入り込んでいたことだった。サラダはお母さんが小さな庭の片隅に作った家庭菜園で取れた小松菜を使ったものだったが、ミチオの家では動物は飼っていない。
 大人たちは気づいていなかったけれど、このところ近所からはハト、スズメ、コウモリ、ネズミそれにゴキブリまで、小さな生き物の姿がまったくと言っていいほど見られなくなっていた。
 ミチオは自分の口に刺さった鋭く硬い爪が、小さい生き物が消えてしまったことと関係があると直感した。さっそく調査しよう、そして「自由学習ノート」に記録しておかなくてはならない、と思った。
 家庭菜園には、サラダに入っていたものと同じ動物の爪――おそらくネコの爪――がたくさん落ちているのが見つかった。切断面が鋭利なことから、人為的に切断されたものと思われた。また血痕らしきものも見つかったが、猫のものとも人のものともわからなかった。足跡のようなものは菜園のやわらかい土に少しだけ、猫の、それもかなり大柄のものがついていた。
 そういえば、夕方の公園で小さな声で「助けて」という声を聞いたことがあるような気がする。小さな生き物が姿を消し始めた頃だ。
 ミチオの頭にひらめきが起こり、それにもとづいてノートにこんなことを書いて担任の土田先生に提出した。
「公園には爪切り女が住んでいる。夕方になると子どもたちをつかまえて爪を切ってしまう。爪切り女はあたりのハトやスズメやネコを爪を切ったあと食べてしまう。食べ物がなくなるとゴキブリやネズミまで食べる。爪切り女に注意」
 土田先生は大いにおもしろがって、職員室でたびたび話題に出したし、またミチオの推理力ではなく想像力を、たいへんほめた。そして噂はまたたく間に広まっていって、今に至る。
「ミチオ! こんなに爪が伸びてるわよ。ほら、切らないと爪切り女につかまっちゃうよ」
 こんな風にお母さんに言われてしぶしぶお風呂上がりのやわらかい爪を切り始めるミチオだった。そのミチオを、天井裏の隙間からのぞき込んでいる三つの影があった。
「俺たちの化け猫退治の証拠から、あんな話を思いつくなんて、なかなかおもしろい子だよなあ、コウモリの精よ」
「感心しとる場合か、ネズミの精。お前さんが最後の戦いで切り落とした化け猫めの爪をうっかり落としておくから、いらん心配をする羽目になったぞ」
「まあまあ、文句を言わない、言わない。こうして最後まで見届けたんですから、もう精霊界に帰りましょうよ」
 スズメの精に促されて、コウモリの精、ネズミの精もうなづくと、その姿は蒸気のようにすっと空気に溶けて消えた。


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2004.04.03

『コマイヌの語るコンダラの小景』

 
「先輩、コンダラ使っていいですかぁ~?」
 拓己の声変わり前の高い声がコートに響いた。
 その瞬間、五月のテニスコートの上を冷たい静けさが走っていった。
 拓己は自分の声が二年の道緒に届かなかったのだと思って、もう一度繰り返す。コートに残っていた全員と、心なしか風も雲も太陽も、数瞬の間、静止しているように思われた。
「コンダラって何だ、コンダラって!」
 武広にはツッコミを入れるのはおそらく自分の役割であろうことをわかっていたが、「オレは拓己の保護者じゃないのに」と不満にも思っていた。でも太陽の光も凍りかねないこの状況……選択の余地はないと思った。
「え、だからコートをならすのに、重いコンダラ……」
「チョォォォォォップ!」
「いてえ」
 武広がスーパーマリオのジャンプポーズで脳天にチョップを食らわせる。これが武広の得意技だった。
「お・ま・え・なぁぁぁ。いまどき古いギャグで空気凍らすな! 星飛雄馬が引っ張っているのはローラーで、コンダラじゃねえ。ついでに巨人の星の歌詞は『思いこんだら試練の道を』だろ」
「えっ、『重いコンダラ塩の道を』? 塩野道緒先輩?」
 離れた場所でシューズを脱いでいた道緒がコケた。「わざとじゃない、あいつは天然ボケなんだ、怒っちゃいけないんだ」わかっていても、日々重なるばかりのストレスに、自分は十四で頭にハゲができるんじゃないかと思う。
「膝蹴りチョォォォップ!」
「いてえ。膝蹴りはチョップじゃないだろー」
「うっせ! お前、今日も国語の松本先生に『庭山くんのは弁慶ぎなた式ですね』なんて言われていただろ」
「えっ、なんだっけそれ」
「オレもよく知らねえ。『ぎなた』って何だろう」
「道緒先輩に聞いてみようか?」
「そうだな、おーい、道緒先輩ー」
 すでに道緒はさっさと部室に雲隠れしたあとだった。
 テニスコートの隣にある八幡神社の狛犬だけが二人を見ていた。『弁慶はな、ぎなたを持って……』口の中でぶつぶつつぶやいてみたが、もう別の話に夢中になっている二人には届かないのだった。


