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2004.05.01

『さくら はるかに』(六枚)


「さくらの咲く頃には、帰っておいで」
 遙佳がそう言ってぼくの頭をぽんと叩いた。
 あの感触、一年経った今でもまだ残っている。
 遙佳はぼくとは幼なじみだけれど、人をいつも子ども扱いするヤツだった。
 けれども、あの手のやわらかさ、そのあとぼくの髪の毛をぱらぱらと玩(もてあそ)んだときの寂しそうな顔を、ぼくは忘れたことはない。

 韓国に一年間も留学することになったのは、ゲーム雑誌のコンテストに入選したことがきっかけだった。
 ぼくの趣味はゲームプログラムを作ることだ。複数のゲーム会社が協賛して今年から始めたゲームデザイナー養成企画というのがあり、ぼくがそのコンテストに選ばれたのは去年の四月。あれよあれよという間に、奨励金をもらって韓国のゲームスクールに留学することが決定した。
 韓国のゲームスクールでは、ぼくは特待生という扱いだ。でも油断はしていられなかった。たしかに技術はぼくのほうが上だったけれど、こいつらは日本の学生よりずっと真剣に勉強しているって気づいたから。
 はじめの一ヶ月で彼らのものすごい努力を見せつけられたぼくは、腹の下あたりがちりちりと焼けるような感じを覚えていた。焦りというヤツだ。
 あれからそろそろ一年経つ。
 遙佳がぼくを「さくらの咲く頃には」と言って送り出してくれたのは、八重桜の花びらが散って淡いピンクに染まった通学路だった。
 学年は同じだけれど遙佳は四月生まれで、ぼくは翌年の三月生まれだ。だから、彼女のほうがぼくより五センチも背が高くても、すべてのスポーツがずっとうまくても、ついでに握力も、喧嘩の実力までも彼女の勝ちだったとしても、当然なんだ。
 ……いや、それはもちろん言い訳だってわかってる。ぼくはひとつでも彼女に勝てるものがほしかった。そうだなあ、男のメンツってやつ?
 今、ゲームスクールに通う道すがらにも、桜が咲いている。日本のと変わらない、淡い色。
 ぼくは今でも韓国にいる。奨励金はとっくに終わってしまったから、両親に頼み込んでお金を出してもらった。
 今はただ純粋に勉強がおもしろい。
 韓国でぼくは夢の味を知ってしまった。生まれて初めての味わい。この国の奴らと、世界一おもしろいゲームを作りたいんだ。こいつらのやろうとしている新システム「ソウルネスト」にもうぼくは不可欠の存在になってしまった。これは今あるオンラインゲームをベースとしていながら、それらすべての上に君臨するゲームになる。
 遙佳の便りはいまどきメールではなくて、紙の手紙だ。月に一度、何気ない日常の事柄を書いてくる。ネットで日本の情報はリアルタイムで入ってくるけれど、遙佳の手紙だけがぼくに郷愁を感じさせる。電話はしない。何か心の決意が崩れそうな気がするから。
 日本に帰るつもりはなくなった。
 故郷は遠くにありて思うもの、という言葉がある。
 近くにいるとそのありがたみがわからないという意味だ。
 たぶん、人も同じなんだと思う。
 いつまでも年下みたいな扱いでも、ぼくにとっては遙佳は恋人以外のなにものでもない。彼女がどう思っているかは知らないけれど。

 ――四月。
 日本ほど多くないけれど韓国にも桜の並木がある。
 ぼくは下宿先からその桜並木を通ってゲームスクールに通っている。
 桜が花びらをさかんに散らしているのは、一年前の日本と同じ風景だった。
 その桜吹雪の向こうに、ぼくのほうをまっすぐに見て立つ人影があった。
「さくらが咲いても帰ってこなかったね」
 遙佳だった。
 この声を忘れようもない。ぼくの心にずっとあった声。
「でもね、君が夢をずっと追いかけていてうれしかった」
 うれしかったと言う彼女の顔は、ぼくにはなぜか幸せそうに見えなかった。何か強い決意を秘めて、こぼれそうになる何かをこらえているように感じられた。
 ぼくの胸は罪の意識に痛んだ。それでも、どうしてもうれしい気持ちを抑えることができなかった。四肢にまでわき上がる喜びの感情に手足が震えているかのように感じるほどだった。
 少しずつ歩みを進めて、向き合って立つと、今はぼくのほうが彼女よりもほんの少し背が高くなっていることに気づいた。
 彼女がぼくの名を呼んで、両手でぼくの頬を包んだ。
 ほてってやまない頬の熱が彼女をびっくりさせないだろうかと、ぼくはどきどきする。
「私も今日からこっちの学校に入学するの。語学だけれどね」
 肩までだった髪はずいぶん伸びて、桜吹雪と一緒に風にたなびいている。
 ぼくはこの一年間どんなに会いたかったか伝えたかったのに、言葉が出なかった。彼女の方もたぶん同じみたいだった。
 吐息がかかるほど近くに寄って、ぼくたちは見つめ合った。
 ぼくを包んでいた彼女の両手を今度はぼくが包み、胸の前でしっかりと握った。
 ゆっくり、これだけ言った。
「遙佳、ただいま」
 それから、小さく震えはじめた肩を、しっかりと抱きしめた。

-了-

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