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2004.12.12

『月光と彼女の糸切り歯』(五枚)

(ずっと前に書いたものです(^^; たぶん、ブログに置くのを忘れておりました)

「糸切り歯が伸びている人はね、月光をあんまり浴びてはいけないんだよ」
 十五の年に彼女がそんなことを言っていたのを覚えている。文化祭の準備の泊まり込みだったか、それとも部活で合宿所を使ったときのことだったか。とにかくグループで学校に泊まった夜半過ぎのことだった。ほかのことは首をひねりたくなるほど薄ぼんやりとしか覚えていないのだけれど、彼女のその言葉だけが記憶の中で浮き彫りになっている。
 職員室のある東側校舎と本校舎とをつなぐ渡り廊下の飛び石を枕に、長い髪をまるで風を受けた吹き流しのように床に横たえて、彼女は目をつぶっていた。僕の足音が聞こえたのか、それとも彼女を見つけたときに驚いて息を呑んだ音が彼女の耳まで届いてしまったのか、彼女はまぶたを上げもしないでその言葉を言ったのだ。
 その彼女の口元には赤い歯茎から伸びる白亜の糸切り歯がすらりと長い姿を見せていたし、またどう見ても彼女は月光浴をしているようにしか見えなかったのだけれど。月光をあんまり浴びてはいけないのは、彼女のことじゃないのだろうか。
 僕の気持ちを読みとったかのように、満月の光の中の彼女が答えた。
「気持ちよすぎるからね。生まれる前に還ってしまいそうになるの」
 三年生になってからこの九月までに彼女と僕とはまともに口をきいたことさえ数回だけだったのに、なぜか親しい友人に何でもないように打ち明け話をするみたいな口調だった。
「それは……とても……困るよね」
 誰が、とは言えずに、そんなことを言って僕は彼女の隣に腰を下ろした。校庭の樹木も、コンクリートの校舎も消えてなくなって、世界にはただ彼女と僕と、そして月光。
「困るの?」
 問い返す彼女に、僕は心の中で声にする。
『だって今生まれたばかりのこの恋が、すぐに失恋になってしまったら可哀想だから』
「そう」
 彼女が返事をした。ただの偶然かもしれない。
 偶然だとしても、彼女は僕の言葉が聞こえて、返事をしたのだろう。目を閉じたままの彼女の中で、僕は誰だったろう。そして何と言ったのだろう。
 考えるうちに、僕の身体にも月光は染み込んできた。
 そうして、生まれる前に還る夢を見た。黒い深い海と、水平線にかかる黄色い月が見えた気がした。横たわる彼女の隣に座っている自分をたしかに意識しながら、夢の中を漂った。
 夢と現実のはざまの世界で、満月が何もない地平線に小さく遠く沈む頃、永遠にこのまま月をとどめてほしいと願ったけれど、僕の意識はそのまま生まれる前に完全に還ってしまったのか、蝋燭の灯りが何の理由もなく消えることがあるように、ふっとかき消えてしまったらしかった。
 やさしい冷たさを帯びてきたとは言え夏の余韻を残している粗暴な太陽に、起こされた。隣には冷たい飛び石が眠っていた。僕は自分のグループの寝所に戻った。
 朝の食事は体育館で食べた。記憶はあまりたしかではないが、泊まり込んだ何組かのクラスだか、クラブだかが合同で支度をしたものらしい。
 三角巾で黒髪をほんの一部だけ隠し、パジャマじゃなく臙脂(えんじ)色のジャージ姿になった彼女が朝食のトレーを僕に持ってきた。よそのグループだったはずなのだけれど。
「生まれた気持ちに、おめでとう」
 皿の上には、ほかの生徒よりはいくぶん大ぶりの鰯の尾頭付きが載っていた。気のせいかもしれないけれど、ささやかな何かの徴(しるし)だと僕は思いたかった。
「還らなかったんだね」
 と聞くと、
「誰かの気持ちがここにつなぎ止めていてくれると、還らなくてすむの」
 臙脂色のジャージの小さなお尻をこちらに向けた彼女が言った言葉は、たぶんそんなことだったのだと思うけれど、もうそんなことも記憶の中では曖昧なのだった。

-了-

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