-了-

 
(『作家でごはん!』【三語即興文in鍛練場】投稿作品
 ルール:「狛犬・弁慶・塩の道」追加ルール「神視点」)

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2004.04.02

『メープルの小道とサリンジャーの思い出』(四枚)

 
「バーネット教授の短編小説作法コースを受講してるんだって?」
 アーウィンがそんなふうに話しかけてきたのが私たちの知り合うきっかけになった。落葉の季節だったけれど、陽の光はまだ暖かく、マンハッタン島にある私たちの大学の周辺にも小道を並んで揺れる若いカップルの影がよく見かけられた。
 日本人の私にも気さくに話しかけてくれる人は、この国の最高の頭脳が集まったこの大学にもそう多くなかった。数十分間の文学談義ですっかり意気投合した私たちは、図書館のアテナイ神殿を思わせる威容と合衆国建国より古い歴史を抜け出して、今を楽しむ小道の影たちの仲間入りをした。メープルの落ち葉がさくさくと心地よい音を立てて笑っていた。
 アーウィンを私の古アパートに招待してごちそうしたときのことは忘れられない。今と違ってお手軽な炊飯ジャーはおろか日本の食材もほとんど手に入らない時代、学問のことしか知らない無知な娘の手料理に、彼は笑顔で応えてくえた。そのときだっけ、彼が小説になんかほんとうはほとんど興味がないってことがわかったのは。
「サリンジャーの『若者たち』も読んでないなんてことはないでしょう? 去年バーネット教授の主宰誌に載ったばかりよ。私、彼は絶対に大成すると思うの」
「ごめん、ジュリ、去年のはまだ読んでないんだ……」
 あきれた。図書館で話しかけてきたときの小説への並々ならぬ関心は何だったの。
 さり気なく着こなしているセーターやジーンズも、私の持っている服全部の値段より高いに違いなかったけれど、彼の人柄は私に引け目を感じさせることもなく、小説の話にも必死についてこようと頼み込むようにして私に前年の会誌を借りていく様子が私にはとても好ましかった。
「ほんとはぼく、短波通信に今は夢中だったりするんだ。物理をやってるんで、こないだの太陽フレアの増大の影響は興味深かった。国際無線通信も軒並み全滅してさ、デリンジャー現象って言うんだけど」
「サリンジャーじゃなくてね」
 私が冷たい声で皮肉を言うと彼はしまったという顔つきになった。『藪をつついて蛇を出す』っていうことわざを教えてあげようかしらと思って私は笑ったものだった。

「おばあちゃん、どうして笑ってるの?」
 孫娘のエリーに話しかけられて、私は我に返った。
 久しぶりに訪れた母校で、ついあの人との思い出にふけってしまったようだ。私ももうそれほど長くは生きないだろう。今年、二百五十周年を迎える大学は、ちょうど私たちの出会いの季節を迎えるところだった。
「なんでもないのよ。おじいちゃんもきっと、ここに帰ってこられて喜んでるわね……」
 孫娘が大事に抱えている写真と、私たちの影が、メープルの葉の上に長い体を仲良く揺らしていた。


-了ー
 
 
 
(『作家でごはん!』【三語即興文in鍛練場】投稿作品
 ルール:「サリンジャー」「デリンジャー」「炊飯ジャー」 追加ルール:「お笑い抜き」)


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2004.04.01

『鳥人間に捧げる哀歌』(二枚)

