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2004.10.10

『陶太とヘビオンナ』(六枚)

 裏山での秋の写生大会の今日、私こと須谷越李子(すやこし りこ)は受け持ちの生徒の一人一人を巡視していた。我が赤城分校の今年の中学一年生は五人しかいないけれど、みんな素直な良い子だ。ただし、美術的才能というと、あまり手放しで喜べないものがあるけど。
 背がいちばん高い恵美は下絵もそこそこに、赤の原色を使ってでっかい太陽、まだ緑一色の山をすっかり紅葉にして色を塗りつけている。まるでクレヨン画。隣の久子は一心に4Bの粉を丁寧に画用紙に塗りつけている。心地よい暖かさの秋日まで真っ黒で、絵の具を塗る余地もないほど。歴史の授業だったら室町文化の水墨画にたとえて説明できそうね。男子はと言うと、あちゃあ、闘吉と三英はチャンバラごっこしてる。こらっと怒鳴りつけて腐葉土をワシワシ踏みつけて二人の襟首をつかまえた。新品のシューズがしみ出してきた水で汚れてしまった。イライラ混じりに「とっとと描けい」と腹の底から声を出し、広げっぱなしのスケッチブックの前に座らせる。二人はまるで鉛筆が何十キロもの重さであるみたいにぐい、ぐい、と変な緩急をつけて線を引いた。ぎこちないその線は、山の稜線らしい。「ま、いっか。遊ばずにちゃんと描けよな。また来るから」どうして私がこんなドスの利いた声を出さなけれりゃあならんのよ。とほほ。最後の問題児のところに向かう私に後ろから声が追いついてきた。「李子は鬼ババァ……」三英だ。私は無言でくるりと振り向いた。にやにやしていた二人の顔が引きつるのがスローモーションのように見えた。私は二人の耳をギュっとつかむと火花が出るほど勢いよく二つの五分刈り頭をぶつけてやった。「私はね、巳年生まれなんだ。わかるか、巳ってのは、蛇のことだよ。私のことを呼ぶならこう呼びな、ヘ・ビ・オ・ン・ナとねッ」思いっきり舌を出して二人の前でちろちろとしてやった。自慢じゃないが私はこれで前の赴任校の女子生徒を六人まとめて泣かせたことがあるんだ。みるみる二人の目に浮かぶ涙。それを見て私は満足し、ふんっと鼻息一つ残してやっとその場を立ち去った。しまった、今の鼻息じゃ巳年じゃなくて、丑か午だわ。
 五人のうち、最後の難敵は、今の攻撃くらいじゃ落とせないだろうと予想された。名前は高見陶太。ああ、いたいた。日差しの良い斜面で両腕を頭の後ろで枕にして寝ころんでいる。膝を立てて長い脚を組んでいるので、きれいな脛が青いジャージの下からのぞいているのだった。背はそんなに高くないけれど、頭は小さいし脚は長いし、成長期なんだね、この子は。それでかな、いつも奇行が目立つのは。その場合に必要な指導者の心得は……数年前に卒業した大学の発達心理学の教科書を思い出そうとして、ぶんぶんと首を振った。やめやめ、そういうのは職員室で気分がくさくさしたときにでも気分転換がてら考えることだ。今はあいつに写生をさせなきゃ。寝ているというのはある意味では好都合。とりあえず遠距離から攻撃だ……ちょうど栗が落ちている、よし、これで。私は自慢じゃないが投球コントロールは自信がある。とりゃっ。あ、当たった。陶太のヤツ、きょろきょろしている。「こらー、陶太。寝てるなよ」私の声でこちらを認めたらしい。でもそのままばたりと倒れて寝た。あいつめー。私はダッシュで近づき、髪の毛をぐいぐい引っ張る。「次はイガごとぶつけてやろうかっ」とさっきの二人を脅しつけたときの倍くらい恐ろしい声を出したけど、効果はないようだ。目も開かない。そのとき三キロほど下に赤い屋根を見せている我が分校から、チャイムの音が聞こえてきた。どのみち時間切れだったようだ。ふうっとため息をつくと、私は声を普段の調子に切り替えて、陶太のまぶたを閉じた顔に向けて言った。「さあさあ、暗くなっちゃうよ。教室に戻ろう」
 まつげが跳ね上がり、陶太の瞳が現れたのはそのときだった。びっくりした。でも様子がおかしい。おかしいのはいつものことだけど。私の声で起きたのではなさそうだった。陶太は化石したように視線を上のほうに固定して動かなかった。私も思わず振り向いて陶太の見ているほうに目を向けた。でもそこにはただ山と空があるだけ。秋の山の日は暮れるのが早い。地平線よりずっと上にある山の向こうに太陽が隠れようとしていた。ふいに陶太は私のことなんか目に入らないようにスケッチブックを広げ、ものすごい勢いで鉛筆を走らせ始めた。迷いのない腕と指との動きで、形というよりは、陰だけを平面に写し取るような描き方だった。やがて彼の画用紙にまるで浮き出るように現れてきたのは……夕陽。西の山の端にかかった球体から何本も伸びてくる光の腕、腕、腕。彼は、この瞬間を待っていたのだと、私にはわかった。最初からこのときを描こうと決めていたのだと。「まぶしい」思わず言っていた。本物の夕陽のことではなかった。絵の中の太陽を見て、私の口から無意識に言葉が漏れたのだ。
「もう、暗くなっちゃう。ちょっとだけ待って。もうちょっとだけ」陶太がそんなことを言っている。私は一度だけ彼の頭をぽん、と叩いて、その場を去った。ほかの四人に教室に戻るように伝えるために。「栗なんかぶつけて、ごめん」私の声が彼の心に届いたかどうかは、わからない。

-了-

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