『ぬいぐるみのコン太とロバの耳』
怨念が籠もっているから焼くのだと言われる。
狐(きつね)、狗(いぬ)、狸(たぬき)のぬいぐるみは縁起でもないと、コン太のしっぽをひっつかんで焼却場に持っていってしまう。
お父さん、でもそれは私の幼稚園入園のお祝いに、あなた自身と亡くなったお母さんとが買ってくれたぬいぐるみです。一万円もすると聞いて、当時の私には夢みたいな値段だったけれど、とても嬉しかったあなたたちの愛情の証です。正座した当時の私の背と同じくらいの、大きな大きなキツネのコン太です。
――愛情は、怨念ですか?
私はその言葉をのみこむ。
山間の養老ホームには、今時ほとんど見られない焼却炉がある。
昨年の冬、見学に訪れた折りにホーム内の施設はみな案内されたから知っている。焼却炉では職員が平日の午前中に可燃ゴミを燃やすことになっている。発ガン性物質などを心配する時代に……と気色ばんだ顔になりそうだったが、「ゴミの回収業者を呼ぶとそれだけ費用がかかるのです」と機先を制して言われてしまった。なるほど、まさにご時世だわ、と納得した。
焼却場にはときおり老人によって勝手に物が置かれるらしい。父が持っていってしまったコン太は戻ってきた。職員の方が車に乗り込もうとしていた私に手渡ししてくれたのだ。あの案内のときの女性だった。白髪交じりの髪をかなり短く刈った頭に濃紺の職員キャップをかぶったその人は、還暦は過ぎている年齢だろうと思われた。私よりむしろ父に近いお年に見える。相変わらずの無表情と、無愛想。
でも手間を惜しまずコン太を持ってきてくれた。しかも父の目につかない場所で。……思ったよりも情の深い人なのかもしれない。
「ありがとうございます。コン太はまた助かりました」
そうお礼を言ったけれど、きっと正しく伝わらなかっただろう。彼女の耳には父がこういうことを何度もしているという風に聞こえたに違いない。
コン太の命が助かったのは二度目で、前のときは父のせいではない。
私は後部座席にコン太を座らせるとエンジンを入れる。あの職員の女性の姿はもう見えなくなっていた。勤勉な方なのだろうと思う。
座らせると目立つ。コン太の手足はちょっとぐらぐらしている。よく見るとわかるがぐらつく手足の付け根に下手な縫い後がある。私のつたない針仕事の痕跡だ。
「コン太、今度はお父さんにやられちゃったねー」
舗装もされていない山道の振動で、後ろのコン太も揺れる。頭が軽くがくがくすると、まるでうなずいているようだ。くすっと私の唇が笑みを漏らす。
「きっとお前が身代わりになってくれているんだね。私が親不孝をしたから」
そして声に出さないが、母や父になら、私もコン太も命を奪われてもいいのだ、と思う。
運転する私の手首は、ずっと前の傷跡が白く残っている。自分でやったのだ。止められても止められても。自室で、浴室で。
若い頃、私は死にずっと近いところにいた。自分や両親をどうにかしたくてたまらなかった。救急車にも病院にもおかげですっかり馴れた。
母や父の心労たるやいかほどだっただろう。
私が苦労をかけたせいで、母や父の心のどこかに歯車の狂いを生じさせたのに違いない。年を取り、身体も心もあまり丈夫でなくなってから、急に母と父の心の破れが表に吹き出してきた。
母は五年前に亡くなる直前、コン太の手足を力任せに引きちぎってしまった。
帰宅した父が見つけたそうだ。うわごとをつぶやいていたと聞いたが、なんと言っていたかは父からは教えてもらえなかった。まともな会話もできなくなった母はすぐに入院した。そして一週間も経たずに六日目の朝亡くなった。夜中にトイレに入って洋式便座に腰掛けたまま息絶えたらしい。死因は急性心不全。解剖を望まなかったから、ほんとうの死の理由はわからない。
私は看護士以外では最後に母に会った人間になった。そのとき、そのうわごとを聞いたのだ。だから母の心の破れ目を私は知っている。
「お前なんて生きていたってしょうがない。しょうがない。生きていたってしょうがない」
コン太がいない病室で、小さくつぶやきながらシーツを両手で思い切りひっつかんでしわくちゃにしていた。
私にはそのときわかってしまったのだ。
その呪詛は、ずっと母がため込んでいたもの。荒れた私に対して浴びせかけそうになりながらも飲み込んできた、無数のつぶやき。そう、生きていたってしょうがないと言われているのはあのころの私なのだ。
「ありがとう、お母さん、お父さん。あのときの私を生かしておいてくれて。今、こうして私を生きさせておいてくれて」
私は年甲斐もなくコン太を抱きしめたい気持ちになった。
――アキ、お前が気に入っていた絵本、あの絵本と同じぬいぐるみだよ。
という父の声。
――あの絵本じゃなくて『こんとあき』だもんね。でもボクはこんじゃないよ。キツネのコン太くん。こんにちは、アキちゃん。
という母の声。
同じ名前だからということで、林明子さんの絵本を私はとても気に入っていた。それで母と父はぬいぐるみを探してきてプレゼントしてくれたのだ。
でもその言葉や彼らの笑顔は今となってはほんとうの記憶かどうか、わからない。私はあのときの父よりも母よりも倍ちかくも年を取ってしまった。大半の記憶は勘違いだったり、あとで勝手に付け加えられたりしたものになっている。
「君はきっと正確に覚えているんだろうね。だって君は年を取ったりしないもの。そうだよね、コン太。お母さんとお父さんは、笑って君をプレゼントしてくれたかな。私に幸せになってほしいって思ってくれていたかな。生きていたってしょうがないとか、怨念だとか、言わなかったかな……」
シートの背にも届かない小さなコン太は、バックミラーの中で何度もうなずいてくれた。
あの日のあの笑顔のまま、何度も、何度もうなずいていた。
-了-
(『作家でごはん!』鍛錬場・三語即興文投稿作品:「ぬいぐるみ」「怨念」「焼却場」課題は「愛くるしいぬいぐるみを出すこと」)
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