 
 最後の鳥人間に俺の投げ弾がからみつき、地面にたたき落としたのが幕引きとなった。
「あんたの投げ弾とあたしのナイフで、この廃墟のモンスターも一掃したな」
 この仕事を一緒に請け負った仲間である女盗賊が、死んだモンスターたちの耳を切り取りながら俺に話しかける。
「ははは、しばらくは盛り場に入り浸って俺は酒、お前はどうせサイコロと仲良くするんだろ」
「ああ、これだけモンスターを倒した証拠があれば、しばらくは遊べるな。……おい、この鳥人間を見てくれないか」
 明るい口調が突然がらりと暗く変わり、震え気味のナイフの先が鳥人間の腕にある青い文様を示した。根っからの楽天家に見えるコイツを動揺させる物でもあったのかと思ったが……どこにでもありそうなタトゥーか何かにしか見えなかった。
「この世界の原世界に存在したというバベルの塔が壊れたとき、一部の人間が言葉を失った。そのなれの果てが鳥人間をはじめとする人間型モンスターだと言うよ……」
「じゃあ、こいつももとは人間だったのか?」
「私、このタトゥーを見たことがあるんだよ……」
 女盗賊が頭を垂れたまま、つぶやいた。
「昔一緒にモンスター退治をした仲間の剣士でさ。大きなヤマを当てて、一生遊んで暮らすんだ、って言ってた……」
 彼女が昔の仲間に捧げたのは、一粒の涙と、紅い髪のひと房だった。自分がいつかこんな死に方をするとしたら、誰かが何かを捧げてくれることがあるだろうかと、俺は思わずにはいられなかった。
 
 
 
-了ー
 
 

 ファンタジー物はじつはとても好きなのですが、そのためにかえってこれまで書けませんでした。思い切って挑戦してみましたが、どうでしょう(^^;>
 タイトルは敬愛する手塚一郎氏の『最後の竜に捧げる歌』へのオマージュでもあります。
(でも手塚さんに見せたら怒られそうな気がする~。関係者各位はご内密にお願いしますね(^^;>)


(『作家でごはん!』【三語即興文in鍛練場】投稿作品
 ルール:「鳥人間」「サイコロ」「バベルの塔」 追加ルール:「感動する話でおねがいします」)

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2004.03.31

『最強のブー』

 ゲームの話をはじめると興奮のあまりどもりが入るのが俊文の特徴だ。
「もうね、もうね、最強。最強。ペトロフォグ」
 やばい、今日は興奮しすぎて何を言っているのかほとんどわからない。でもその熱意は痛いほどに伝わってくる。だから、ぼくも俊文を「じゃけん」にはできない。
「盲目の剣士ね、盲目の。そいつが使う技なの、ペトロフォグ。石化ガス、石化」
 今やっているゲームの説明を身振り手振り混じりでしてくれているのだが、ぼくは正直よくわかっていない。新しく仲間になったキャラクターが異様に強いらしく、そのことを伝えたくてたまらないらしい。
「わけわかんねーよ、何だよペトロフォグって。どういう技?」
「あのね、カウンター。敵の攻撃を察知してひらっとかわして、攻めてきた相手に逆に石化ガス。ガスを浴びせる。ブーって。高木ブー」
 ついでに彼はお尻をつきだして片手をその後ろでグッパさせた。なんだか知らないけど、意味不明におもしろかったのでぼくは爆笑してしまった。涙を拭きながら、
「物理攻撃に対するカウンター? 名前からして魔法系だと思ったけど」
「違う違う。魔法にはカウンターしない。ニンジャの二刀流の攻撃でもかわすぜ、すごいカウンター。攻撃してきた敵のほうが石になる。他山の石ってやつ」
「他山の石の使い方間違ってるよ!」
「そ、そうだっけ? でもおもしれーよ、ペトロフォグ最強。俺たぶん半分くらいのところに来てるからさ、全クリしたら安見にも貸すよ」
「サンキュー。楽しみにしているぜ、高木ブー攻撃」
 ぼくが借りた後、このゲームは友達の間をだいぶ回ったけれど、渡すときに必ず次の人に例のポーズをしてから渡すのが「おきて」になった。

-了-


主人公の名前がちょっとしたお遊びになっていますが、気づく方はいらっしゃるでしょうか(^^;>
『タクティクス・オウガ』というゲームをご存じで、ちょっとゲーム業界に詳しい方なら気づくかも……。
(友人もけっこう業界に多いので、つい遊んでしまいました)
また、毎回毛色を変えたものを書きたいと思っているのですが、そろそろ無理が生じてきたような気がします。
でももうちょっとがんばってみようかな~?

