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2004.02.12

『魔神の手』

 両手を魔神の手にしたのはどういう動機なのかと、あなたは聞きたいに違いない。
 いいだろう、特別なあなたには、話してさしあげよう。
 私の心の奥底にあったねじれた欲望と理由、そしてその顛末を聞きたいのならば、とくと語って進ぜよう。

 今でこそ信じられないと言われるだろうが、私はどうしても二流以下を抜け出せない彫刻家としての自分に絶望したのだ。
 この手には何の魔力も魂もない。だからすぐれた彫刻が創れない。そう思った。
 だから魔神と契約して両手を借り受けたのだ。
 まだ若かった私の歓喜を、あなたはきっとわかってくれるに違いない。いや、わからなければならぬ。
「この両手で道具を使ったとき、どんな素晴らしい美が生み出せるだろう!」
 私は誰にともなく叫んだ。
 死後に責め苦が待つという警告に耳も貸さずに手に入れた魔神の手。
 私の栄光はすぐにやってきた。うってかわったように私の作品の評価は上がった。あなたは、もちろんそうだろうと言うのかね? まあ聞きたまえ。最後まで、な。
 急に腕を上げてきたと美術界でも評判になった私は有頂天になった。今まで羨望のまなざしでしか見ることのなかった同期のA原やB山たちとほとんど違わないレベルの作品を生み出せるようになったのだから。
 しばらくは私の評価は上がる一方だった。もっとも将来を有望視される彫刻家と言われ、どこへ行っても誰もが下にも置かない扱いで私を迎えてくれた。こんなふうになってみたかったと、そのときはまさに夢をかなえたように思ったものだ。
 そのうちライバルだったA原やB山が相次いで夭逝すると、私の目標はさらに彫刻界の上の人間になった。私はこの国で最高峰の何人かの彫刻家に負けない作品を作ってやると息巻いた。そして、それは早々と実現したかに見えた。
 しかし、期待の新人がついに頂点に挑む、と期待されたすぐあとで、私の評価は一変した。地に墜ちたと言ってもいい。
 なんと言われていたかは、お聞きなったことがあろう。そう、「人真似彫刻家」だ。いつまでも先人の作った枠組みから出られないとか、小さく実る早稲だとか、それはもうこきおろされた。
 いかなるときにも外さないこの手袋もついに不審の目で見られるようになった。口さがない者からは、パーティーでトイレに入ったそのままで食事をしたり握手をしたりしている、などと言われる始末だ。もちろん根も葉もないでたらめだ。手袋は、予備をいつでも持ち歩いているのだ。わかってくれるだろう。この魔神の手を人前に出さないためには当然の苦労だからな。だが、噂を止めることはできなかった。それに次々と尾ひれがつくのも、な。
 私の周りには友人などはおろか、家族さえも寄りつかなくなってしまったよ。
 私自身かなり荒れていたから当然だっただろう。あの当時のことをうらんではいない。
 誰もいなくなり、やっと私は自分のことを冷静に見られるようになったのかもしれないな。そのときようやく気づいたのだよ、魔神の手はたしかにどんな美でも生み出せるのかもしれないが、それはすでに誰かが作ったものに限られるということにね。とんだ詐欺じゃないかね、これは。まあ、まあ、椅子を立つ必要はない。話は最後まで聞きたまえ。あなたも聞いてよかったときっと思えるところがあるから。
 私は目の前が真っ暗になった。誰かの模倣をしつづけて、何が彫刻家、美術家だとね。美術は模倣の対極にこそあれ、模倣に内包されうるものなんかじゃない。美を志す者なら誰だって知っているはずのことを、私は忘れていた。
 私は新作の発表をぷつりとやめた。
 新作をやめたら、その代わり、別の依頼がやってくるようになった。捨てる神あれば拾う神ありというが、使い古された言葉にも正しい面があるものだな。もっとも私は魔神と約束を交わしてしまった身だから、神の思し召しなんていうものは望むべくもないし、最初から信じてもいないのだが。
 その依頼とは、古美術品の修理と復元だった。
 それらは修理するにも専門の技術が必要だ。私に白羽の矢が立ったのは、考えてみればごく当然のことだった。どうだね、少しおもしろくなってきただろう。
 最初は仏像などからはじまり、そのうちに共同作業という形で絵画や建築物の依頼も入ってきた。
 だがこれで私に安息が訪れたかというと、それは違う。
 あなたはもちろんご存じだとは思うが、時をおかずして私はこの国で二人といない美術品の修理と復元の専門家と言われるようになった。あらゆる美術品が、それが貴重で、高価であればあるほど、競うように私のもとに持ち込まれた。
 美術を志した者として、ありとあらゆる年代の美術品とじかにふれあい、その命を助ける仕事ができて、誰が不満を言おうか。きっと誰だって、誇りに思い、大いなる満足を得るだろうな。ただし、それがほんとうに自分の手で為したことであれば、だ。
 私は、自分の手がその仕事を行ってきたのではないと知っていた。
