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2005.08.26

『ヒグラシの日』(四枚)

 夏の終わり、アスファルトの裂け目に小さな塊を見つけた。木の実かと思ったがさにあらず、セミの幼虫だった。地表に出ようとしたものの、隙間が狭すぎたらしい。茶色い体にはすでに命は失われてなく、小さく伸ばした鎌状の前肢が、まさに消えようとする魂の最後の試みを示していた。
 スカートの裾に気をつけながら、私は指先をその裂け目に伸ばした。
――もしもこの舗装道路にわずか数ミリメートルの慈悲があったなら。
 と、そう思ったから。
 白っぽい表面と違って、裂け目の中は濡れたように黒い。凸部に指の腹をかけ、力を込めてみた。一見脆そうに見えたのだ。しかし、指が白くなるまでがんばっても、動かない。セミの幼虫がつかめなかった未来への道は、私のあがきなど知らぬかのように、閉じたままだった。
 風がやみ、残暑に焼けたタールの臭いが埃と混じって鼻の奥に侵入した。
 母校の中学からの帰り道だった。八月下旬の日暮れにはまだ間がある蒸し暑い時刻、緑の葉がわさわさと揺れる木陰を見つけるや木の幹に腰で寄りかかるような格好で立ち止まった。ほっとすると、頭が白くしびれたようになって、口からは長い吐息が漏れた。冷たいコーヒーを喉に流し込みたくなる。このあたりに自動販売機があったかしらと記憶の紐をのろくさとたどり始めた頃、ふと地面にそれを見つけたのだった。
 私は母校でボランティアをしていた。夏季休業の間、補習授業を実施することになり、教育学部の三年生の私に声がかかったのだ。
 十日の奉仕活動のうち七日が過ぎ、私は何とも言えない徒労感に囚われていた。
 ――中学生って、こんなだったかしら?
 私より若い、ぴちぴちの子どもたちを想像していた私は、期待を裏切られた気がした。
 勉強は押しつけられるもの、人生は押しつけられた課題を手を抜いてやり過ごせばそれですむもの、そんな姿勢が嫌でも感じられてしまうのだ。いくら教えても、覚えようとはしない。早く時間が過ぎればいい、冷房の当たる自室に戻りたいと思っているのが表情からまるわかり。
――だらしない。
 私は、自分が抱いた気持ちが嫌悪だと知って驚いた。教えることが、子どもが好きだと信じて疑わなかったのに。自分がもしかしたら教員に向いていないかもしれないと気づき、一度にさまざまな感情が波になって襲いかかってきた。驚愕、落胆、不安、自己嫌悪……。
 昨今の教員志望者にとって、現状は厳しい。教員採用倍率はじつに八倍である。母校のボランティアに参加したのも、これが自分に何か有利に働くかもしれないという気持ちがなかったと言えば嘘になる。しかし、おそらく何の足しにもならないだろう。私には教員になることしか頭になかった。できるだけ採用試験に落ちることは考えないようにしていた。でも、こんな私は教員志望者としてふさわしいと言えるだろうか? どんな生徒をだって喜んで導いてゆけるのが教員に求められる資質ではないのだろうか?
 そんなことが頭の中でぐるぐる巡って、今日はほとんど自分が何をしたかも覚えていない。ただ体の奥が重くて重くて、この肉体を置き去りにしてどこかに帰りたくなる気持ちなのだった。
 周りの木々からは蜩(ヒグラシ)の声がカナカナといくつも聞こえる。動くものは何もない。
 もういちど、アスファルトの裂け目を見る。そこに埋もれた茶色い小さな死骸に目を凝らす。
 それは美しかった。自分の未来を知らず、兄弟たちとともに鳴く夏をだけ思って生きたその子は、ほかのどの兄弟たちよりも美しく生涯を終えていた。
――生きたんだ。この子は生きたんだ、この子の一生を。完全に生きたんだ。
 気づくと、空気になま暖かい湿気が交じり始めていた。まだ時間があると思っていたけれど、ひと雨くるのかもしれない。西の空を見ると、黒い雲がその外套の裾をこちらに向けて広げつつあった。
 私は夕立に降られる前に家に戻るべく、足に力を込めて立ち上がり、赤いパンプスのヒールでいつもより高い音でアルファルトを鳴らしながら歩き始めた。
 不吉な重苦しい黒雲にはわずかに裂け目があって、そこから細い日差しがほんのわずかに漏れている。
 小さな光の筋を、私の目はしばらく忘れなかった。