(『作家でごはん!』【三語即興文in鍛練場】投稿作品
 ルール:「最強」「盲目」「他山の石」 追加ルール:お題の各単語を二回以上使う)


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『パパのセスナと潜水艦と』(三枚)

「そのときだ、パパの操縦するセスナが洋上に不審な大型の潜水艦を発見したのは」
 声を一段低くして緊張を込めると、真剣に聞いていた娘の目がくりっと動き、私の視線とがっちり組み合った。
「結婚式のその日に、パパはえらいものを見つけてしまったと思ったね。一緒に空の散歩を楽しんでいた花嫁にも、ちょっと迷ったけれど、今見たものを教えた」
 お茶を入れ直してきてくれた家内が、あら、そのお話? と言ってほほえみ、娘の隣に座った。
「米国の潜水艦ではなかった。でもいくらなんでも我が国のそれも太平洋側の沿岸近くに他の国の艦艇が入り込んできているなんて、一大事だと思ったよ。もしかしたらそれがもとで戦争を引き起こしかねないんだからね」
 娘の膝の上に結んだ両拳に、ぐっと力がこもったようだった。
「パパは花嫁に言ったよ。どうする、って。そしたら我が花嫁はこう言った。『もっと近寄って、敵の様子を探りましょう』ってね。パパは勇敢な花嫁に惚れ直したね」
「うふふ、でもおかしいのよ、パパのセスナがくるっとカーブして敵の潜水艦に近寄ったときね」
「おいおい、先にオチをばらすなよ」
「あら、勇敢な花嫁の口から言わせてくれてもいいんじゃない?」
 私は苦笑いして肩をすくめた。しまった、娘の双眸は早くも家内のほうに釘付けだ。せっかくの私の誕生日だというのに、結局娘はママがいいってことなのかい。
「その潜水艦ったらね、うふふ、セスナに気づいたのね、急に水に潜り始めたの。潮をばあーって吹いてね。あはは、そうそう、そうなの、鯨だったのね。でもあんなに大きな鯨を見たのはテレビも含めてあれっきりよ……」
 何年かに一度しかない日曜日の誕生パーティーも終わり、私は膝を浮かしかけていた。さて、明日からはまた会社から帰ったら眠っている娘の顔を見るだけの日々だ。私はこの場を去る前にわざとらしい大きなため息のひとつもつこうかと思った。
「……そして、そのとき、こんな勇敢なパイロットのお嫁さんになれてほんとうにうれしい、って思ったのよ……」
 その言葉とともにふたたびこちらに向いた娘の視線を、私はどう受け止めていいかわからず、ただただとまどうばかりだった。

-了-


じちはちょっと失敗しました。追加ルールの「軍隊の話は出さない」に抵触しています。
プロットのときには意識していたのに、うっかり言及してしまいました。言わなくても通じる話なのですから、見直し不足が露呈してしまいましたね。反省です。
ああ、恥ずかしい。

(『作家でごはん!』【三語即興文in鍛練場】投稿作品
 ルール:「結婚」「潜水艦」「セスナ」 追加ルール:「軍隊の話は出さない」)

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2004.03.30

『生徒会室にマンドラゴラはたたずんで』(三枚)

今日も三語鍛錬に参加しました。
今回はライトノベル風を目指してみました~。

 
 
