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2004.08.17

『タンホイザーとウェヌスの夢』(四枚)

 私はつまらない旅の辻音楽師だが、名前を問われると陽気な声でホイ、ホイ、と調子よく、こう答えることにしている。
 よくぞお聞きくだされた、我が名はタンホイザー。
 ワーグナーの同名の歌劇の主人公の名だ。ここドレスデンがタンホイザーの初演された場所であることと無縁ではない。夢のあるこの名前を私は気に入っている。そんな私だが、フランスに行けばドン・ホセと名乗ったりする。ビゼーのカルメンにちなんで。要するに誰でもいいのだ。
 気軽な旅から旅へ。お供は五十年物のアコーディオンに肩掛けカバン。稼ぎがよけりゃ、ふかふかのベッド、おひねりがなけりゃ木の根の枕。
 気軽だけども、いつも腹の減り具合のことばかり考えている貧しくて厳しい旅。
 だが、私は気に入っているね。だって、こんな幸運が向こうから転がり込んでくる。さっき宿屋で客の晩餐に合わせて数曲のお披露目をしたのだが、おひねりの銅貨やしわくちゃのマルク札の中に気になるカードが一枚滑り込ませてあったのを見つけたのだ。
 ――あなたとひと晩の夢をともに。ウェヌス。
 愛欲の女神とともにするひと晩の夢。私の胸は期待に躍った。
 待ち合わせの場所に一刻も早く行きたいがため、アンコールの声にほんの一、二曲だけ応えて足早に去った。
 その家は豪商で、寝室がざっと見たところでも十以上ある、ちょっとした宮殿だった。宮殿の主は女神ウェヌスの名前にふさわしい美女で、私はまさにタンホイザーの心持ちだった。勝手口から通された部屋は上の階の東南の広い部屋。ウェヌスはこの広い屋敷で自分はひとりぼっちなのだと言って瞳を曇らせた。
 私たちは無言で互いを求め合った。
 二十六夜の月が黒い森の上からしんしんと光を投げかける頃、女神が私に言った。
「主人も子どもたちも老父母も捨てて、あなたについていきたい」
 私はそれもいいかもしれないと答え、夜明け前には一緒に発とうと言った。女神は自分で言い出したことなのに驚いた顔をした。それから、支度をしなければいけないからここで待つようにと告げて部屋を出て行った。私は一人部屋に残された。
 月明かりの中、戸棚に飾ってあった暗緑色の瓶をひとつ手につかむ。
 そっと中身を確かめる。味をみるまでもない、芳醇な酒の香りが嗅覚から私を夢心地に引きずり込んでくる。極上品だ。手みやげのそいつを丁寧に布でくるんで商売道具のかばんに入れると、私は手早くシーツをベッドの支柱にくくりつけ、猿のようにするすると庭に降りた。
 甘い夢が甘い夢で終わるために。私は詩人なのだ。
「それにしても、別れがたき街、ドレスデン! ああ、あと一ヶ月は食えたよなあ」
 昼下がりの、頼み込んでタダ乗りさせてもらった荷馬車の上。郊外へ向かう泥の道。
 私は街と、かの夢多き女神とに乾杯した。
 胸に抱えるのは、暗緑色のバッカス。


-了-

(闇三語:お題は「いざ かや さけ」)
※闇三語というのは、作者名を伏せたまま何人かで同じお題を使って書き、作者を当てるというゲーム感覚の創作鍛錬です。おもしろいです~(^^) 試運転中なので、参加者を大いに募っています。

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