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2004.09.05

『赤目たちの月夜』(三枚)

 退屈だったからだか、それともほかの理由があったのか、俺はその美女の手招きに吸い寄せられるように、夜の街の昏い路地に入っていった。
「満月の晩に、一人でお散歩? 狼男さん」
 女が俺の胸板に人差し指を立てる。グラマラスなボディも、ブロンドの髪も、少々目立ちすぎる泣きぼくろさえも、夏の夜の大気の中では魅力的だったが、とりわけ深い黒みの両の瞳が気に入った。インクの底に酸化鉄の赤を沈めたような、どこか妖しげな、とても人の瞳には見えないその色。
「狼男じゃない、人間だ。それに絶世の美女を前にして人間をやめちまうのは願い下げだね」
 軽口を叩いてひゅうっと口笛を添えると、女はにやっと笑った。赤い唇に映える犬歯が街灯の灯りに浮かび上がって目を奪う。
「そうね……たしかに人間じゃないと困るわ」
「だろう、姫君」
「だって私の食料にならないもの」
 彼女の白い象牙質の剣がにゅっと伸び、俺の首筋に迫った。なるほど、彼女の正体は吸血鬼で、こうして男を誘って獲物にするというわけなのだな。俺は溜息混じりにゆっくりと言う。
「なんだ、そっちも吸血鬼か」
 その一言で女の動きが止まり、
「あんたもかい。やだやだ。人間みたいに体を鍛えちゃって、紛らわしいことはやめとくれ」
 と愚痴が始まった。
 その瞳は何だと聞くと、カラーコンタクトの新製品だという。
「あんただってその黒い目は同じだろ、今時赤目を晒している同族なんていやしない。――あんたの目、綺麗だよ。じゃあね」
 俺は真祖だから、瞳の色も自在に変えられるんだ、と答えようと思ったのに、言葉だけをサービスしてさっさと女は歩いていってしまった。おそらく次の獲物を探すのだろう。盛り場の青、赤、紫色に明滅するネオンサインに女の影が吸い込まれ、やがて見えなくなった。あの腰の振りも悪くなかったのに、と俺は下らないことを考えつつ、自分の運の悪さを呪ってもいた。今夜十数年ぶりに目覚めてみれば、血を吸おうと思って近づいた相手が三人連続で吸血鬼だ。餓死しそうだ。
 吸血鬼の数が十数年でずいぶん増えたのかもしれない。そうだとしたら、このままではすぐに人間を全部食い尽くしてしまうだろう。
 待てよ。もしやすでにもう……?

-了-

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