 
「集団失踪した魔術同好会の残した物品が、このドールハウスねえ……」
 生徒会長の古藤は細い顎に指を添えながら眉をしかめた。
「ええ、彼女たち三人のクラス二年四組の精巧なミニチュアですわ」
 古藤の肩に薄くマニキュアを塗った指をそっとかけてしなだれかかったのは副会長の信濃だった。
「む、ちょっと見てくれ信濃くん」
 ガタッという音とともに立ち上がった古藤に、信濃はバランスを失って倒れそうになる。彼女のいつもの直接的なアプローチは、こと生徒会長の彼に関する限りまったく効力を持たないようだった。
「な、なんですの、古藤さん」
「お父さんではないよ、古藤だ」
「ちゃんとそう呼びましたわ」
 苗字について変な被害者妄想があるのが才色完備の会長の欠点だった。
「なにかの切れ端が付着している……根菜類か……?」
「あの、お弁当のたくあんか何かでは?」
「たくあんだと証明できるかい?」
「……ええーっと、古藤会長が自らお召し上がりになる、というのはいかがでしょう?」
「じょ、冗談ではないよ。ええい、こんなものは捨ててしまおう。焼却処分だ!」
 古藤が振りかぶって「燃えるゴミ」と書かれた箱を見据えたとき、『たくあんか何か』が口を利いた。
「すみませーん、捨てないでくださーい」
 のろのろとした口調で、それがいかにも根菜類という感じの声だと古藤は思った。
 一時間後、ドールハウスの人形はきれいに水洗いされ、魔術で人形と化していた魔術同好会の女子生徒三人は無事に元の人間の姿に戻ったのだった。
「魔術の秘密をしゃべったお礼を、お忘れなく~」
 そんなわけで、生徒会室の窓辺には、このときから『自称・マンドラゴラ』と書かれた根菜の鉢植えが幸せそうに青々とした葉を茂らせることになったのだった。


-了-


(『作家でごはん!』【三語即興文in鍛練場】投稿作品
 ルール:「ドールハウス」「証明」「根菜」追加ルール「擬声語を1つ以上入れる」)

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2004.03.29

『厚切りバナナ・トリップ』(三枚)

 まぶたを閉じ、そして開く。こんな行為を何度繰り返しても目の前のバナナの皮は厚切りステーキに変わったりはしなかった。
「貧乏が、うらめしいぞ~」
 雪の降る深夜の研究室で、俺は誰にも聞こえない恨み言をつぶやいた。
 卒業研究の締め切りまであと二週間だというのに、俺のはまだいいところ道半分来たかどうかというところだった。教授の定期チェックを適当なでっち上げでのらりくらりと逃れてきたツケが、ここに来てぐろぐろと効いてきた。
「バイトもできないし、とにかく金がない。ひもじい」
 ラジオをつけるとヒップホップの有名な曲が流れた。そういえばこの歌手は麻薬容疑で逮捕されたことがあったっけ……。
「バナナの皮って、ドラッグになるんじゃなかったかな?」
 ひもじさを忘れたいあまり、俺はそんなことを口走っていた。
「バナナの皮なんて毒性もほとんどあるはずないし、ちょっとくらいなら構いやしないだろうし、それに俺はもうバナナの皮でもいいから食べてしまいたいほど腹が減っているのだ、いるのだったら!」
 そうだ、バナナの皮でトリップしてバナナの皮を厚切りステーキだと思って食ってしまおう……俺の妄想がそんな危険水域に達したとき。
 ドッスーン。
 屋上で音がした。俺の目は一気に覚めた。悪友がどこかの漫画で読んだという知識を持ち出して、屋上に水をまいて氷を張り、スケートリンクを作ったのだった。さっき何かを叫んで屋上に飛び出していったと思ったら、本当に滑ったのか。そして転んだのか。
 あいつも相当追いつめられているよなあ、と思いながら、俺はバナナの皮にちらっと視線を走らせる。

 黄色い夢は、スローモーションのように回転しながら宙を舞い、ゴミ箱へと吸い込まれて消えていった。


-了-

(『作家でごはん!』【三語即興文in鍛練場】投稿作品
 ルール:「バナナの皮」「厚切りステーキ」「ヒップホップ」追加ルール「誰かを転ばしてください」)


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2004.03.28

『一ノ瀬トロミの学校潜入レポート』(一枚)

 私の名前は一ノ瀬トロミ。四コマ漫画の登場人物だ。
 私の四コマ漫画は、トロトロキャンデーという駄菓子のオマケについてくる。
「あっ、先生、ごめんなさい、取り上げないでえ~」
  こっそり私を学校に持ち込んでいた女子高生がわざとらしい悲鳴を上げた。ぬっとそびえるシルエットは万年ジャージで無精ヒゲの体育教師(トロミの勝手な決めつけ)だ。
「先生だって、駄菓子を学校で食べたいんだぞ。ダガシかし! 我慢してるんだ!」
 ドガーン。
 直球ストレートなオヤジギャグに教室の床は地雷原と化した。
 私は一ノ瀬トロミ。私を学校に持ち込むときは、くれぐれも先生に注意してね♪

