『ナミテントウの放課後』(五枚)
美術部は半分、いや、ほとんど全部「帰宅部」だ。
だから活動はきわめていい加減……もとい、きわめて自由度が高い。そんなところが気に入っている。久しぶりに午後の授業が一コマで終わって早く帰れる日、屋上に出ると坂村くんが先に来ていた。主な活動が「まっすぐ家に帰ること(寄り道可)」である美術部員同士がこうして校内で出会うなんて偶然、めったにないことだ。
「あれ、宮備(みやび)もまだ残ってたの?」
坂村くんは屋上のいちばん縁(へり)にしゃがみこんでほっぺたを挟んでいた。
「坂村くんこそ」
私はずけずけ近づいていく。春風がいたずらを起こしてスカートをさらいそうになった。
「ぎゃあ」
「見ねえよ、宮備のなんか」
「うっさい! 違うよ。糸が切れてほどけかけてんの。もし万が一全部ほどけて屋上から校内に向かって一反木綿を垂らすことになったらどうすんのよ」
「そりゃ剛毅だなー。宮備木綿、一度見てみたい」
「他人事だと思ってな。そのときには坂村くんのズボンも一緒に吹流してやるから」
「冗談きついよ、なははは」
「冗談だと思ってるの?」
「……」
風が止んでいる数秒間、沈黙が続いた。冗談か冗談じゃないか、真剣に考えているんだろうか。いっとくけど、坂村くんのズボンなら私は脱がすに異論はない。私の餌食となるか、坂村くん?
「ま、全部ほどけたりすることは起こり得ない事象だと思うけど。そんなんホッチキスで止めておきな」
坂村君が飄々とした口調で沈黙を破った。
「坂村くん、今ホッチキス持ってるの?」
「持ってるよ」
と言って投げてきたのは職員室の備品だった。はっ。坂村くんのヤツ、美術部員である以前に生徒会役員だったのじゃなかったか。やる気なさそうな垂れ目のこの人がなぜか去年、書記に見事当選していた。書記がホッチキス持ったままこんなところにいるなんて。さては、先生の誰かに頼まれごとしていたのをバックレたか。
「止めちゃうからあっち向いててよ。よし、パチパチっと」
「返礼は、十六時に始まる職員会議のお茶出しの手伝いな」
「うげっ。余計な借りを作ってしまった」
私はふと気づいた。坂村くんの視線がさっきからべつのところへ向いているのを。何かを見つめているのだ。
「何を見ているの?」
さりげなく隣のポジションを確保。
「ん。テントウムシ。今、クリフハング中」
指の先をたどると、たしかにそこにいた。黒い体に赤い斑点が二つ。テントウムシ。
「真横になって崖に張り付いているね。あんまり動かないけど、何をしているんだろう」
「俺にもわからない。日向ぼっこかな」
と、そんなことを言った先。
テントウムシが動いた。
くるりとその場で方向転換、頭を上に向けたかと思うと触覚をひくひくと動かしたように見えた。次の瞬間。
「飛んだ……」
背中がぱくっと二つに割れて、広がった。花びらが開くように。その隙間から透明な長い羽が現れて、あっというまに風を捉えた。と思うと、テントウムシは空に混じってしまっていた。
なんだか不思議なものを見てしまった気がしたけど、考えてみるとごくありふれた光景。
でも、坂村くんと私の二人だけが見た光景であることはたしかだ。私は今はそれで満足しておく。それで十分嬉しい。
「ほい、宮備」
私の手に何かが握らされた。4Bの鉛筆だ。
「記憶が薄れないうちに、早く」
と、二、三十枚の紙の束も手渡された。何の記憶を? なんて訊き返すほど私はバカじゃないつもりだ。描いてやる。今のテントウムシ。隣を見ると、もう坂村くんは手を動かし始めている。
十分後、私たちは紙の束を交換しあう。ホッチキスでパチン、パチンと端を留めて。
抑えた指をゆっくりずらすと、春の風が紙を一枚一枚めくってくれる。
ぱらり。
ぱらぱらぱら。
ぱらぱらぱらぱら、ぱらららら。
あはは、おんなじだ。私の見たテントウムシと同じ、可愛い色黒のナミテントウが、坂村くんの紙の上にも現れて、羽を開き、飛んだ。
「おんなじだね」
と言うと、彼も
「おんなじだろ?」
と言った。
「こんな偶然も、たまにはいいな」
「俺も、おんなじ」
そっか。このまま十六時になっても職員室なんか放っておいて屋上にいるのもいいな。
なんて、そんなことを考えるのもおんなじかな、坂村くん?
-了-
(※「作家でごはん!」三語即興文投稿作品:、「お茶」「ホッチキス」「崖」)










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