« 「最後まで書いたほうが」とアドバイスいただきました | Main | 『ミジンコチップ』と『大谷さん』(一行) »

2004.06.16

『蚯蚓のように』(十七枚)


(※蚯蚓=みみず)


 松葉杖をやっと手放したというのに、今度は両腕が包帯で固められている。
 朝の教室に入ってきた創二が、肩から指先まで真っ白な緊縛を受けていた。赤黒いまだらが白地に無粋な彩りを添えている。
 怒気をすら発し始めている私より一足早く、織絵が駆け寄った。
「どうしたの、創二」
 創二はなんでもないとだけ言った。
 席につくと、織絵以外の女子も男子も、創二を取り囲み始める。
 まだ創二はあきらめないつもりらしい。
 取り囲んで質問を浴びせかけている群衆をのしのしかきわけ、彼の頭をこづいた。
「おい、今度は何の怪我だよ」
 織絵が口をぱくぱくさせてこちらを見ている。
「江西か。今度は、『両腕を大やけど』したんだ」
 今日風邪気味なんだと言うように、彼は言うのだ。
 織絵が無神経、と小さく罵った。私は背を向けた。


 創二が特殊な施設を退所してもう一年になる。
 クラスには内臓疾患による入院とか知らされていたが、彼は何の病気でもなく、怪我もしていなかった。
 私は入院中の彼に会ったから知っている。
 ただこの教室から逃げ出してみたかったんだという。
 戻ってくるのか、と私は聞いたけど、彼は首をかしげているだけだった。
「あんたに戻ってきてほしいと思っているヤツは多いよ」
「クラスの全員かな?」
「ああ、全員だ」
 私に対する遠回しな質問だということはわかっていたけれど、たまには私も素直に答えてやろうという気にだってなる。

 創二は中学の卒業文集には、将来の夢をこう書いている。
「教師か、政治家、または無一文のホームレスか、某国の工作員」
 めずらしいというわけではない。ふざけて不謹慎なことを書くヤツはいっぱいいた。
 でも創二はふざけてものを言うことがない。言い換えると、いつもふざけている。
 真面目と不真面目の区別なんて、彼は知らないのだろう。
 だから私はその日は文集のそのページを開いたまま、目が冴えて眠れなくなった。

 織絵が甲高い声で創二の周りをぐるぐる回っているのが休み時間にも目についた。
「創二はなにかシュミあるの?」
 ほかの生徒に対するのとは明らかに違う声で、そんなことを聞いている。
 目の前にいる人間に聞くことがいちばんの早道だと思っている織絵は不思議な人間だけれど、たぶんそれって「普通じゃん?」ということなんだろう。
 誰にも聞こえない声で私の唇がささやく。
『蚯蚓の飼育』
 と。
「蚯蚓をね、たくさん飼っているよ」
 創二の誰に対しても変わらない声が、机に突っ伏して寝る体勢の私の耳にも漂ってきた。
 ああ、眠い。
 それに続くであろう織絵のけたたましい笑い声を聞きたくなく、私は以下意識をシャットダウン。

「もう忘れたわ、あんな『ミミズ男』!」
 ひときわ甲高い声が更衣室に響く。
「コンポストだかなんだか知らないけど! 部屋じゅうミミズの入れ物だらけ。信じられない」
 聞こうと思っているわけではないが、聞こえてくるものを私はなんとなく聞いている。
 日曜日に創二の家に強引に押しかけた織絵が、ほんとうに彼の部屋を埋め尽くすほど大量の蚯蚓を見て、さらに彼の両腕のやけどのひどさにその場で吐いたらしい。自分の失態を他人のせいにするのは合理化のひとつの現れだが、私には醜怪に見える。そのへん、私も「普通じゃん」?
 ミミズ男のほうは、何も変化なし。
 それから高校を卒業するまでの間、創二は陰ではいつもそのあだ名で呼ばれることになった。
 私はこの言葉を聞くと眠くなり、おかげで得意な体育の成績を落とした。

「父がね、施設にいるより高校に通っていたほうがお前は少しはまともだから、と言うから」
 松葉杖に続いて大やけどでよく施設に送り返されなかったね、と男子連中に言われて、こんな風に言ってしまうのだった。
 ずっと離れたところにいる彼の父親はどこかの世界の大物だとかだと噂されていた。教師や大人たちの対応を見ると、嘘でもないんだろう。
 父親のことを尋ねてみたことはある。
 戸籍には入ってないから、死んでも悲しまれないんじゃないかと言っていた。同情を求めている顔には見えなかったから、私は「そうなのか」と答えておいた。
「蚯蚓っていいよね」
 たぶん、そのときだったと思う。ふと創二がこんな言葉を漏らしたのは。
 私たちの唯一共通する好みである淹れたてのコーヒーが二杯、私たちの間に香っていた。
「ミミズ? 雨の翌日にひからびてアスファルトの上で死んでる?」
 あははは、と、創二が珍しく明るく笑った。考えてみたら彼はめったに笑わない。いつも笑っている感じがするのに。
「ひからびて死んでるよね、たしかに。江西、好きだなあ」
「なによ、ぜんぜんわかんない」
 創二はまだ笑っている。
「俺と蚯蚓って似てない?」
 なんでもない会話。
 でも、こいつにはなんでもないことなんてたぶん一つもない。
「ぜんぜん違うね」
 私は突き放した。
 彼のまつげを『長くてきれいだなあ』なんて思いながら。
「ミミズはね、お前みたいに『ミミズのようになりたい』なんて思ってない」
 もっと言ってやりたいことはいっぱいある気がしたけれど、まともに話をしたら私なんかじゃ創二の相手にならないのだ。
 彼が私に見ているのは、彼の見たい私を演じようとする私じゃない。
「やめろよ、怪我もしてないのに松葉杖つくの。お前がやるには人間らしすぎるよ」
 自分の言葉に眠くなりそうだ。
 創二が何かぼそぼそ言ったが、もう聞こえていなかった。


「江西、俺と結婚して子どもをいっぱい作らないか?」
 卒業間際のある日、創二が言った。
 クラスメートがたくさんいる教室で、なんでもない会話の途中で、思いついたように。
 担任があごを床に落としそうな面相で固まっているのを見て、眠くなりそう。

 イエスと答えようと決めていた。
 でも、私は創二じゃないから、こう言うのだ。
「そうだね、三十歳まで生きていたら、結婚してあげるよ。それまでは私の人生。それでいい?」
 創二がけらけらと笑い出すのを、クラスのみんなが唖然として眺めていた。
 太陽が土の下を照らすまで、彼は笑っていた。

-了-


※小説を書き始めて一ヶ月目くらいに「ごはん!」鍛錬場に投稿させて頂いた作品です。
 ブログ未掲載だったので、今回置くことにしました。
 作者としては非常に思い入れがある作品なので、リライトすることを考えています。

|

« 「最後まで書いたほうが」とアドバイスいただきました | Main | 『ミジンコチップ』と『大谷さん』(一行) »

短編小説」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/17870/780100

Listed below are links to weblogs that reference 『蚯蚓のように』(十七枚):

« 「最後まで書いたほうが」とアドバイスいただきました | Main | 『ミジンコチップ』と『大谷さん』(一行) »