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2005.08.08

『零の命』

 二十年勤めた証券会社をリストラされて、夫が失踪した。
 八方手を尽くしても行方はわからなかった。
 私と九歳の息子の零司だけが、日常の中に、取り残された。
 貯金はまだ一年以上暮らせるだけあった。夫は自分の身以外は何一つ、持ち出さなかったのだ。私の中の冷静な私が、もう夫には生きて会えることはないのだと告げていた。それを信じていないふりをし続けてみたけれど、どこか心の奥に洞穴がぽっかり空いていて、私の気持ちを全部吸い込んでしまうようだった。
 心が、ただ黒く、空虚だった。
 何をしても感情というものが湧かない。私は何になってしまったのだろう。あえてたとえれば、洞の空いた枯れ木にでもなったようだった。
 なんとか生活資金だけでも稼ごうと近所のスーパーにパートタイマーにも出た。食品売り場の調理場だった。でも少しも続かなかった。私の半分くらいしか年齢のない茶髪の主任に怒られたから、と自分に言い訳をしてみたけれど、ほんとうはそんなことはちっとも苦になっていなかった。ミスをどれだけ繰り返しても、そのたびに怒られても何も感じない自分がいて、それだけが恐ろしく思われたのだ。
 何もしない日が一ヶ月続いた。
 ある日、ふと思い立って、私は九州にやってきた。息子の零司を連れて。関東の我が家から千キロ、新幹線で六時間の旅だった。近いのか、それとも遠いのか、あまり家から離れたこともなく旅行など何年も行っていない私には、その旅を評価することはできなかった。
 宿は長崎に取った。雲仙地獄という名前が気に入って、そこの旅館に決めたのだ。
 雲仙岳の白茶けた地肌を見上げる。四月なのに少し暑い。午後三時の空は曇っている。空気は湿り気を含み、汗を私の肌に封じ込めてしまおうとしているかのよう。不快指数はどれくらいだろう、と考えてみる。
 この山は猛々しい。つい十年前、長い沈黙を破って噴火し、火砕流が多数の被害をもたらした。ちょうどその頃、私は息子が宿ったのを知ったのだった。
 見上げた山は、薄暗い空に映えて白く、窪地が黒く沈んで髑髏の眼窩のようにも見えた。
 ぶるっと震えて両腕を抱える。手のひらの下の肌は汗ばんでいた。
 息子が畑の脇にしゃがみこんでキャベツの葉を見つめていた。
「ほら」
 指で示すので、私も腰をかがめてみる。
 葉の緑の上には小さな黄色い粒。生み付けられたモンシロチョウの卵だった。
 命はどこでも、いつでも生き続けている。この子も、モンシロチョウの卵も、かつてどんな幸せがあり、そして不幸があったのかを知らない。知らないで生きる。知らないからこそ、生きるのだろう。
「お父さん、帰ってこないかもしれないよ」
 私はそのとき初めて、子どもに父親の失踪を告げたのだけれど。
「うん。そんな気がしてた」
 零司はいつもの声で答えた。モンシロチョウの卵をただ見つめたまま。
 生きることはいつも予め知りえない不幸と隣り合わせだけど、それ自体をためらうことはない。生は何をも恐れない。生きるものは……強い。
 予約してあった旅館に、その日は泊まった。
 翌朝を迎えることになるかどうか、ほんとうは私自身もわからなかったけれど。
 朝は私たち二人の上にもやってきて、まぶしく照らした。
 零司と私は、午前中に散歩をした。ここに来るまで知らなかったのだが、雲仙は古くから国立公園に指定されている観光地で、名所も多かった。
 そのひとつに真知子岩というのがあり、有名なラジオドラマの舞台になったとかで、碑に言葉が刻まれていた。その言葉に私は引きつけられ、縛られたように動けなくなった。
 私がじっと目もそらせずにいると、横にやってきた零司が読み上げた。

「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う悲しさよ」

 悲しさそれ自体を私たちは生きるのだろう。いつか悲しかったことの記憶さえも失って忘却を知る日まで。
「ほら、行くよ。おいで」
 零司の差し出した手を握る。体がふっと軽くなった。
 息子の手に引かれて、私はもと来た道をたどっていった。


-了-


※三語即興文投稿作品:「雲」「卵」「葉」、課題「子供を登場させる」

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SS(三語即興文)」カテゴリの記事

Comments

 みなみくん、こんにちは~。

 命をテーマにするのは難しい……なんて思うけれど、挑戦してみてよかった~。
 子どもがとても好きなので、そして子どもは純粋かもしれないけれど善性ばかりを持っているわけではなくて醜い感情や冷厳な目も持っていることを表してみたいと思うので、零司のあのような台詞になりました。
 漢字が読めるのは、九歳にしては早かったかも。零司が親が思うよりずっと成長していたということが表したかったのだけれど(^^;

 誰かが自分を思いやってくれるとわかったとき、不思議と活力が湧くことってあるよね。今までどこに潜んでいたんだろうと驚くほど。
 主人公の気持ちに触れてくれて、ありがとう。
 みなみくんや、芳野さんという読者を得て、作品が生きたよ。

