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2005.10.10

『ミツバチと僕の右手と』(五枚)

 黄色い花を枝という枝いっぱいにつけている松を登ると、決まって制服の紺に黄色い花粉がいっぱいにくっつく。そうして、僕はお彼岸に食べるきな粉のぼた餅になった。
「またノブが制服を汚してるぅ」
 オクターブが僕よりひとつぶん高い、鼻にかかったような、加代子の声がした。いつも僕のあとをつけ回して先生だの母ちゃんだのに報告する、困った奴。そのくせ僕のことが大好きで、僕が本気で怒ると泣いて謝る。だったら強い者にへつらうのをやめろっつーの。
「いつか言ったことあったっけ」
 きな粉をまぶした僕と手をつないで、加代子が歩いている。僕は加代子に語りかけている。
 つないだ手が、少し握りかえされてきて、控えめなイエスを皮膚が感じ取る。中学になっても、もう八年も続いた手をつないで帰るというこの習慣をやめるつもりは僕にはない。だって年を取っても、僕は僕で加代子は加代子だから。
「ミツバチのこと?」
「うん。死んだミツバチが花粉にまみれててさ。僕はあのミツバチの気持ちが知りたいって思ったんだよね。そのとき、とても」
 加代子にとっては他愛もない、男の子の奇妙な行動だとしか思えなかったんだろうと思うけど。でも、そのときの加代子はふたつのお下げを夕日の赤に沈ませて、まぶしそうに僕を見ていた。僕の顔がオレンジ色に染まっているのがおかしかったからだろうか。夕日に照らされたら、花粉だって見えないよな、なんて僕はつまらないことを考えた。
 いつの間にか僕たち二人は通学路で立ち止まっていた。後ろから近づく車のエンジン音を避けるため、僕たちは手を離して路側帯に二人だけの一列横隊を形成する。
「ん」
 足を家の方向に向けた僕が右手を差し出すと、加代子がためらっていた。時々、加代子は僕の手を取るのを恥ずかしがるようになった。いや、いつも恥ずかしがっている。それでも最後には手を取るんだ。こうして。
「嫌だったら、いいよ」
「ううん。そうじゃない。ノブの手はあったかいね」
 加代子の家は僕の家よりも学校に近く、彼女の住んでいる団地前の小さな公園が、いつも「さよなら」を言う場所になっていた。
 雲梯(うんてい)のわきのマテバシイの生け垣は、ちょうど僕たちの姿を大通りとも公園の中とも切り離している。
「死んだミツバチの真似をしても、ミツバチの気持ちはわからないのよ」
 加代子は思いきったようにそんなことを言う。
「わかってる」
「ノブ、私、ノブが奇妙な行動をしていてもいいの。ほかの人から笑われても、大丈夫。でも……」
「何だよ」
「ノブがどう考えているのか、知りたいよ。それだけは我慢できないの。ねえ、死んだミツバチの気持ちなんてわからないでしょ? どうしてそんなことをするの」
 それから矢継ぎ早に、こんなことを言った。
「私に告げ口してほしいから? 私が絶対に先生やノブのお母さんに言うと思って、そうしてるの? 私、言うなって言われたらもう告げ口しないよ。別にノブに意地悪したいんじゃないもの……」
 声が鼻の奥に詰まったようになったのに気づいた。僕は慌てた。
「馬鹿馬鹿、そうじゃない」
 加代子の目が「じゃあ、何?」と僕に催促していた。加代子の目は掌よりも雄弁だ。本人は気づいているんだろうか。気づいていないかもしれない。いつかそのこと、教えてやろう。僕はいくぶんゆっくりと先を続けた。
「死んだミツバチは、花粉まみれになるまで働いたんだろ。僕そのとき思ったんだ。死ぬまで働くなんて、嫌じゃなかったのかなって。体が辛かったら、休んでいたほうがいいと思うだろ、カヨだって」
 加代子の目がまだ僕の目を見ていた。目尻に生まれた、小さな滴。
「だから、僕も仕事にしてみたんだ。花粉を見たらミツバチと同じ姿に、花粉まみれになる、ってのをさ。小さな花じゃ意味がないからさ。学校の松、あれがいちばんいい。こんなに花粉まみれ」
 加代子の手をぱっと放して、おどけてくるっと回って見せて、それからぱしっと加代子の小さな手をつかむ。
「……うん。それで、何かわかった?」
 加代子の手が軽く僕の手を握って、それは手を放すよという合図で。自分の制服のポケットからハンカチを取り出す。目のふちをぬぐう加代子に、僕は答えた。
「わかりゃせん。ただ、あれだな」
「何?」
「花粉まみれのまっきっきィになって帰ると、先にお前が母ちゃんに告げ口していて、玄関で待ちかまえているのな。で、毎回こっぴどく叱られてげんこつもらうんだ」
「ノブが悪いんじゃない。ノブが悪さしたら全部教えてねってノブのお母さんに頼まれてるのよ、こっちは」
「げんこつもらって、思うんだけど。こうやって叱られるのも子どもの仕事だなあって。僕の背は去年母ちゃんを追い抜いたんだけどさ。僕、母ちゃんが拳を振り上げたとき、わざわざおじぎみたいにして、殴られたんだぜ」
 うはははは、と、僕は笑った。加代子もつられて笑った。
「そう言えば、カヨ。今年は先に飛んで帰って母ちゃんに報告しないの?」
 加代子はハンカチを今度は口元を隠すように両手で持って、
「今年はねえ。ノブと一緒に怒られてみたくなったの」
「へっ?」
「そうだねえ。毎年毎年怒られているノブの気持ちを知りたくなった、かな?」
 裏返したハンカチを、僕の口にそっと当てた。
 来年はもう松の木には登らないだろうという確信が、うっすらとそのときの僕に宿った。
 加代子のローファーが、いつもの別れ場所の先をぺかぺか歩いていた。鞄を持っていない左手がまっすぐ僕に差し出されて。
「さ、ノブの家まで、あと百メートル」
 僕の右手は一秒だけ、ためらいにも似た時間を費やして。
 ぴしっとしなったその女の子の指を取る。


-了-

※小説投稿サイト『羊の葉結み』投稿作品

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