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2004.09.06

『灰色虎猫のサピエンスと砂金のつぶ』(七枚)

 砂金の在りかを教えてくれるというので、灰色虎猫のサピエンスについていった。
 淵細村まで連れて行けと言われ、日曜日に六十キロも離れたその村へ向かった。私のレモンイエローのマーチでの久しぶりの遠乗りとなった。灰色と薄紫との中間のような雲が頭のすぐ上まで垂れ込めていて、少し陰鬱な日だった。それでも、秋の気配が足早に近づきつつある山間の道は、気分転換には悪くなかった。蝉の鳴き声がしていたけれど、間もなく去る夏を惜しんで声を張り上げているのは少し悲しいなと私は思った。
 村に入ると舗装道路はあっという間になくなって、崖っぷちの、しかもほとんどハンドルの自由が利かない細い砂利道を何百メートルも上らされた。半分ペーパードライバーの私は肝が冷えた。
「それにしてもどうしてお前が砂金の在りかなんていうものを知っているの?」と私が聞くと、「灰色虎猫の一族は代々大事な記憶を受け渡しながら生きるのです。砂金のこともそのひとつです」とサピエンスは答えた。「それよりも、この先はもっと道が細くなっているはずですから、運転に気をつけてくださいね」猫のくせに余計なことを言う。
 そこから百メートルも進まないうちに、私のマーチは脱輪した。
「JAFに入っていてよかったよ、ぎりぎりセーフ!」崖っぷちから自重を何割か宙にはみ出させて停車したマーチから這うようにして抜け出した私は、空元気を出して言った。「だから気をつけてと言ったのに……」レモンイエローのルーフの上で言う灰色虎猫は毛繕いさえする余裕を見せている。「うるさいうるさい」サピエンスは拾ってきた子猫の時から生意気だったよ、そう言えば。
 携帯電話でJAFに連絡したはいいけれど、到着するまで二時間はかかるという。山奥のことだから、無理もない。
「歩いていきましょう。女性の足でも一時間もせずに着きます」サピエンスはくる、すとっ、と地面に降りたって少し先で振り向きざま、こんなことを言った。私は意を決してデイパックを後部座席からひっつかみ、生意気な猫のあとを追った。
「ねえでも、サピエンス」私は歩きながら灰色虎猫に話しかける。「その砂金はお前の一族の家宝みたいなものなんでしょう。私がもらったら悪いよ」「あなたはよいご主人でしたから、恩返しです」「とんでもないよ。私はお前が好きだから一緒に暮らしていただけの、普通の人間だよ」「……いいじゃないですか、遠慮せずにもらってください」「でもでも」「ほら、よく言うでしょう、猫になんとやら」こんな会話を続けながら、崖の下の沢に降りた。曇天のためか、空気には湿り気がとても多い。秋というのは少し早いはずなのにひんやりとして、水の分子が肌に染み込むよう。川の流れはあまり大きくなかったが、生き物の棲む水の流れ独特の、あの懐かしい匂いがした。
「もし雨が降ったらかなり増水しますからね、そうならないうちに必ず引き上げましょう。欲張りは厳禁ですよ」「あんた、私に砂金をくれたいの、くれたくないの」こんな軽口を叩いているうちに、サピエンスがひょいと沢をまたいで横にそれた。「こちらです」よくよく見ると、熊笹の下生えに隠れて小さな支流があった。「なるほどね、なんとなく金の鉱脈の匂いを感じるよ」「金は反応しにくい物質ですから、匂いませんよ」「あんたよく知ってるねえ。でも生意気」「五百年かけた祖先の知識の蓄積です。これからはあなたが受け継いでください」「え、それってどういう……」「ほら、着きましたよ」言われて足を止める。ガサガサという草木をかきわける音が止むと、さわさわと鳴る水の心地よい響きが耳に入ってきた。いっそう強くなる水の匂い。灰色虎猫の鼻の先を辿ってみると、そこには小さな小さな滝と、滝壺に出来たほんの一抱えほどの池のほとんど水たまりのような小さな水面(みなも)があった。ちょうど雲の切れ間から顔を出した太陽が反射して……私の眼下に無数の太陽が映って輝いていた。波立つ水の表面で白く炎のようにゆらゆらと揺れている大きな太陽の下、水の底に、何百という数の、私のマーチのレモンイエローにも似た、でももっと深い魅入られるような輝き。たくさんの金色の光が反射して屈折し、シャンデリアよりももっともっと豪華な光の演舞を見せていた。「砂金です」
「すごい。これ、みんな砂金? 池の底が黄金色じゃない」「ええ。もとはと言えば室町の頃の守護大名が所有しておりましたが、誰にも知られぬように秘しているうちに下剋上とやらで打ち倒されてしまい、それ以降誰にも気づかれないまま、今に至ります」「あんたの祖先というのは……何だったの?」「その大名に可愛がられていた猫です。幸い、逃がされて今まで子をなして砂金の記憶を継いできました」
 太陽が雲にふたたび隠れても、まるで名残惜しむように、黄金の粒たちはひそやかに光を放っていた。「きれいね」「金は錆びませんからね」「わかってる」私もサピエンスも、それ以上言葉が出なかった。私の胸ほどしかない小さな滝のしぶきにもその金色がもう一度反射していた。しぶきが飛び散って、光が線香花火のように刹那きらめいてはぜた。私はしゃがみこんだ膝に両腕を立てて両手で頬を包み込んだ姿勢のまま長い間動かなかった。いつまでもその光景を見ていたいと思った。
「どうして、砂金を取ってこなかったのです?」マーチに戻る帰り道、灰色虎猫のサピエンスが私に尋ねてきた。「あのね、あんなきれいなもの、手を出せないのよ」「もったいない」「それにここ国有林だし」「あなたはあの砂金の正当な所有者ですよ」「え?」「もう私の主人の家系は、あなたしかいませんから」私の祖先が、室町時代の大名だった? 初耳だった。「それに、先月交通事故で私の子も亡くなり、灰色虎猫の命脈も絶えました」「そう、だったの……」
 無言でマーチに戻ると、JAFの車がちょうど向こうからやってくるところだった。
 私は後ろを歩いてついてきていたサピエンスを振り返ったが、姿が見あたらなかった。おかしいな。辺りを見回し、崖からはみ出して絶体絶命の状態を耐えているマーチのルーフからシャシーの下まで覗いてみたけれど、灰色虎猫はいなかった。
 そして、ふいに思い出した。私の大好きなサピエンスは先月子猫をかばって一緒に車に跳ねられて死んだということを。
 目頭が急に熱くなって、私は上を見上げた。
 空は今はほとんど晴れて、突き抜けるような天井を見せていた。この空は、きっと五百年前から変わらない空なのだ。私のマーチが太陽の光をまぶしく反射して、砂金のつぶのように光っていた。

-了-

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Comments

読んでくださってありがとう~。目尻が下がりました。なんて(笑)。

Posted by: おづね・れお | 2005.12.10 at 01:28 PM

目頭が熱くなりました。

Posted by: さん | 2005.12.10 at 12:12 PM

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