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2004.12.11

『鯉濃 恋し』(三枚)

 うろこ雲を見上げていると、ふと鯉濃(こいこく)が食べたくなった。
 なんの変哲もない、いつもの仕事帰りのアスファルトとコンクリートの舗道に、郷愁を感じる景色も匂いもあるはずはなかったのだけれど。
 私の育ったところではありふれた料理で、鯉の切り身を入れた味噌汁のことを鯉濃という。中学の頃まで元気だった祖父が近所のため池に行っては鯉を釣ってきて、その日の晩は決まって鯉濃が出た。
 私は鯉の野暮ったい肉の味も歯触りも好きではなかった。おまけに母の調理法が悪かったのか、もともとそういう料理なのか、鯉の骨も多くて食べにくかった。だから、下校して祖父が釣りに行ったとわかると、「ボウズ、ボウズ……」と念じたほどだった。そのくせ、帰ってきた祖父の表情が暗かったりすると、申し訳ない気持ちで喉の奥が詰まる思いがしたりもするのだった。わがままなくせにナイーブな……つまりは、やはり子どもだったのだ、私は。
 それももう三十年ほども前に過ぎた時間の、風化した思い出。
 もう人生の半分以上は、都会に出て一人暮らしをしてきた。食事もいつも簡単にすませてばかりいて、手間などかけるのはせいぜい友人を招いたときくらいのもの。それだって、料理本と相談しての教科書通りのレシピ、おもしろみも何もない。幼い頃に食べた郷土の料理なんて、自分では作ったこともないのだった。
 鯉濃の味が今頃懐かしくなるなんて、おかしなものだ。
 いつも足止めされる駅のそばの踏切が、疲れて帰る人々の群れの中で今日もカンカンとひとり空騒ぎをしている。
 一日のうちの、この時間だけ、電車の写真を撮るのが趣味だった人のことを思い出す。その人から昔もらった恋文の、宛名書きを切り取って財布に入れ、お守り代わりにしている。
 彼とは結婚しなかった。たしかに愛はあったのだけれど、結晶せず、そのまま冷えて固まった。けれど。結晶しなかった思いは、岩石の中のガラス質のように透明で、綺麗なままなのだと思う。私の幸せは不安定なガラスの透明さのように、今もあって、そのまま死ぬのだ。だから、私は私の気持ちを愛する。
 今日の踏切はいつもより長く感じられた。
 私は踵に力を込めて、くるりと体を反転させる。後ろ頭を見ているだけではオブジェのように視界から消えていた人の群れが、私に表情を見せる。私は百メートルほど手前で通り過ぎたスーパーに向かって歩き出す。「すみません」と謝りながら。鯉の切り身が売っていたのを見かけたことがある。今日売っているかはわからないけれど。埴輪のように無表情だった人たちに表情が戻って、少し微笑んで道を空けてくれたり、しかめっ面で肩だけひねってよけたパフォーマンスを見せたりした。中には「人が通るよ」と後ろに声をかけてくれる親切な人もいた。
 人混みを抜けてほっとしたとき、さっきの声、彼に似ていたと思った。
 カメラを持って全国の鉄道を巡り、私に一度だけ手紙をくれた人。どこでどうしているのかも知らない彼に。
 振り返ってみたけれど、人の波はいつものオブジェに戻っていて、おまけに誰が彼とも判別できそうにない時刻に差し掛かり、声の主もどこに行ったか、もう今となってはうかがい知れないのだった。遮断機が上がり、オブジェの群れは緩慢に遠ざかっていく。
 思い出した。
 手紙に同封されていた鉄道写真に、そういえば見事なうろこ雲が写っていたのだった。
 もうなくしてしまった写真と時間に私の気持ちが少しの間だけ、吸い込まれた。

-了-


(三語即興文:「鯉」「恋」「結晶」で追加ルールは「夕方の話で」)

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