 魔神の手だ。
 私ではなく魔神の手がやったことを私がその成果だけを盗んだ。盗み続けた。
 金は浴びるほど入った。しかし少しのなぐさめにもならないどころか、私の心をその重みがつぶしてしまうのではないかと思った。
 私の生活は乱れた。人には言えない悪徳にも一時身を染めたことだってある。乱れた生活は心の乱れそのままだった。人は私の絶頂期のひとつと言うようだが、とんでもないことだ。ときには少しも悪気なく言ってくださる方が「あなたは自分の業績を自慢ひとつせず謙虚だ」などと評してくれることがあって、それがまた耐え難い圧力となり、心を締め上げられた。
 なんということだろうか。名声が高まれば高まるほど、私の心は地獄に堕ちていった。
 魔神の手を甘く見ていた。責め苦は死後に支払えばいいのだからと高をくくっていた自分が浅はかだったのだと悟った。いわんや悟ったからといって苦しみが減ったわけではないのだがね。
 それでも私は仕事を続けた。私にも美術を愛する心だけはあったのだ。今ここであなたと話しているときに至っても、その美を愛する心だけが、真実たったひとつの私の長所だと思っている。美を愛する心によって、私はたくさんの貴い品々の命を未来につなぐ仕事を続けたのだ。
 ある日、私にきまぐれが起こった。
 ここから先の話を聞くと神だとか仏だとかの存在を信じるかもしれないね。だが、私は神も仏も信じていないのだ。まあ、もうすぐこの話も終わりだ、なんと思って聞くのもよかろう。
 私はふと彫刻刀を取り、何十年ぶりかで自由に作品を彫ってみようと思ったのだ。
 心に浮かんだのは、昔の、自分の才能に絶望していた頃の自分の作品のイメージだ。ろくな作品がなかった。だから凡庸でつまらないモノにしかならないのが当然だと思った。だが、気まぐれとしか言いようがないが、私はそれをもう一度作ってみようと思ったのだ。
 おもしろかったね。そりゃあもう、おもしろかった。
 イメージのまま形が現れるなどと言うことがあるが、それを超えて、形が現れるごとにイメージがイメージを呼んでいった。新奇とそれに呼び込まれた新奇とが連鎖していく。素晴らしい感覚だった。そして、ほかの誰の作品にも見たことのない見事な作品が生まれた。自画自賛と聞こえるだろうと思うが、正直なそのときの心境だ。
 昔の私の心にはのし上がってやろうとか誰それに勝ってやろうとかいう心がいつもあったが、それをまったく持たずに、彫刻することだけを愉しんだ。おそらく最初に彫刻家を目指した頃以来はじめてだっただろう。私はプロになろうと思ったときから彫刻を愉しまなくなっていたんだな。滑稽だろう。だが、こんなことはよく聞く話だと思うだろう。私もそう思ったさ、自分の身に起こったことながらね。
 だが、なんとなくわからないかね、あなたなら。そうとは知らない間に変わっていってしまった自分の気持ちが。自分にも起こりうるとはなかなか誰もが思わないことだが、うすうすわかりはしないか。
 さあ、もう話は本当に幕引きの時だ。
 私はそうしてそれまでの人生で最高の作品を手に入れた。
 そして、手袋の必要からも解放された。あなたが知っている私は、おそらくそれからあとの私がほとんどであるだろうな。あれほど渇望して得られなかった場所に、今私はたしかに立っている。
 私が自分の彫刻を取り戻したそのときから魔神の手は、なくなった。
 当然だな、そのとき魔神の手は、私の体には存在できなくなったんだ。
 わかるだろう?

 うむ、あなたが手袋をしている理由、もちろんわかっているよ。世間では若い頃の私の真似をしていると思われているようだね。作風がそっくりなのだから、そう言われるのも無理はない。
 けれども、私はほんとうの理由を知っている。
 そしてあなたが今日ここに何をしに来たのかも知っている。
 ぎょっとすることはない。最初からわかっている。わかっていてお話ししているのだ。
 なぜなら、魔神の手を私ほど知るものはいないからだ。
 魔神の手の嫉妬深さを、な。
 自分が模倣した相手がこの世に生きていることを嫉妬するのだな、魔神の手は。模倣だけしかできない身でありながら、自分の作ったものが模倣品でしかない事実を受け入れたくないのだ。だから元となる者が生きていることが許せない。違うかね。
 まこと、魔神の手を持つ者は苦しみを避けることはできないものだ。
 私は遠い過去の自分が犯した罪の重さはよく知っている。だからこのまま地獄へ赴こうではないか。今日あったことを伝えるなんのメッセージもこの世に残したりしない。
 あなたを恨むこともしない。
 むしろ感謝をしているよ。
 だってあなたは私の手を取り戻してくれたではないか。
 かけがえのない、私の両手を。

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Tracked on 2004.02.13 at 07:52 PM

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