(了)


 三語即興のお題を借りて練習してみました。
 ギャグ系のものはまだ書いたことがないので、練習です~。
 お題は「四コマ漫画」「駄菓子」「先生」追加ルールは「舞台は学校」

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『抹茶味・漫才・アメリカ』

「デザートは抹茶味のアイスにしようかな~」
 焼き肉が大方片づいてぼくが独り言を言ったとき、エリカはこんな言葉を投げかけてきた。
「はっはっ、抹茶味のアイスとは、トモユキも堕落したもんだよな」
 デートのいい雰囲気を台無しにするようなエリカの言葉に、思わずむきになって反論してしまった。
「だ、堕落ぅ~? 食べ物を好きに選んで何が悪いんだよ」
「味覚を装うようになったら堕落にほかならないね。アメリカを生活習慣病大国に陥れた罠がそれだよ。そもそも味覚が生き物に備わっている理由は、体に必要な栄養分を判別するためと、危険なものを体に取り込まないようにするためだ。それを添加物でごまかすなんて、味覚の意義に真っ向から挑む行為にほかならないのさ」
 うう、手厳しい……今日の彼女は『理屈屋モード』だったのを忘れていた。
「トモユキ、ごめんね、今モード換えるから」
 コトミは彼女のPDA(個人用の携帯情報端末のこと)のダイアルを回して、人工会話プログラムのスイッチを切った。
 と思ったら、コトミはモードを切り替えただけだったみたいだった。今度は漫才モードのエリカのおしゃべりが始まってしまい、ぼくはデザートを頼むタイミングを完全に失ってしまった……。

(了)


(『作家でごはん!』【三語即興文in鍛練場】投稿作品
 ルール:「抹茶味」「漫才」「アメリカ」、追加ルール「登場人物は三人」)


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2004.03.21

『桜とサナダムシと小宇宙』

「桜の声が聞こえるかい?」
 美術の曽根先生は、ふらふらした足取りで土手を下ってきた。つくしを踏みつけないように気をつけているのだそうだ。ほかの草は踏んでもいいんだろうか。
「声は聞こえても、写生できませんよ、先生」
 この先生には、私も軽口をたたくことができる。先生は眼鏡の奥をしぱしぱさせて、ぼさぼさの頭をかいた。
「あー、声ってのはなあ……。小宇宙にはむずかしいかもしれんが」
 小宇宙というのは私の名前だ。コスモと読む。平凡な苗字に釣り合わず目立つ名前なので、知り合った人は必ず私をこの名前で呼ぶようになる。
「桜は、そうそう、お前の名前と同じ『小宇宙』の中でなあ、桜は自分の声を聞いているもんだ」
「お話、ぜんぜんわかりませんけど……」
 冷たいふうを装いつつ、私はこの先生の話を聞くのが好き。声を聞くのも好きだった。
「いいか、地球という小宇宙の中で俺たち人間が自分たちなりにベストを尽くしているように、だ。桜だって同じ小宇宙の中でベストを尽くして生きている。あの姿こそ、桜にとって必然だ。つまり桜の声だな」
「あー、なんかわかってきたかもしれません、先生」
 もうちょっと話してくれないかな。
「ヒトの体の中に寄生するサナダムシも、あいつらの小宇宙では必然の姿を生きているんだぞ。小宇宙(コスモ)、サナダムシの声が聞こえるか?」
「すいません、私はサナダムシなんか飼っていません。先生と違って」
「おお、すまんすまん。ところで小宇宙、そこに落ちているイヌの落とし物を拾って食わないようになー。サナダムシの声が聞こえちまうぞー」
 先生が私のお尻のすぐわきを人差し指で示した。そこにはかなり大きなイヌか何かの……置き土産!?
 春ののどかな川べりに、私の小さな悲鳴はヒバリの声に紛れて誰にも聞こえなかったかもしれない。
 でも急に立ち上がって転びそうになった私を抱えてくれた腕はとても力強くて――


(註)サナダムシはイヌを経由してヒトに寄生することはありません。
(『作家でごはん!』鍛錬場 三語即興文 投稿作品)

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