Posted by: おづね・れお | 2005.08.10 at 01:41 PM

どうも、こんにちはー。

零の命、とても気に入りました。
とても好きなテーマだったし、とても好きなキャラクターだったし、とても好きな素材でした。
子供を育てたことがないあたしにも、主人公の感情がびしばし伝わってきて、よくこんな年上の女性を書き込むことができるなぁと、改めて尊敬してみたり。
主人公の姿勢も一貫していて、作者の都合で動いていない所が好きでした。あたしなら、朝を受動的に迎えさせたりできません。ここに来て主人公は少しだけ変わった、その「少しだけ」さが、リアルでした。

雲仙岳が、たくさんの命を飲み込んであたりをゼロに戻した時に、零司が同じく生まれたっていうのが、なるほどこの子は「希望」なんだな、と思いました。すごくわかりやすかったです。
なので、父親の失踪を告げたときの「うん。そんな気がしてた」っていう零司の言葉のところまで読みすすめて、さくっと色々なものがつながって、「やられた、うまい、ギャー」って感じでした。(笑)

最後に、どうでもいいことですが。九才にして真知子岩の漢字をスラスラ読めるとは。零司、なんて優秀なんだ。(爆)

支離滅裂で何書いているのか、よくわからないですが;
とにかく「よかったです」と言いたいのです。(笑)

Posted by: みなみ | 2005.08.10 at 01:26 PM

あ、あらー。。。(^^ゞ
零でしたかー。恥~~~~
失礼いたしました。

なるほど。そう思って読み直してみると、零ですよね~。
うーむ。。。
雫のモチーフ、是非是非お願いします~。

Posted by: 芳野 朔 | 2005.08.09 at 10:26 PM

 芳野さん、書き忘れておりました~(^^;
 タイトル、雫(しずく)ではなくて零(れい)となっております~。

 夫の命が零になって消え、零から始まる息子やモンシロチョウの命、そして夫とともに零になってふたたび零からはじめてゆく主人公の命を、零として表現したような、そんな意図でした。
 でも雫もすごくいいですね。字面も似ているけれど、この作品に照らしたら意味もなんとなく似ている気がします。
 雫が落ちるように消える命、また生まれてくる雫、それがモンシロチョウの卵の形にも似て……。
 零司という人物名がちょっとあざとすぎたこともあり、雫をモチーフにした重ね合わせにして改稿したくなってきております。うずうずうず。
 でもこの作品はもうこういう形を与えてしまったので、また別の機会に三語を書くときにでも生かさせていただこうと思います。
 雫のモチーフ、書けるかなあ(^^;


Posted by: おづね・れお | 2005.08.09 at 05:21 PM

 芳野さん、コメントありがとうございます。
 何ヶ月か書かずに過ごしていたので、感覚が鈍っている気がしておりました。お褒めいただき、またアドバイスいただき、読んでいただける作品になっていたことを知ることができました。ほっとしました~(^^;
 真知子岩に関してはご指摘の通り、安易に使ってしまったような気もしております。
 夫と長く暮らした主人公だからこそ、失われたことの大きさに翻弄される、そんな心情が表せていれば……と思います。三語は短いのではっきりとわかりやすく書くべきだと思いつつも、そうできたかどうか、心配も残っております。1000文字の中で表す鍛練はこれからもしてゆかないといけないなあ、というところですね(^^;
 課題だった「子供」なのですけれど、零司という子供が、母親の気づかないうちに彼の人生それ自体を生きようとしている、そんな様がもしも描けたら嬉しい……そのように思っております。私の中では、子どもの成長や変化はとても大事に思われるものなのです。
 読んでいただき、また彼女たちを体感していただき、とてもうれしかった。
 ありがとうございました。
 これからも三語即興文、そのほか、よろしくです~(^^)/

Posted by: おづね・れお | 2005.08.08 at 01:42 PM

こんにちは。
拝読しました。鍛練場に三語を投稿できそうにもないので、こちらに感想を書かせていただきますね。

とても上手いと思うし、とても好きだし、とても良い作品なのだけれど、不満もあります。
この不満は、かなりかなりかなーり主観的なものですので、こういう風に感じた読者もいた、という程度に思ってください。

真知子岩、蛇足に思えました。
>悲しさそれ自体を私たちは生きるのだろう。いつか悲しかったことの記憶さえも失って
↑この文のここまでは、とても好きです。もう、泣きたくなるくらい、いい文だし、この文と、それまでの主人公の心情が合わさって……。

作品の前半、主人公のような、大きな喪失を感じた事はないけれど、きっとこんな感じだろうなあ、というのが容易に想像できました。想像というより、体感、震撼、心感(←造語)と言った方がいいのかもしれない。共鳴という言葉とも、ちょっと違うのだけれど。

それだけに、息子の名前が「零司」、真知子岩の「忘却」、これらが作為的に感じました。
タイトルは好きです。モンシロチョウの卵は雫のように見えるでしょうし、雫のように小さくても生命の輝きを感じたのでしょうし、未来へ向かおうとする、小さいけれども強いエネルギーを感じます。
また、息子を雫の卵のように、小さいけれど逞しいものとして重ねるというのも好きです。
少ない文章量で、伝えたい事が伝わるようにするためには、仕方ないのかもしれないのですが。
端折ったような感覚を得たのは残念でした。

とは言え、初読では「きゅーん、好き」と感じ、二読以降に感じた感想ですので。

Posted by: 芳野 朔 | 2005.08.08 at 12:21 PM

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