-了-


※三語即興文投稿作品:「夕立」「蜩(ヒグラシ)」「アスファルト」課題「一人称で書く」

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Comments

さんさん、リンクありがとうです。
新しい作品は予告通りザウルスでぷちぷち書いています。
辞書があまり賢くないのが泣き所……(涙)。

Posted by: おづね・れお | 2005.09.16 at 02:02 AM

なんと!あんまりリアルなのでおづねさんが先生なのかと思ってしまいました……。
新しい作品をてぐすね引いてお待ちしています。

Posted by: さん | 2005.09.15 at 07:47 PM

 コメント、いくつもの作品にありがとうございます>さんさん

 私もこれでも教育実習の体験はあるのですけれど(^^; この作品は実体験には基づいておりません。みんなみんないい子だったので……。教員にはなりませんでしたけれど、それはまた違う理由があって……。

 たぶん、今日びの子どもは「満ち足りない」という強い体験が「不足」しているのじゃないかなあ、なんて思います。未来への意欲みたいなものが、だいぶ削がれているのじゃないかなあ、と。
 そんな中で奮闘されている学校の先生方には、頭が下がります。

 ずいぶん過去の作品から、新しいのまで、読んでくれてありがとう~!

Posted by: おづね・れお | 2005.09.14 at 11:14 PM

見落としてしまうような小さい感情の動きを、ゆっくりとカメラにおさめるような作品だと思いました。

今日びの先生は大変そうだなあ。(親戚は殆ど先生なのです)
これから厳しくなっていくだろう世の中を生き抜く子供を支えるのは本当に大変だと思います。

切ない作品でした。

Posted by: さん | 2005.09.14 at 07:52 PM

 読んでくれてありがとう~。
 いろいろなものが書けるようになりたいと思いつつ、まだまだ偏りがある気が、自分ではしています。
 でも、気に入っていただけるのはいつも何より嬉しい。
 これから変わっていくおづねをどうかお楽しみに。
 ……と言ってしまって、自分で首を絞めているかも~(^^;

Posted by: おづね・れお | 2005.08.29 at 01:22 PM

こんにちは。読みました。
とってもよかったです、とっても。最近の先生の作品は、感情が強くなった感じがします。主人公が切実で真剣で、その心情がずーんと入ってくる。「自分の未来を知らず、兄弟たちとともに鳴く夏をだけ思って生きたその子は、ほかのどの兄弟たちよりも美しく生涯を終えていた」という部分が、特に好きでした。

Posted by: みなみ | 2005.08.29 at 11:45 AM

 ともおかやつのりさん、こんにちは。
 ご来訪ありがとうございます。
 筆力が上がっているならほんとうに嬉しいのですけれど、まだまだ道は遠い気もいたします(^^;
 一編でも気に入っていただける作品があると知ると、何よりの励みになりますね。頑張らないとなあ、と気を引き締めました。
 ともおかさんも、執筆に励まれてください。
 三語即興文そのほかで、またお会いできるといいですね。

Posted by: おづね・れお | 2005.08.28 at 11:58 PM

見ぃつけた♪笑)
ども、ともおかです。Google検査したら引っかかりました♪

偶然だと思いますが、2004年4月の作品が表示されたので読まさせていただきました。やはり、だいぶ筆力は上がってらっしゃいますね。この、『ヒグラシの日』という作品、本当に好きですよ。

また「ごはん」でお会いする機会がありましたら、宜しくお願いします。

Posted by: ともおかやつおり | 2005.08.28 at 09:36 PM

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